『罪人を召し出せ』 by 出口 治明

出口 治明2013年12月12日 印刷向け表示
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罪人を召し出せ
作者:ヒラリー マンテル
出版社:早川書房
発売日:2013-09-20
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いつかは読まなければいけない、誰しもそういった本のリストを持っているだろう。ヒラリー・マンテルの「ウルフ・ホール」は、この2年ほど、僕の読むべき本リストのトップページに、太字で書き込まれていたのだが、読む機会が訪れないうちに、先に続編を読む羽目になってしまった。それが、本書である。ヘンリー8世の右腕として活躍した稀代の政治家、トマス・クロムウェルの評伝のPart 2である。第1部と第2部に分かれている。

トマスは妻と2人の娘を病気で亡くしている。彼は狩に使うハヤブサに二人の娘の名を付けている。冒頭は、「彼の子供たちが空からおりてくる」という一文で始まる。「あとでヘンリー王は言うだろう。『そのほうの娘たち、今日はよく飛んだな』」。何か得体の知れない胸騒ぎが生じ、読者は一挙に物語の中に取り込まれてしまう。まさに、ヒラリーの力量、恐るべきものがある。実に、巧みだ。

1535年9月、アン・ブーリンは、ヘンリー8世と結婚して、既に正式に王妃となっている。二人の間には娘が生まれている(後のエリザベス1世)。しかし、男の子が生まれないこともあって、早くもヘンリーの目は、女官ジェーン・シーモアに注がれている。また、離婚された前の王妃キャサリンは、娘メアリー(後のメアリー1世)の行く末を心配している。こうした状況の中でも、気丈なアンは、政治に首を突っ込むことを止めない。

テューダー王朝の基盤は、まだ固まっていない。しかも、ヘンリーが英国国教会を設立してローマ教会から離脱したこともあって、イングランドはヨーロッパの中で、ほぼ孤立している。手綱さばきが難しい局面だ。トマスは王の秘書官だが、実際にやっている仕事は、首相のそれに近い。アンは、トマスとも衝突する。第1部の終わりでキャサリンは死ぬが(1536年1月)、それでアンの地位が固まる訳ではない。

第2部は、1536年夏(と言っても5月だが)のアンの処刑までを描く。世継ぎが生まれず、ヘンリーがジェーンに執着している以上、トマスには、王朝を守るためにアンを反逆罪で処刑するしか道がないのだ。「でっちあげ裁判」の一切を、感情を交えずに冷徴に描き切るヒラリーのヴィルトゥオーゾには、舌を巻くしかない。まるで、冷静沈着を絵に描いたようなトマスがヒラリーにそのまま乗り移ったかのようだ。読み終えた時、フリックとナショナルポートレートギャラリーで観たトマスの精悍な横顔が、明確な輪郭を持って脳裏を横切った。ヒラリーの術中にはまって、僕はしばしヘンリーの宮廷にいたのだ。少なくない登場人物は、1人1人が見事に造形されていて、僕の目の前をゆっくりと歩いて行く。表情も読み取れる。まるで、生きているかのようだ。傑作という言葉の他に、形容する言葉が1つも見当たらない。

ウルフ・ホール (上)
作者:ヒラリー・マンテル
出版社:早川書房
発売日:2011-07-08
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ウルフ・ホール (下)
作者:ヒラリー・マンテル
出版社:早川書房
発売日:2011-07-09
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出口 治明

ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら

*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。

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