2012年、見て見ぬフリできない国『ビルマの独裁者タンシュエ』

山本 尚毅2012年01月04日 印刷向け表示
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ビルマの独裁者 タンシュエ ─ 知られざる軍事政権の全貌
作者:ベネディクト ロジャーズ
出版社:白水社
発売日:2011-12-23
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偶然にも、編集長土屋敦の前回の投稿と強く関連しているようだ。ついこの間まで、見て見ぬふりされていた東南アジアのビルマ(ミャンマー)に急に注目が集まっているのだ。本読みは、『困っている人』の作者大野更沙さんがビルマ女子だったことを思い出すかもしれない。

注目が集まる理由はビルマ軍事政権の民政化、約5300万人の安価で優秀な労働力や豊富な天然ガスやレアメタルなどの資源である。ここ半年の目立ったビルマ・ニュースを列記してみる。2014年のASEAN首脳会議はビルマを議長国とすることが決定(ちなみに2005年に議長国になるはずだったが、欧米の強い圧力により辞退した。表向きには国内の政治事情とした)。中国によるダム建設計画を中止(発表の前日アメリカと政府間高官協議を実施していた)。昨年12月に日本の玄葉外務大臣が9年ぶりに訪緬、その直前に日本財団笹川陽平会長も。アメリカも外交トップとして56年ぶりにヒラリー国務長官を電撃的に送り込み、長らく自宅軟禁されていたアウンサンスーチー氏などと会談、1988年に今の軍事政権に移行して以降、アメリカはビルマと国交を断絶しており、経済制裁を強化してきたにも関わらず、手のひらをひっくり返したかのように。

ビルマは地政学上の要諦と言われるが、確かに地図を眺めてみれば、中国にとってのビルマはインド洋への出口となる。世界トップの工業国となった中国は増大するエネルギー需要を賄うため、石油の輸入を中東とアフリカから頼っている。それらはマラッカ海峡を経由して輸入しているが、ビルマに2013年完成予定のパイプラインを建築中だ。石油だけでなく、ビルマ沖の天然ガスも輸送する全長3900kmのパイプライン。一方でアメリカは南太平洋を睨み、来年からオーストラリア北部・ダーウィンに海兵隊常駐を決定した。何だが、いつの間にか外交に疎い僕にも理解できるレベルでミャンマーが中国とアメリカの覇権争いの舞台と化しているようだ。

そんな注目が集まる国ビルマで新たなリーダーとなったのがテイン・セイン大統領、その前に長らく独裁者として君臨したのがタンシュエ、本書のターゲットだ。もちろんテイン・セイン大統領は忠実なタンシュエの部下であり、軍政から民政に移行した事実があったとしても、実体はタンシュエの傀儡政権と多くの人々は考えている。民政化もビルマ軍政によるプロパガンダの氷山の一角にすぎないかもしれない、その結果は今は分からない。それを承知で氷山の水面下を見て見ぬ振りをして、各国が盛んに投資し始めている。

ちなみに、ここまでビルマで表記を統一してきたが、「ミャンマー」or「ビルマ」の呼称について触れておく。軍事政権は約20年前に、英語の国名を「ビルマ」から「ミャンマー」に変更している。それは、「ビルマ」は英国の植民地時代の負の遺産であり、多数派のビルマ民族が全土を支配している印象を与える、というのが変更の理由だったそうだ。しかし、野党や亡命者らは国名の変更を軍政が全く新しい国家を作ろうとしていることの象徴ととらえて強く反対し、米国も公式には「ビルマ」を使い続けている。尚、先日のクリントン国務長官はどう呼んだのか?そこで取った策は国名を口にしないという巧妙な外交術。

前段が長くなったが、本書はビルマの独裁者タンシュエの素顔に迫り、現代ビルマが理解できる数少ない一冊でもある。別冊宝島が昨年独自に分析した『世界独裁者ランキング』によれば、タンシュエはワースト8位。ちなみに、1位はジャスミン革命の余波を受け、独裁政権が事実上崩壊したリビアのガタフィー大佐。第2位はつい先日、死去が報じられた北朝鮮・金正日。そんな大物に肩を並べるタンシュエだが、他の独裁者と比較しても情報が少なく、メディアへの露出も限られている。著者のベネディクト・ロジャーズは人権団体NGOに属する人権活動家。冒頭でも中立的な立場からタンシュエという人物を見ることは不可能と認めており、題材や資料を可能な限り客観的に見るように努力したようだ。読者の立場からすれば、事前に著者が持つフィルターを共有できることで、一層読み進めやすくなる。

少数民族への大規模な残虐行為の信憑性はこれから時が経つにつれて、明らかになっていくであろう。その残虐さに本すらも伏せたくなる。アウンサンスーチー氏の度重なる自宅軟禁も同様だ。しかし、ここではそれ以外にも驚きを隠せない事柄を紹介したい。まずは、首都移転。占星術者の助言を受けて決まった日時は2005年11月11日11時、11の軍事部隊と11の省庁の職員が1100台の軍用トラックに乗って、首都移転が始まった。タンシュエが移転開始日を政府関係者に伝えたのは、2日前!国家的な大事業にも関わらず、直前までほとんど誰にも知らされていなかったのである。ちなみに新しい首都名はネーピードー、ビルマ語で「王都」を意味する。しかし、実情は地質学的にも最悪、街は退屈で、外国人もビルマの政府閣僚も、タンシュエの娘すらも不満さを隠さなかったようだ。僕も本書を読むまでラングーン(ヤンゴン)が未だに首都だと勘違いしていた。

首都移転の1ヶ月前、そういえば僕はバンコクからインド・コルカタへのフライトの経由地として、ラングーンの空港に降り立っていたことを思い出した。その当時見たビルマの上空からの風景は今も脳裏に焼き付いている、一面グリーンのカーペット、水田しか見えなかった。それもそのはずだ、1962年には農業のGDPに占める割合が32.1%だったが、2000年には59.9%に増えているのだ。ちなみに工業は1980年はGDPの12.7%を占めていたが、2000年には9.1%である。多くの国で工業化が進んだ20世紀において、産業構造が異なる進化(退化?)を遂げている国も珍しい。

本書を読み進めていく中で、ビルマ国軍政治の偏狭な体質や詭弁が福島第一原発事故で見られた東電の隠蔽体質及び無責任さがオーバーラップする。

「ゴルフ場の放射性物質はゴルフ場の物なので、責任はありません」
「私たちは仏教徒であり、ハエを殺すこともしないのです」

本書に書かれているタンシュエ軍事政権の悪態は氷山の一角にすぎない。民政化に伴い、国内政府や企業から経済的側面に熱視線が集まる中でこの本が出版された意義は大きいと正月からアツくなってしまった。

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アウンサンスーチーさんの半生を映画化した『The Lady』。日本での公開は未定だが、予告編を見ることができる。予告編の光景は読後に見ると、まるで一つ一つが丁寧に再現されているようである。

世界の現場に足を運んだ著者は3つの帝国のどの国の出身でもない。

「三つの帝国」の時代――アメリカ・EU・中国のどこが世界を制覇するか
作者:パラグ・カンナ
出版社:講談社
発売日:2009-02-20
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HONZでいつも話題にあがる辺境作家の高野さんの本。ビルマはアヘン材料になるケシの生産世界2位である、ちなみに1位はアフガニスタン。

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)
作者:高野 秀行
出版社:集英社
発売日:2007-03-20
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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
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