『快感回路』には逆らえない?

村上 浩2012年02月12日 印刷向け表示
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快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか
作者:デイヴィッド・J・リンデン
出版社:河出書房新社
発売日:2012-01-20
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「あー、頭痛い。昨日は何であんなに飲んじゃったんだろう」

「腰痛いし、煙草臭い。終電で帰ろうと思ったのに、もう朝かよ。徹夜の麻雀はやらないって決めてたのに・・・」

お酒を飲む人、ギャンブルをする人であれば一度はこのような感想を持ったことがあるはずだ。お酒やギャンブルをやらない人でも、ついつい食べ過ぎてしまったり、夢中になってテレビを見ていて一日が終わってしまったりしたことがあるのではないだろうか。好きでやっているはずなのに、振り返るとあたかも誰かに、もしくは何かに突き動かされたように行動してしまう。そんな経験のない人は少ないだろうし、全ての行動を自分の意思の下に置いて、合理的にコントロールしていると言い切れる人はあまりに人間離れしていて、少し怖いような気もする。

意思の力をあっさりと乗り越えて、私たちを突き動かしているものは何なのか。本書にはそのヒントが示されている。原書のタイトルは『THE COMPASS OF PLEASURE』であり、我々は快感が指し示す方向に向かって行く、という意味が込められているのかもしれない。経営共創基盤CEOの冨山和彦氏が「人間はインセンティブの奴隷である」と言っていたことを思い出す。

さて、快感の謎を教えてもらおうじゃないかと読み始めると、プロローグから著者のジャブが飛んでくる。

脳の快感回路について、分子レベルの話や基本的な脳の構造について一切触れずに解説本を一冊書くこともできるだろう。しかし、そんな、赤ん坊にスプーンで食事を与えるようなやり方では、いちばん面白くていちばん大切な部分を省かなくてはいけなくなる。

確かに本書はなかなか手強い。専門用語もバンバン出てくる。ページを前後に行ったりきたりしながら、巻末の原注に目を配り、うんうん唸って、たまにやってくる「そういうことか!」と膝を打つ快感を楽しみに読み進めることになるだろう。本書には我々の快感回路を刺激する報酬がしっかりとちりばめられている。

ダイエットや禁煙を繰り返している人を見れば、自分以外にも快感に振り回されている人がいることは良く分かるが、人間以外の動物ではどうだろう。犬や猫は快感を得ているように見える。人間以外の生物にも快感回路はあるのだろうか。結論から言ってしまえば、答えはイエスである。

実は、進化のかなり早い段階から生物には快感回路が埋め込まれていたようだ。例えば、C・エレガンスという線虫は体長1ミリ、ニューロン総数は302本しかないが、このような生物でも基礎的な快感回路を持ち合わせている。このことは、8本のドーパミン・ニューロンの機能を取り除くだけで好物の餌に見向きもしなくなること等から確かめられている。ヒトにおいてもこのドーパミン・ニューロンは中心的役割を果たしており、快感を構成する部分は数億年の間維持されていると考えられている。

本書が最初に取り上げる「やめられない、とまらない」ものは薬である。現在から2000年以上も前の、『自省録』で知られるマルクス・アウレリウス・アントニウスもアヘン常用者であり、そこから更に3000年前の古代エジプト人は医療用だけでなく儀式用としてもアヘンを用いていたというのだから人類と薬の付き合いは相当に長い。付き合いの長さが仲の良さを保証しないことは、熟年離婚の例を引くまでもなく明らかだが、薬との付き合い方を誤り、依存症に苦しむ人も少なくない。双生児の研究から、依存症リスク要因の40~60%は遺伝的なものと推定されている。しかし、単一の「依存症遺伝子」のようなものがあるわけではなく、まだその複雑な発現形質に関しては詳しいことは分かっていない。

薬以外にも、食、性、ギャンブルなどのお馴染の快感について解説されている。第六章「悪徳ばかりが快感ではない」のテーマは、エクササイズや慈善活動などの通常善い行いとして推奨される行動や社会的評価に伴う快感である。中でも情報の取得に伴う快感を研究するために2頭のサルで行われた実験が面白い。

この実験での条件は以下の通り。

  1.  画面の左右に同時にマークが現れ、そのマークのどちらかに目をやると数秒後に報酬として水がランダムな量だけ得られる
  2.  一方のマークには水が出てくる前に報酬として得られる水の量を表す手がかりとなる印が表示される
  3. 2と反対のマークには、水の量を予測することはできないランダムな印が表示される
  4. 繰り返し実験するさいには、常に同じ方に手がかりとなる印が表示される

条件1にもあるように、手がかりがあろうがなかろうが得られる水の量は同じである。それにも関わらず、10回ほどこの実験を繰り返すと、サルは2頭とも未来についての情報を受け取る方を毎回選択するようになる。また、予想通りに、多い水を予告する印を見たときはVTAとドーパミン・ニューロンの発火レベルが高まり、少ない水を予告する印を見たときは発火レベルが低下していた。この実験が示す肝心なことは、繰り返し訓練されたサルでは、手がかりを示す方向を見ただけで(手がかりが示される前に)ニューロンが興奮するようになることだ。

つまり、ドーパミン・ニューロンが情報を期待する信号を出しており、このサルは情報そのものから快感を得ているのである。しかもこの情報は、入手したところで自分ではどうすることもできない、有用性の一切ない情報である。サルの快感回路は何の役にも立たない、抽象的な、知識のための知識によって活性化されていることが示唆される。HONZのメンバーはこの快感依存症なのかもしれない。

前著『つぎはぎだらけの脳と心』でもそうだったように、著者は現在の脳科学で分かっていることと分かっていないことの境界を明確に描き出す。現在の分かっていることに基づいて「人間はみな遺伝子と脳内物質の奴隷だと結論づけることは容易だ」が、それは明確な間違いだと著者は指摘する。神経回路の変化は我々の行動を通じて生じており、その変化が我々の個性を形作っている。脳には可塑性があり、脳内での因果関係は双方向的なのだ。奴隷たる我々は主人であるインセンティブを変えることができるかもしれない。コンパスの指し示す方向を少しずらすことができるかもしれない。

もともと「本を読む方向」に向けられていた私のコンパスが、HONZ参加以来「より多くの本を読む」方向に修正されたことは間違いない。

____________________

つぎはぎだらけの脳と心―脳の進化は、いかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか?
作者:デイビッド・J. リンデン
出版社:インターシフト
発売日:2009-09
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本書の著者デイヴィッド・J・リンデンの前作であり、デビュー作である。我々の脳みそはとても神様が設計を行ったように整理された完璧なものではなく、つぎはぎだらけに作られた無駄や非合理性を兼ね備えたものであることを描き出した良作。また、訳者による解説にもあるように、現在の脳科学では人間の行動や意識と分子、細胞レベルでの働きを統一的に語ることは不可能であることを強調している。この本中古しかなさそうなので、欲しい方はお早めに。

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