『歌舞伎は恋』山川静夫の芝居話

2013年11月9日 印刷向け表示
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歌舞伎は恋: 山川静夫の芝居話

作者:山川静夫
出版社:淡交社
発売日:2013-06-05
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歌舞伎役者の坂東三津五郎さんの膵臓に腫瘍が見つかり、9月の歌舞伎公演を休演することになった。歌舞伎界は昨年12月に中村勘三郎、今年2月に市川團十郎という看板役者を失い、千辛万苦の時期だったから梨園とご贔屓筋の心労は計り知れない。

じつは歌舞伎界は2011年1月に中村富十郎、同年10月に中村芝翫、昨年2月に中村雀右衛門という3人の人間国宝も失っている。「新歌舞伎座の呪い」という言葉が戯言に聞こえなくなっている所以だ。三津五郎さんには充分休養されてから舞台に戻ってきてほしいものだ。本書はその歌舞伎界を60年にわたって愛し続けてきた、元NHKアナウンサー山川静夫さんのエッセイ集である。近年の歌舞伎界の不幸についても書いている。

明治36年に9代目團十郎と5代目菊五郎が相次いで亡くなった。明治のファンは「もう歌舞伎もおしまいか」と前途を悲観したが、そのあとを継ぐ名優たちが育ち、いまの歌舞伎人気へとつながっているという。本書は「だから、歌舞伎は絶対に滅びない」と結語する。歌舞伎ファンとしては元気づけられる言葉だ。歌舞伎ファンの多くは山川ファンでもある。

山川さんは静岡浅間神社の宮司の息子だ。静岡浅間神社の創建は崇神天皇年間だといわれ、徳川家康の元服式もここで行われた大社である。能楽の始祖観阿弥は、当時今川氏の氏神だったこの神社で能を奉納し、当地で没したという。芸能に浅からぬ所縁がある神社なのだ。そのためか、山川さんは大学時代から歌舞伎をはじめとした伝統芸能に傾倒し、役者の台詞と声を真似る声色(こわいろ)をよくし、17代目勘三郎の早変わりの舞台では勘三郎の代役をしていたというほどだ。

その山川さんが『歌舞伎は恋』だという。「学生時代からなじんだ名優は、もういなくなってしまった。みんな恋しい役者ばかりだ。そしていま、その子や孫も父や祖父の芸に恋い焦がれて闘っている。だから、歌舞伎は恋なのだ」というのだ。たしかに歌舞伎はストーリーや演出の面白さは二の次で、役者を観に行くことを眼目とする演劇だと思う。それがゆえに恋とはよく言ったものである。

この歌舞伎に学生時代から恋をしたのは山川さんだけではない。本書によれば喜劇俳優の伊東四朗さんも病膏肓だったらしい。3階席に潜り込むために、大道具の係に扮したり、はとバスの一行に紛れ込んだりしていたというのだ。しまいには、2代目尾上松緑を約束もないのに楽屋に訪ね、素人芝居の稽古まで付けてもらったらしい。このとき松緑は伊東さんたちに席まで用意してくれたというのだ。のちの大喜劇俳優は大歌舞伎役者に力水をつけてもらっていたのだ。

落語の10代目金原亭馬生も幼い頃から芝居好きだったという。惜しくも54歳で亡くなった馬生は、名人5代目古今亭志ん生の息子、弟は古今亭志ん朝、池波志乃は長女である。この馬生が山川さんに「鹿芝居」を見に来てくださいという。鹿芝居とは噺家(はなしか)から「しか」を取って洒落ているのだ。そもそも歌舞伎の人気演目「文七元結」は明治期の落語家三遊亭圓朝の作だし、落語にも多くの歌舞伎芝居が登場する。

最近は落語ブームだというのだが、観客だけでなく演者も歌舞伎をあまり観ていないようで、古典の演目なのに笑いのツボを外すことがある。残念なことだ。

ともかく、歌舞伎は判りやすい芸能ではない。あらかじめ決まりごとやストーリーを知っておいて損はない。しかし、そのために演目を網羅した分厚い入門書や子供向きのビジュアル歌舞伎案内などではつまらない。そこに洒落や薀蓄がないからだ。歌舞伎を初めて見るひとには山川さんの著作をおすすめしているのはそのためだ。本書は山川さんの5冊目の名作である。

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作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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