『魚料理のサイエンス』文庫解説 by 野崎 洋光

新潮文庫2014年01月10日 印刷向け表示
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魚料理のサイエンス (新潮文庫)
作者:成瀬 宇平
出版社:新潮社
発売日:2013-12-24
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「考える舌」を養う

成瀬先生との最初の出会いは、武蔵野栄養専門学校時代に私が先生の教え子だったことです。出来の悪い教え子でしたが。そして卒業して10年くらい経ったときに再会しまして、「今は何をしているの」と質問され、料理人ですと答えたところ、「一緒に本を作ってみないか」と仰っていただき『魚調理の「こつ」』という本を共同執筆で柴田書店から出しました。現在、私は80冊ほど著作がありますが、その最初の1冊です。この本がなければ今の私はなかったと思います。

学校では、先生に水産学の基礎を習ったのですが、当時は全然理解できてなかったと思います。お店に入って修行を始めてから、ようやく先生の言っていたことが少し分かるようになってきて、先生の本を読みながら勉強しました。京都の料理人には日本料理について一家言ある方が多いようですが、基は先生の言ってらっしゃったことを引用しているのがよくわかります。

その後もいろいろなところでお世話になっており、「成瀬学校」と言ったほうがいいのかな、今もその教室は続けておられます。私たち料理人はこの世界では固定された集団でしかないのですが、先生の関係者や卒業生は食に携わる、もっとグローバルな環境の中にいらっしゃいます。栄養士だけじゃなく、食品関連企業に勤めてらっしゃる方や病院で調理されている方、集団給食を作っておられる方々……。そんな人たちにも情報交換の場として成り立っているようです。世界経済の物流なんかもそうとうリアルに学べる訳です。

料理の世界でも今はサイエンス的なことが重要視されています。最近よく見られるフランス料理の手法のひとつに低温調理がありますが、あれは日本料理では古くからある手法です。例えば温泉卵がそうなんです。卵を沸騰したお湯で茹でると硬くなりますが、75℃で調理すると固まらず柔らかい卵になります。

またてんぷら専門店では200℃の高温の油で揚げますが、芯が70℃前後の旨味の境地を余熱で作るワザのから揚げを2度揚げするのも余熱ですね。このように昔から日本料理で普通にやっていたことなんです。でも今まではその美味しさを科学で証明することができなかった。この本を読めばどうして美味しいのか、どうすればもっと美味しくできるかが分かると思います。

たとえば調味料の入れる順番は「さしすせそ」と言われていますが、これは砂糖の分子が1番大きいので味が入るのに時間がかかるからです。里芋を米のぬかと鷹のつめで煮たり、煮魚を作るのもサイエンスがあるわけですね。最近、テレビでえらい先生が料理理論を述べていらっしゃるのをよく見ますが、結局この本の中で成瀬先生が仰っておられることの焼き直しばかりです。

私は成瀬先生の著作で「考える能力」を学びました。

例えばカップヌードルの塩分には関西と関東の味の違いがあり、関東の方が味が濃くしてあります。新聞に大学の先生の解説があり、寒い地域は塩分を好む為とありましたが、寒い地域は塩分を好みません。汗をかく南の国の人のほうが塩分を好みます。さらに冷蔵庫が一般家庭に普及した昭和30年以前、東北と関西の気温ではどちらが高かったでしょうか。気温が高い関西の方が塩分が強くないと日持ちがしないはずですが。

関東や東北の味が濃いのは、長期間保存する必要があったからです。冷蔵庫の普及以前は、保存は多く塩蔵によって行なわれていました。

先の震災をみてもわかるように、東北は災害と凶作の連続だったという歴史があります。食料の備蓄を常に3年分は持たないと飢え死にする人が出てしまいます。米は大きな蔵に備蓄して古いものから順番に食べていきました。だから新米は正月と新米の季節しか食べられなかったはずです。また米は塩分と一緒に食べるとたくさん食べられるのも、塩蔵が多くなった理由だと思います。田舎だから、寒いからしょっぱいと思い込むのは間違いですね。このように「考える能力」がないと俗説を鵜呑みにしてしまうのですね。

遊牧民は常に食べものを保存しながら生活をしますが、江戸は早くから新鮮な魚が食べられた場所です。それは江戸の町は物流が発達していたから。当時の浅草や日本橋は海沿いでした。池波正太郎の本を読むとみんな船宿などで食事をしています。そして船着場の籠の中には魚を生かして保存していた。そう当時でもいけすがあったのです。でも旬の魚はなかなか食べられなかった。

旬の魚は脂肪がのってます。物流、保存が出来ない時代には酸化しやすい脂肪の多い魚を食べることはできませんでした。海から1里、4キロを過ぎたら生食は不可能です。干物も脂肪ののった物は冷蔵庫で作るようになり、食べられる時代が来たのでは言葉の旬で本当の旬は三陸でとれる戻り鰹です。脂肪がのってないから土佐で鰹節を作るのです。

でも今の時代は物流によって食べものの鮮度は大きく変わりました。九州で今朝あがって生け締めした魚が夕方には東京に届きます。

今、築地の回転寿司が流行っていますが、築地だけが鮮度のいい魚が食べられるわけではありません。お店にはランクがあり、安い店では仕入れ業者の安いランクの魚を買う訳で、逆に市場から離れた場所でも鮮度のいい回転寿司屋があるのです。

物流が変わることによって調理方法もずいぶん新しくなりました。鮮度のよい鯖(鰯)があれば煮魚も簡単です。昔のように生姜と一緒に煮なくても十分に美味しくいただけます。ただ水から煮て沸騰すればおわりです。逆に10分以上煮ると硬くなって旨みが逃げてしまいます。細胞が硬くなってゼラチン質がなくなり、味の入らないパサパサの煮物になってしまいます。鮪の角煮のようなものですね。あれも物流の悪かった時代の食べものです。また肉も同じです。冷たいフライパンに食材を入れ、ゆっくりと加熱することでたんぱく質を凝固させないことが重要です。あとは余熱でじっくり火を通せば美味しくなります。鶏肉なども熱いフライパンにジュッと音を立て入れれば火入れが均等でなくなり、生焼けの部分と焼きすぎた部分が出てしまいます。平らにしてじっくり焼いてあとは余熱。原理は先に述べた低温調理と同じです。料理もどんどん進化しているので美味しいものを食べたければ食べ手も勉強しなければなりませんね。

料理人の中には昔からの決まったやり方に固執する人も多く、なぜこの調理法がいいか、なぜこの味になったのか、という理由に頓着しない人もいます。でもそれでは進化しないし、物流や最新の調理器具に対応できません。でもこの本を読めば、科学的な目も養われて、考える力がついてきます。

焼いて刻んだ鰺の干物を漬物とまぜてご飯にのせ、お茶漬けにして食べると風味がよくなる、というくだりがありますが、これはアルカリ性のアミン類が漬物の乳酸に中和されるからと説明されています。私もなるほどそれは面白い、これを応用して新しい料理を作ってみようと刺激になりました。

この本をうちの店の若い人たちにも勧めたら、もう4、5人が買って読んだようです。料理人には「考える能力」を、そして食べる側には「考える舌」を与えてくれる本だと思いました。

(平成25年10月、『分とく山』総料理長)

新潮文庫
読者の高い知的欲求に充実のラインナップで応える新潮文庫は1914年創刊、来年100年を迎えます。ここでは、新潮文庫の話題作、問題作に収録された巻末解説文などを、選りすぐって転載していきます。新潮文庫のサイトはこちら
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