『中国の歴史認識はどう作られたのか』 共産主義から愛国主義へ

村上 浩2014年05月22日 印刷向け表示
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中国の歴史認識はどう作られたのか
作者:汪 錚
出版社:東洋経済新報社
発売日:2014-05-16
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この10年間の最大の過ちは教育にありました。ことにイデオロギー的、政治的教育です。単に学生たちに対してのみならず、人民一般に対する教育です。

1989年に世界を震撼させた天安門事件を振り返り、鄧小平はこう語った。彼は、民主化を求める抗議行動の拡大を目の当たりにして、1980年代における共産党の最大の過ちは、人民に銃をつきつけたことではなく、イデオロギー教育の欠如であったと結論付けたのだ。この事件以降中国では、共産党主導の愛国主義教育キャンペーンが行われていく。そして、この愛国主義教育によって深く埋め込まれた「歴史的記憶」は、市井の人々の世界観から外交政策の選択肢、指導者の言動にまで大きな影響を与えることとなる。

本書のテーマは、「歴史」そのものではなく「歴史的記憶」にある。著者は本書で、過去に実際何が起こったのかではなく、中国人が「歴史」をどのように理解してきたのか、また支配者たちはどのように「歴史」をつくってきたのかを明らかにしようと試みている。本書で追いかける主な疑問は以下の2つ。

一、 中国共産党の指導者たちは、歴史とその記憶をどのように利用して、国民的アイデンティティを構築し直し、冷戦後も中国を支配し続けるための正統性を確保しようとしてきたか?


二、 そうした国民的アイデンティティの再構築は、中国の政治的な変容と対外的な振る舞いにどのような影響を与えてきたか?

著者は中国昆明省で生まれ育った後に、アメリカで博士号を取得し、現在はアメリカの大学で准教授をつとめている。そんな著者だからこそ、中国人が世界をどのように見ているかを肌で理解しながらも、歴史を一歩引いた地点から俯瞰することができたのだろう。現代の中国人が世界をどのように見ているかというリアルな視点と、それを読み解くためのフレームワークが程良いバランスでまとめられているのだ。

本書では先ず、今日の中国人の心象に大きな影響を与えている「恥辱の一世紀」の概要が語られる。恥辱の一世紀とは、1840年のイギリスとのアヘン戦争から始まり、日清戦争などを経て第二次世界大戦の終結まで続く、「国恥」とも呼ばれる100年間である。イギリスの砲弾が自らの土地へ打ちこまれるまで自分たちを世界の中心と考え、選民意識の強かった中国人にとって、度重なる敗戦とそれに伴い押しつけられた不平等条約は屈辱以外のなにものでもなかった。この選民意識と過去のトラウマとの相互作用が、現在の中国人の歴史的記憶の基底となっている、と著者は説く。何しろ中国政府は、中国近現代史を中国の全大学生の必修科目に指定するほどに、「恥辱の一世紀」の歴史的記憶を強化してきたのだ。

ある集団のアイデンティティの仕組みや紛争時の行動を理解するためには、「その集団が過去のどのような栄光やトラウマを選び取り、神話化しているかを知り、理解することが重要」となると言われている。共有されたトラウマや栄光は集団の結束を強固なものとし、現在進行形の事象でさえも共有された過去の文脈にあてはめて考えさせる力があるからだ。

ここで忘れてはならないのは、これらの栄光やトラウマは所与のものではなく、主体的に選び取られうるものであるということ。任意の栄光やトラウマを選び取り、政治的に利用しようとするのは中国政府に限った話ではなく、普遍的に見られる現象でもある。しかし、これらの歴史的記憶が政権党の支配の正当性と密接に結びついているという点で、中国は特殊である。つまり、共産党の正当性を支えていた歴史的記憶に基づく物語がその効力を失えば、新たな物語を創り上げ、自らの正当性を国民に示せなくなれば共産党政権の存続は危なくなるのだ。

現代の中国に大きな影響を与えている「恥辱の一世紀」という物語は、比較的新しく創り上げられたものである。1970年代半ばまで中国を率いた毛沢東の演説や文章には「国恥」への言及はあまり見られず、1947年から1997年の間に「国恥」を主題とした書籍は中国ではただの一冊も出版されていないという。毛沢東が「恥辱の一世紀」の代わりに語っていたのは、「勝者の物語」や「階級闘争」であった。共産党はいかにして、「中国の労働者階級の前衛組織」から「最も断固たる最も徹底した愛国主義者」へと変身したのか、この大転換の背景の解説は本書の読みどころの1つである。

本書の後半は、政府によって制度に組み込まれた歴史的意識が、四川大地震や北京オリンピック、さらには近年の中国と諸外国の紛争にどのように影響を与えていたかの分析である。著者は最後に、歴史は「傷を癒すためのツール」としても使えるはずだと訴えながら、こう問いかける。

敵意を煽るツールとしてではなく、和解のツールとして歴史を使ってみたらどうなるか?
中国と日本の―特に支配者層の―人々に、過去の呪縛から解放されるための意識と意欲はあるのか?
過去の影を乗り越えるためにどのような戦略や方法があるか?

どのような過去を選び取るかということは、どのような未来を望むかということと強く結びついているのかもしれない。 
 

毛沢東の大飢饉  史上最も悲惨で破壊的な人災1958-1962
作者:フランク・ディケーター
出版社:草思社
発売日:2011-07-23
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「恥辱の一世紀」よりも遥かに多くの命を奪ったと考えられる、毛沢東によってもたらされた大飢饉。スケールが大きすぎて、ただただ圧倒される。成毛眞によるレビューはこちら。 

政治の起源 上 人類以前からフランス革命まで
作者:フランシス・フクヤマ
出版社:講談社
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近代国家に必要となる、中央集権国家・方の支配・説明責任を備えた政府、という政治制度はどこで、いつ、どのように生まれたのか。中央集権国家の誕生を知るためには、中国を知る必要がある。上巻のレビューはこちら。下巻のレビューはこちら

歴史学の将来
作者:ジョン・ルカーチ
出版社:みすず書房
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歴史とは、本当はどのようなものであるのか。出口会長のレビューはこちら

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