完全食品ソイレントが突きつけるもの「食」とは何か

2014年6月3日 印刷向け表示
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
The New Yorker [US] May 12 2014 (単号)

作者:
出版社:Conde Nast Publications
発売日:2014-05-16
  • Amazon

『ニューヨーカー』の2014年5月12日号に、「ソイレント」という液状食品に関する記事が掲載されました。軽~く興味を引かれて読み始めたところ、ちょっと意外なぐらいに、われわれの「食」について考えさせる内容になっていたので、ご紹介してみます。

液状の食べ物というのは、昨今、それほど珍しいわけではありません。減量したい人のダイエット食品にも、ドロドロした飲むタイプのものがありますし、筋肉増強したい人のためにも、タンパク質メインの飲み物はあります。しかしソイレントがそれらと異なる点のひとつは、完全食品を謳っている点です。これだけを摂取していれば、ほかには何も食べなくてもよいというのです。

ソイレントを考案したのは、ロブ・ラインハートという青年で、食品関係というよりむしろ、ITとかSNS系の起業をやりそうな感じに見えます。実際、ラインハートは、ジョージア工科大学卒業後、友人二人とともにIT関係のスタートアップとして、サンフランシスコで頑張っていたのでした。

ラインハートたちの当初の目標は、携帯電話のための低価格の電波タワーを開発すること。シリコンバレーに本拠を置くインキュベーター(ちなみに「インキュベーター」というのは、魔法少女とは関係がなく(*^^*)、起業を支援する投資家たちのことです)、Yコンビネータから、17万ドルの資金提供を受けていました。しかしそのプロジェクトはうまくいかず、提供された資金のうち10万ドルはすでに使ってしまい、残り7万ドルでとにかく行けるところまで行こうと、切羽詰まった状況で踏ん張っていたのでした。

こういう場合、誰だって食事どころではなくなりますよね。経済的にも時間的にも気持ちの上でも、そんな余裕はなくなる。それでも、お腹はすく。「なんでこんなときにまで、お腹がすくのか」と情けなくなりますよね。

ラインハートも、貴重なお金をできるだけ使わずにすませようと、マクドナルドの1ドルハンバーガーや、チェーンのピザ屋で5ドルピザで乗り切ろうとしたこともあったそうです。しかし、それはまさしく、「スーパーサイズ・ミー」を地で行くようなもので、わずか一週間で挫折(ラインハート曰く、「このまま続けていると死ぬという気がしました」)。

そこで次は、ケール(キャベツの仲間で、青汁などの素材となる)で食いつなごうとしました。ケールは健康食品としてアメリカでも大流行しており、しかも値段も安いのです。でもケールだけではお腹がすいてたまらず、挫折。かといって自炊すれば、台所がとっ散らかってやってられない……。

そこでラインハートは考えました。人体には、実のところ、何が必要なんだろう? 人間を「歩く化学反応」と考えたとき、そのシステムを機能させるために、本当に必要なものはなんだろう?

「食」をエンジニアリングの観点から捉えてみようと考えたラインハートは、栄養生化学の教科書を読み、食品医薬品局(FDA)や、米国農務省、米国医学研究所などのサイトで勉強しました。そして、人間に必要だとされる化学成分を、そこらの薬局でピルやタブレットとして買うのではなく、原料となる化学物質を取り寄せ、試行錯誤の末、液状完全食品ソイレントに到達したのです。

ここまでの話を読んだところでは、「それで?」と思いますよね。思いません? わたしはそう思いました。いまどき栄養食品とか機能性食品とか言われているものは、それこそゴマンとありますからね。ところが驚くことに、投資家たちがこのソイレントにただならぬ関心を払っているのです。

ラインハートと友人たちが、ソイレントを製品化するための資金を調達しようと、クラウドファウンディングのキャンペーンを行ったところ、当初設定した「一カ月で10万ドル」という目標額が、なんと、キャンペーン開始後わずか二時間で達成されてしまったのだそうです。そればかりか、先述のインキュベーター「Yコンビネータ」や、「アンドレーセン・ホロヴィッツ」(Twitterに投資したことでも知られる、今、もっとも影響力のあるベンチャーキャピタルのひとつ)をはじめとして、多くのベンチャーキャピタルが、ソイレントに投資し始めているというのです。ちなみにアンドレセーン・ホロヴィッツの投資額は100万ドルだそうです(それがどういう金額なのか、わたしにはピンとこないのですが^^;)

いったい投資家たちは、ソイレントのどこに有望さを感じているのでしょうか? ラインハートは、オープンソースの精神に則って、ソイレントのレシピをさっさとWeb上に公開しちゃってます。コカコーラの真逆をいく戦略ですよね。レシピを公開しちゃって、どうやって商売をしようというのでしょう?

ところが、素人考えでは「ダメじゃん!」と思うようなレシピ公開も、ソイレントの画期的マーケティング戦略だと評価されているみたいなんです。公開されたレシピをもとに、DIYで「マイ・ソイレント」を作ろうとすると人たちが増えれば、社会的認知も広がり、さらにソイレントが売れるはず、ということみたいです(大雑把に言うと、ですが)。

本当に「完全食品」なのか? という点について言えば、医者は異口同音に、ソイレントだけで生きられるというのは、確かにその通りかもしれないが、人がより良い状態で生きるためには、ファイトケミカル(特定の病気を予防するといわれる植物由来の化合物)が必要だ、と警鐘を鳴らしているようです。たとえば、トマトの赤色色素であるリコピンもファイトケミカルのひとつです。リコピンは、疫学調査では、前立腺がんの発生を抑える効果がありそうだということになっているようです。また、ブルーベリーの色素であるフラボノイドは、摂取すると糖尿病の発症が抑えられると言われているみたいですね。

ラインハートも、ソイレントを開発するにあたり、ファイトケミカルを添加するかどうか考えたそうです。彼は何十もの研究論文を読んでみましたが、論文の結果が互いに矛盾していたりして、十分なエビデンスがあるとは思えなかったというのです。今の時点でファイトケミカルをソイレントに加えるのは資源の無駄遣いだ、というのが彼の判断でした。「そもそも人類の歴史の中で、どれだけの人がトマトやブロッコリーを食べたでしょうか?」とラインハート。

彼の考え方の根本には、エビデンス・ベースト(科学的根拠に基づく)の思想があります。「体に必要」なものを開発するにあたり、彼は今日ちまたにあふれる「体に良い」というもっともらしく聞こえる主張を、徹底的に疑ったのです。

ラインハートが、エビデンスを重視するようになったのは、高校三年生のときの経験がきっかけでした。彼は南部の出身で、高校三年までは敬虔なクリスチャンでした。両親も敬虔なクリスチャン。地域の人もみんな敬虔なクリスチャン。学校でも、創造説(世界は、ユダヤ=キリスト教の神が、このようなものとして作ったという考え方)が当然のこととされていました。彼の高校では卒業論文のようなものを書かなければならなかったので、ラインハートは、「進化論を論駁し、創造説の正しさを証明する」ことをテーマに設定しました。そして、考えるための素材として、リチャード・ドーキンスやクリストファー・ヒチンスの著作を読み(あららら……^^;)、 webを調べまくっているうちに……最初のねらいとは真逆の結論に到達してしまったのです。

完成した論文のタイトルは、「悪い宗教(Bad Religion)」。その論文の中でラインハートは、「なぜ私はもはやクリスチャンではないのか、なぜ私はもはや神を信じないのか」について論じたということです。その結果、彼は「F(failure、落第点)」の成績をもらい、コミュニティーでは村八分のような状態になり、親を悲しませることに……(今では、「お互い、その話はしない」ということで両親とは和解しているそうです)。

そんなラインハートにとって、「ナチュラル&オーガニック」を礼賛するムーブメントは、キリスト教根本主義を思い出させるそうです。みんな異口同音に「ナチュラルでオーガニックなものは体に良い」と言うけれど、でも、「体に良い」というエビデンスは、じつはグズグズなんですよね。(この点、ラインハートの言うことには一理も二理もあると思います……。わたしなども、「ナチュラル」「オーガニック」「ホリスティック」は、今日の健康をめぐって思考停止をまねく三大キーワードじゃないかと思っているくらいです。こんなこと言っちゃって、お気を悪くなさった方がいたらごめんなさいね。)

それとも関係するのですが、「ソイレント」という名称は、1973年の映画『ソイレント・グリーン』に着想を得たものだそうです。この映画は、人口が増加したせいで資源が枯渇し、格差が拡大した未来社会を描いています。特権階級を除くほとんどの人間は、ソイレント社が作る合成食品「ソイレント・グリーン」の配給を受けてどうにか生き延びているのですが、その食品の原料は、なんと……人間だったのです!

なんとおぞましい! 普通、そんなエグイ名前を、自分の開発した食品につけようとは思いませんよね。当然、ラインハートはみんなから、「名前を考え直してはどうか」と言われるようです。でも彼は、名前を変更するつもりはさらさらないもよう。「名前を変えたら?」と言う『ニューヨーカー』の記者に対しても、彼は次のように語っていました。「ソイレントが有名になれば。誰も昔の映画と結びつけて考えたりしなくなりますよ。スターバックスと聞いて『白鯨』のことを思い出す人がどれだけいるでしょう?」(コーヒーチェーン店「スターバックス」の名前の由来は、『白鯨』の一等航海士スターバックなんですよね)。

しかし「今に誰も映画なんて連想しなくなる」というのは、ラインハートが「ソイレント」という名称を積極的に採用する理由にはなりません。いったい何が、彼にこの名前を選ばせるのでしょうか? どうやら彼は「ソイレント」という言葉を、「ナチュラル&オーガニック」で「新鮮で色鮮やか」な、「体に良い」とされる食品の対極に位置づけているようにみえます。心休まるイメージ取り巻かれた「ナチュラル&オーガニック」ムーブメントに対し、(あえて戦闘的に言うなら)宣戦布告しているのかもしれません。

たしかにソイレントは、「ナチュラル&オーガニック」どころか「ケミカル」です(もちろん炭素化合物は含んでいますけど、「オーガニック」を唱道する人たちの言う「オーガニック(有機的)」はそれとは別の意味ですものね)。「新鮮」とは対極的な「貯蔵性の良さ」を備え、どう見ても「色鮮やか」とは言えない、ベージュ色の飲み物なのです。

「体に必要」なものを追求したソイレントは、「体に良い」というオーラをまとう「ナチュラル&オーガニック」な食べ物に疑問を突きつけている、と言えるかもしれません。

しかしもうひとつ、もっと大きな枠組みでソイレントが突きつけるのは、逆説的ではありますが、人間にとって「食」というものが、どれほど大きな文化的な意味を持つか、ということだと思うんです。

『ニューヨーカー』のレポーターであるリジー・ウィディコムさんが、自分でもソイレントをやってみて痛感したのは、人間は、体の維持という名目のもとに、どれほど大きな楽しみに耽溺していることか、ということだったそうです。三食、何もしなくても、ソイレント飲むだけで良いといわれても、あれも食べたい、これも食べたい、と考えてしまいますよ。買い物も、料理も、あと片付けも大変かもしれないけれど、家族や友人たちと食卓を囲みたくはありませんか?

「食」って、本当に、文化的なもの。そこから文化を取り除くなんて、考えることもできないほどです。

私自身についていえば、できることなら、スーパーに買い物に行って、料理をして、家族と食卓を囲む食生活を続けたいです。あんな料理、こんな料理をしてみたい。うまくいった、おいしかったと喜んだり、あちゃー失敗しちゃったと笑ったりしたい……。

ソイレントは、「歩く化学反応」としての人間と、文化的存在としての人間との乖離を見せつけるものだと思うんです。たいていの人は、できることなら、文化的で豊かで楽しくて美味しい食生活をしたいでしょう。でも、自分がそんな食生活をしたいと思い、実際にそれを許される状況にあるからといって、その乖離を見つめずにすむほど、今日の人間を取り巻く状況は甘くないとも思うのです。

早晩、ほとんどすべての人の食生活に関係してくるとみられるのは、気候変動の影響です。気候変動の影響はまず、食品を通して現れるだろうと言われています。供給される食料の種類も変わるだろうし、価格もまた大きく変わっていくでしょう。そのとき、私たちの体には、本当のところ、何が必要なのかを知ることは重要です。

そもそも温暖化の影響うんぬん以前に、今現在も、内戦などの結果として飢餓と栄養失調に苦しめられている人たちが大勢います。そういう人たちに届ける食料は、どんなものであるべきなのでしょうか? 

肥満の問題も深刻化しています。つい最近の4月29日、イギリスの医学誌『ランセット』電子版に、ワシントン大学や東大などの国際チームの報告が発表されました。2013年における、約180カ国の状況を解析したところ、太ってるか痩せてるかを示す指数BMIが、25を超える肥満の人は、世界全体で成人男性の37%、女性では38%にのぼるそうです。全世界では21億人が肥満で、1980年の8億6千万人から大幅に増加しているそうです。

肥満は、途上国や貧困層に多いんですよね。太ってはいるけれど栄養失調で、生活習慣病のデパートのようになっており、とくにアメリカでは医療費にとって大きな負担になっているのはよく知られています。

また、食事どころじゃない時期ってありますよね? 『ニューヨーカー』の記事の中には、カリフォルニア工科大学の数学や物理の院生たちが、ソイレントDIY実践者として登場していました。うんうん、わかるわかる。体を壊しては研究もできなくなるから元も子もないんだけど、今、頑張んなきゃ、って時はあります。

私自身についていえば、当面、ソイレントをやるつもりはありません。しかし、ソイレントが提起する問題の大きさはわかります。ソイレントは、「食」というものが、分厚い文化的な意味に取り囲まれているということを、改めて思い知らせてくれる。さらにまた、そういう文化的な意味をいったん取り払ったところで、「人間の身体には何が必要か」をきちんと考えなくちゃいけないということも、よくわかるのです。

この5月、最初のソイレント3万ユニットがアメリカ中に発送されたとのこと。まもなく、日本でも購入できるようになるでしょう。いっぺん、試してみます?(笑)
 

・ソイレント社のページはこちら

・DITでソイレントをやる人のためのページはこちら

※このサイトの使い方、さらには(日本では将来的に)アマゾンで材料をまとめて購入するための方法を、日本語で説明した記事がありました。

さて、直接的にソイレントに関する話は、以上で終わりです。以下、本文と関係する話題を少々。高校生時代のラインハートに大きな影響を及ぼしたリチャード・ドーキンスですが、日本にいると、ドーキンスの宗教批判は、いまいちピンとこないんじゃないかと思うんですよね。私は、ドーキンスが宗教批判をするのは、アメリカの知識人に対するエールなんじゃないかと(少なくとも一部には)と思ってます。アメリカの知的状況って、われわれが思う以上に深刻です。それゆえドーキンスの存在もまた、われわれが思う以上に大きいんじゃないでしょうか。

好奇心の赴くままに ドーキンス自伝I: 私が科学者になるまで

作者:リチャード ドーキンス
出版社:早川書房
発売日:2014-05-23
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂
  • HonyzClub

そんなドーキンスの自伝(上巻)が刊行されました。軽いウィット、鋭い科学的洞察が、不思議なほど自然に同居しています。そこに描かれる、文化的、社会的な時代背景もほんとうに興味深く、思わず引きこまれます。科学に恋した男の、胸熱自伝! 読ませます!
 

宇宙が始まる前には何があったのか?

作者:ローレンス クラウス
出版社:文藝春秋
発売日:2013-11-29
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂
  • HonyzClub

ドーキンス、ヒチンスとくれば、忘れてはいけないのがローレンツ・クラウス。三羽がらすですもんね~!『宇宙が始まる前には何があったのか』は、クラウスがあなたに語る宇宙探求の物語。そして、宇宙を科学的に知ろうとすることが、人間を照らし出す光にもなるんですね。だから、科学って面白い! この6月20日からは、NHK・Eテレでクラウスの宇宙白熱教室も始まります。乞うご期待!  

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

『決定版-HONZが選んだノンフィクション』発売されました!