『無業社会 働くことができない若者たちの未来』

麻木 久仁子2014年07月24日 印刷向け表示
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無業社会 働くことができない若者たちの未来 (朝日新書)
作者:工藤 啓
出版社:朝日新聞出版
発売日:2014-06-13
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いつのまにか浮き世はギスギスし、何かと言えば自己責任、である。お互い様とかお陰様という「生温い」言葉は流行らないらしい。「努力するものが報われる社会を」というスローガンもよく聞いたものだが、その意も「報われない者は努力が足りないのである(だから自己責任ね)」とすり替わりつつあるようだ。そして「こんな時代に負け組になったりしたら大変だ」という恐れの気持ちは、「いやいや、あいつらと自分は違う。あいつらは努力が足りんのだ。自分は大丈夫」と、恵まれないものや躓いたものを蔑視することで、しばし慰められるのだ。「情けはひとのためならず」って本来どういう意味だったかしら。「甘やかすと相手のためになりません」でしたっけ?

こうした自己責任の文脈で医療、介護、年金、生活保護、労働政策等々が語られる。甘えないでください、頼らないでください。経済的にも不安な世の中である。不安だと人は余裕をなくす。人のことまで構っていられない。ですから皆さん自己責任でお願いします。というスパイラルだ。

さて、働いていない若者の話だ。いい若い者が働いていないとは! 眉を顰めるのは大人ばかりではない。当の若年世代からも「私たちの世代が怠惰だと思われるのは彼らのせいだ。彼らが無業になったのは、私たちとは関係ない話だ」という言説が多く発せられているらしい。自己責任論か、そうでなければ「若いんだからなんとかなるでしょ」という無関心であろう。

だが本当にそうなのか。かれらが「ちょいと心を入れ替えさえすれば」片付く話なのか。そもそも、「われわれ」と「かれら」は、本当に「違う」のだろうか。

本書は若年無業者に対する様々な誤解と構造的問題の見落としを、数多くの統計や個別の事案を積み重ねて、解きほぐしていこうと試みている。著者の工藤啓氏は若年就労支援を専門とするNPO「育て上げネット」の理事長で、無業に追い込まれた若者の個別事情に詳しい。共著者の西田亮介氏は工藤氏を通じてこの問題を知り、実情・実態をデータによって明らかにするという作業に着手、自身も大学教員とはいえ任期付であり、任期満了後のキャリアがどうなるかわからないことを思えば決して他人事ではないという実感を持っている。

若年無業者の数は200万人を超え、15歳から39歳までの若者のうち16人に1人となっているそうだ。このうち多くの者が働くことを厭うことなく、現に就労経験がある。にもかかわらず無業となり、その後求職活動をしない(できない)理由に挙げるの「病気・けが」である。一方でこうした若者たちに対する支援は実に少ない。社会のセーフティーネットは高度経済成長時代のままで、支援は主に高齢者に振り向けられている。右肩上がりで成長することが見込まれている時代においては、若いうちの貧困も「明日はおのずと解決するもの」であり、ならば若いうちに苦労しておくのはよい経験とも言え、美徳ですらあると思われていた。

だが、こうした前提はとっくに崩れている。若年世代の失業率は、全世代の失業率より高い水準にあり、90年代後半の就職氷河期以降、正規雇用の就労は悪化の一途だ。しかも日本社会は人材育成の機会を学校と企業が独占してきたので、一度そのルートを外れると再び労働市場に戻ることはとても難しいのだという。「どんな仕事でもいいではないか、文句を言わずに働け」というが、キャリアを積んでいく機会を奪われたものたちが、意欲を維持するのは大変につらいことだろう。それでも、と頑張って頑張って、ついに心や体を壊してしまうこともある。しかも一度無業状態になると人間関係や社会関係資本も途切れてしまい、一気に孤立してしまうのだ。こうして履歴書に空白が出来ると、さらに厳しい状態に陥る。これを「自己責任」で片付けても、現実には自助努力のみで抜け出すことはなかなか出来ない。若者の雇用を取り巻くシステムの問題と、経済成長が以前のようには見込めないという社会背景は、個人のみの力ではね返せるものではない。ただでさえ数の少ない若者たちである。かくも多く無業者になってしまう状況は、彼ら自身のみならず、社会全体の大きな影響があるのは自明だろう。

本書に登場するいくつかの個別事例を読んでいると、無業状態に陥るまでのプロセスが、実にさまざまであることに気づかされる。資格試験に挑戦して勉強していた期間が履歴書の空白期間となってしまい、資格を諦めた後の就職活動が暗礁に乗り上げてしまった例。大学在学中からアルバイトをしていた会社に認められて正規雇用になったものの、会社の経営が悪化してリストラされてしまった例。有名私大を卒業後、飲食店チェーンに就職したが労働条件が事前に聞いていたものと全く違い、上司との軋轢が増して退職に追い込まれた例などなど。

これらをどう捉えるかは、さまざまかもしれない。中には「もう一踏ん張りできないか」と感じるむきもあるかもしれない。世の多くの人々はみんな「頑張っている」。自分は頑張っているという自負があると、「あなたももっと頑張りなさいよ」と言いたくなる。が、人間はいつもいつも機械のように同じペースで生きられるわけではない。体や心が弱くなるときもあれば、運や縁に恵まれないときもある。判断を誤るときもある。そういう「人生のボタンの掛け違い」は誰の身にも起こりうることにもかかわらず、やり直すチャンスが極端に少ないことが問題なのだ。

西田氏は言う。

事実やデータは、「自分が現在、普通に生活できているのは、偶然の産物かもしれない」というような懐疑を持つのに、十分なものだった

第一次安倍内閣のもとでは「再チャレンジ」をキーワードとして「内閣府特命担当大臣(再チャレンジ担当)」というポストが設置されたが、その後廃止されてしまった。状況はますます悪化しているにもかかわらず、政治も世論も関心を失ったかに見える。

が、「若年問題」は「子供のこと孫のこと」と思えば幅広い世代の問題でもあるのだ。私自身、まもなく成人する子供をもつ親として、身につまされつつ読んだ。

定量的な分析と、事例を通してこの問題を考える、恰好の入門編として本書をおすすめしたい。
 

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黒井 蜜2014.7.30 10:01

いや、甘えでしょ。働かないなら殺すと言われりゃ何だってやりますよ。それに会社なんて単なる自分を生かすための乗り物なんだから、なくなった時のことは常に想定しておかないと。

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