『フラッシュ・ボーイズ』 ナノ秒速で100億ドル以上を稼ぐ男たち

内藤 順2014年10月13日 印刷向け表示
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フラッシュ・ボーイズ 10億分の1秒の男たち
作者:マイケル ルイス
出版社:文藝春秋
発売日:2014-10-10
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ウォール街を震撼させたと言われる、マイケル・ルイス待望の新作。一読して心底驚いた。

その小説のような文体もあいまって、まるで架空の話のような印象も受ける。だが本書に出てくる、超高速取引(HFT)業者、フロントランニング、ダークプールといった単語を検索すると、全て実在の出来事である証拠が出てきて、現実に引き戻される。

そしてなによりも、投資するほどの資産を持ち合わせていなかったことを心から幸運に思った。

世界第9位の銀行、カナダロイヤル銀行(RBC)のニューヨーク支店に勤務するブラッド・カツヤマは、ある日電子取引の最中にマーケットの妙な動きに気が付く。

取引画面には、ある企業の株式1万株が売り気配22ドルと、確かに表示されていた。だが購入しようとボタンを押した瞬間、その1万株が蜃気楼のように消えてしまうのである。しかも一度のみならず度々再発し、時にはミニ暴落すら引き起こす。それはまるで市場が彼の心を読み、先回りして売り注文を変えてしまったような現象であった。

すぐさまシステム担当者に連絡をするが、解決するわけもない。なぜならその時、市場の大部分は一部の”ならず者”達によって占拠されてしまっていたのである。

かつて、トレーダーが取引できる速度には人間的な限界があった。潮目が変わったのが2008年、取引所が13個所へと増えてからである。取引所の拡大は電子取引を促進し、取引所とは単にデータセンターに置いてあるコンピューターを指すに過ぎなくなってしまう。それが想定もしていなかった市場の変化を引き起こしたのである。

ニューヨーク証券取引所(Wikipediaより)

そこに暗躍してきたのが、超高速取引業者というもの達であった。瞬きのスピードも遠く及ばないナノ秒という単位。彼らはその間に、無数の取引を交わす。

たとえば、ある会社の株式を1000株購入することを仮定する。本来、複数の取引所の中で最も安い購入額を探してから買い入れることがベストな選択だろう。だが、最初の取引所と超高速取引業者がグルであった場合、100株程度の少量注文のみが受け付けられ、お客のニーズが完全に把握されてしまう。

そして次の瞬間、スピード差を利用して他の取引所に先回りして株を買われてしまい、通常より高値で買うことを余儀なくされてしまうのだ。こうしてナノ秒単位のスピードを確保した彼らが手にする金額は、年間100億ドルとも200億ドルとも言われており、しかもこれが合法であるという。

ナノ秒をめぐる常軌を逸したネット内での競争は、ネット外でも不思議な狂想曲を生み出した。取引所内での壮絶な場所取り合戦、サーバーやルーターといった装置の頻繁な交換、さらにはデータセンターと証券取引所の間のケーブルを少しでも直線的に引くためにトンネルを掘り続ける男たち。まるでコントのような光景に、何千万ドルという金が飛び交う。

スピードを基盤とする格差。それはまさにネットワークによって再構築された、新たな地政学であった。スピードを持つ者は市場の完全な姿を堪能し、持たざる者はカモにされるのみ。オープンで民主的だからこそ成り立つ金融市場には、不可視でハイコンテキストなレイヤーが構築されていたのである。

Photo by Ian Murphy on Flickr

本書の主人公ブラッド・カツヤマがその全貌に気が付いた時、進むべき選択肢は2つあった。1つはその仕組みを活用して会社に利益をもたらすこと、もう1つはその事実を広く知らしめ正常な状態に戻すためのキャンペーンを行うこと。彼が選択したのは後者であった。

見えざるパズルのピースを求めて一つ一つ検証していく行為には、そのものが物語を構築するような労がある。だがブラッド・カツヤマは様々な出自の仲間を率いて、フラッシュ・ボーイズに対抗するための新しい取引所(IEX)を立ち上げた。超高速取引を超低速取引で迎撃するなど、奇想天外な手技を繰り広げていく様は、本書の最大の見せ場と言えるだろう。

その顛末を読み終えると、今の金融業界ってこんな風になっていたのかという素直な驚きとともに、自分の関連する業界のことも顧みずにはいられなくなる。どこの業界でも見かけるテクノロジーとの衝突、その考えられ得る最悪のシナリオが提示されているのだ。

その道のプロフェッショナルであるほど、自分の業界の最先端のことを表面的にしか理解していないケースは多い。たとえば広告業界においても、本書に登場するような超高速取引をモデルにしたRTB(リアルタイム入札)が盛んに行われるようになっているが、そのメカニズムやリスクをきちんと理解している人はどれくらいいるのだろうか。

あるいはコンテンツ流通の仕組みを他社やアルゴリズムに委ねることの多くなったメディア業界全般にも通じるような話なのかもしれない。もしも少数の人間が作り出した無数の”ならず者”コンテキストに取引が支配されたりしたら...。考えただけでも身の毛がよだつ。

金融業界でこうした出来事が起こった要因の一つには、テクノロジーの進化を想定せず、人間スケールのみで規制が考案されたという経緯がある。また数値化された定量的な結果が全てという業界の特異性も大きく影響していることだろう。だが、行き過ぎたコンバージョン主義は、どこの業界でも見られる光景であるし、プロセスの無知を自覚せずに、知ったかぶりをすることが悪の片棒をかついでしまうことになり得るということは、重い教訓として受け止めたい。

「やられたら、やり返す。倍返しだ!」そう言えていた時代は、まだ良かったのだ。やられたことにすら気付かない、そしてやられた相手が誰であるかも分からない。本書においても、フラッシュボーイズの素顔の表情は、最後まで明かされない。その実体は取引画面の向こう側に、かろうじて気配として存在するのみ。

そんな非対称な相手に勝負を挑むブラッド・カツヤマという人物は、ごくごく普通の感覚を持ち合わせた、努力型の秀才という印象だ。常識的な感覚を持っていることが、異端のヒーローへの必要な資質となる。それ自体が、ウォール街の狂気を表しているとも言えるだろう。

超高速取引業者の全てが悪とは言えないし、ある一つの視点に過ぎないという指摘もあるかもしれない。でもだからこそ、正義のヒーローが巨悪を倒すという勧善懲悪型の物語すら、テクノロジーによって葬り去られてしまったことを痛感する。

分断されたピースを物語としてつなぎ合わせた業界ものとしての面白さ、現在進行形の話題に数々のアジェンダを打ち込んだノンフィクションとしての新しさ。これを市場が、そして世の中がどのように受け止めるのか、これほど楽しみな一冊もそうそうあるまい。

ライアーズ・ポーカー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
作者:マイケル ルイス
出版社:早川書房
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作者:NHKスペシャル取材班
出版社:新潮社
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