漫画でしか表現できない科学『ドミトリーともきんす』

野坂 美帆2014年10月27日 印刷向け表示
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ドミトリーともきんす
作者:高野 文子
出版社:中央公論新社
発売日:2014-09-24
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この本は、一見すると科学書の読書案内である。「ドミトリーともきんす」という下宿屋に寄宿しているという設定で、著名な科学者たちが寮母のとも子、娘のきん子と語りあう。彼らの言葉をたどるストーリーの中で、彼らがどのように考えて研究していたのか、何が彼らを魅了していたのかが描かれる。登場する科学者は、朝永振一郎(物理学)、牧野富太郎(植物学)、中谷宇吉郎(物理学)、湯川秀樹(物理学)。各話の最後にはその著作の中から文章が引かれ、解説が付されている。

読書案内なのだけれども、どうもそれだけではないようだ。まずはいきなり、球面世界についての一話から始まる。理論物理学者ジョージ・ガモフの科学啓蒙書「不思議の国のトムキンス 第5話 脈動する宇宙」に想を得て書かれたというこの導入、幻想的な話に思えるかもしれないが、これは物理なのである。宇宙の曲率、収縮と膨張について書かれたというトムキンスの第5話からインスパイアされた球面世界の物語。幻想的なようでいて、間に挟まれる理論の説明に、明らかに科学の物語だと分かるようにされている。物理に詳しい人にはその背景にある理論がすぐにわかるだろう。物理に詳しくない人には、作中でなされた簡単な説明にどこか狐につままれたような気持ちにさせられる。しかしそれは難解な印象ではなく、もう少し説明が聞きたい、と思わせるものだ。

以下に続く各話には、ここまではっきりとした理論の説明はない。どの話も科学者たちの随筆や日記、入門書から文章を引いていて、ストーリー自体は簡潔だ。しかし読売新聞の書評にもあるように、どうも絵が怪しい。セリフと関連付けられて、線の一つ一つ、コマ割りまで何かの意図が隠されているような気がしてくる。そこに隠された科学は何だろうと、頭をひねってしまう。そう、この本はただの読書案内ではない。科学の世界に読者を導く科学読み物としての側面を持っている。

ある人は科学の本を前にしたとき、忌避する気持ちを持つ。それは間違いではない。文理の壁、その文の中にいた人間にとって、数学や化学、物理、生物はただテストのための学問であったかもしれない。数式は永遠に相いれない外国の言葉であるかもしれない。ある人は文学や芸術を前にしたとき、忌避する気持ちを持つ。理の中にいた人間にとって、感情の揺らぎや取り巻く世界をただ定義の曖昧な言葉というものだけで表現しようとすることは、理解できないかもしれない。受け取り手に補完される絵画や音楽は、未完成なものに思えるかもしれない。しかし、科学と文学や芸術は似ている部分があるのではないか。そう言うと、どちらの側からも批判されてしまうような気がするけれど、この本の中ではそれを自然なこととして受け入れることができる。最終話で朗読される「詩と科学―子どもたちのために―」湯川秀樹の詩がすとんと胸に収まる。

漫画でしか表現できない科学がここにある。科学という切り口でもってしか成り立たない表現がある。本書は、人気漫画家12年ぶりの新刊、ということで、非常な注目を集めている。『るきさん』黄色い本』など今までの著者の作品からは予想できないモチーフを描いており、驚くファンもあっただろう。しかし、だからこそ、今まで高野文子作品に触れたことのない読者にも手に取られることがあるのではないか。自然体でなされたようでいて、様々なたくらみに満ちた一冊を、ぜひどの分野の門徒の方も読み解いてみてほしい。 

トムキンスの冒険 (G・ガモフ コレクション)
作者:ジョージ ガモフ
出版社:白揚社
発売日:1991-11
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鏡の中の物理学 (講談社学術文庫)
作者:朝永 振一郎
出版社:講談社
発売日:1976-06-04
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物理講義 (講談社学術文庫)
作者:湯川 秀樹
出版社:講談社
発売日:1977-10-07
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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
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