『粘菌 偉大なる単細胞が人類を救う』“単細胞”は、もはやアホの代名詞ではない

峰尾 健一2014年11月09日 印刷向け表示
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粘菌 偉大なる単細胞が人類を救う (文春新書)
作者:中垣 俊之
出版社:文藝春秋
発売日:2014-10-20
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物理学賞のトリプル受賞により日本を沸かせたことで記憶に新しい、ノーベル賞。その陰で、権威や注目度は大きく違えども、独特な存在感を醸し出している賞がある。イグ・ノーベル賞だ。「まずもって人々を笑わせ、次に考えさせる研究」に対して贈られ、今年日本からは、北里大学の馬淵教授らの「バナナの皮を踏むとなぜ転びやすくなるか」を学術的に解明した研究が「イグ・ノーベル物理学賞」を受賞。バナナ片手に歌いながら研究成果をスピーチする姿も話題になった。

日本人の受賞は今年で8年連続と、実は本家よりハイペースな受賞頻度を誇るこの賞。その栄誉(?)に2度も輝いたのが、粘菌の生態に関する研究である。著者は粘菌をはじめとする単細胞生物の研究を続けて25年になる研究者で、2度の受賞の中心人物だ。

粘菌。日常生活ではなかなか口にしない名前だが、実はちょっとした藪や都会の植え込みにも潜んでいる身近な生物だ。湿気を好み、特に森林ではよく発見されるらしい。「変形体」と呼ばれるアメーバ状の姿で動物のように(1時間に数センチ程度ではあるが)動き回ることもあれば、悪環境下においては植物のように動きを止め、「子実体」と呼ばれる形態に変化して胞子を飛ばし、子孫を残そうとする器用な一面も持っている。

見た目も特徴的なものが多い。例えば下図はビビットな黄色が眩しいモジホコリの変形体。

  

(モジホコリの変形体  Wikipediaより)

他にも米粒サイズのキノコのようなクモノスホコリの子実体や、白珊瑚のように美しいツノホコリの子実体など、色も形も違う個性派が揃っている。(クモノスホコリとツノホコリの子実体の写真はこちらから)

ちなみに、一口に粘菌といっても、細胞性粘菌、原生粘菌、真正粘菌と分類がある。本書で取り上げられるのは真正粘菌だ。本書では、その中から著者の研究対象であるモジホコリという粘菌の変形体(上図)を例に挙げ、(真正)粘菌の生態が語られていく。なお、理解しやすいように以下では本書にならって、厳密ではないが「粘菌」として書くことにする。

粘菌と聞いて、この実験を思い浮かべる方もいるかもしれない。2008年の「イグ・ノーベル認知科学賞」受賞に大きく貢献した、粘菌の問題解決能力を示す迷路解き実験である。こちらを見て頂きたい。迷路の経路全体に粘菌を張り巡らせた後に、迷路内の2地点にエサを置いてしばらく放置すると、粘菌は次第に遠回りの経路から身を引き、2つの餌を結ぶ最短ルートに陣取るのだ。目を凝らして見ると、直角な曲がり角も無駄の少ないコーナーワークでやり過ごしていて、実にスマート。

さらに粘菌は、鉄道網の設計までやってのける。関東圏の主要な都市30あまりを選んでその地理にあわせてエサを置くと、実際のJRの鉄道網に似たネットワークをつくりだしたのだ。この研究成果には2010年の「イグ・ノーベル交通計画賞」が与えられているので、似ているというのは一部の研究者の主観ではないといえるだろう。本書帯には、粘菌ネットワーク北海道版の写真も載っている。

賢いだけでなく、どこか人間らしい振る舞いを見せることもあるという。それを示すような実験がある。まず縦に細長いレーンを用意し、その端に粘菌をおく。すると粘菌は反対の端に向かって動き出すのだが、そこであらかじめ、レーンの途中に粘菌が嫌うキニーネという化学物質を塗っておくのだ。真っ直ぐなレール上に収まり、横移動はできない状況で、行く手を阻むキニーネ帯に近づいた粘菌はどう動くか。

結果を言うと、数時間も手前で立ち止まった後、乗り越えようと前進したり、引き返したり、はたまた2つに分裂して前後に動いたりと、その時々で異なった行動をとるのだ。「いこかもどろか」とウンウン悩んでいるようなこの行動を著者は、粘菌の「ためらい」と呼ぶ。なぜこうなるか詳しくは分かっていないようだが、逡巡する様子を見ると粘菌にも心があるようで、なんだかほほえましく思える。

これらが脳も神経もない単細胞生物の話だと思うと驚かずにはいられない。南方熊楠が粘菌に熱中していたというのも頷ける。ミドリムシにも熱い視線が注がれているように、単細胞生物の生態はこれからますます発掘されていきそうだ。「やーい、単細胞」と言った側がアホと思われる時代がやってくる。

ちなみに、本書は粘菌の生態がひたすら語られる本ではない。例えば第1章はイグ・ノーベル賞受賞の顛末記だ。さらに第6章「ヒトは粘菌に学べ」では、粘菌から物の見方や考え方を学ぼうとする。著者は、理屈っぽい話ばかりになってしまったという前著(確かに粘菌の話でびっちり)への反省があるらしく学術的な解説も控えめだ。サイエンスものに抵抗がある人でも問題なくおすすめできる。

粘菌研究はまだまだ発展途上だ。さらなる生態の解明だけでなく、実生活への応用も期待されている。巧みに環境へ適応する粘菌の情報処理能力を利用し、より柔軟な発想のできる粘菌コンピュータの研究開発も進められているらしい。将来、ヒトが粘菌の力にあやかる時代が来るのかもしれない。3度目のイグ・ノーベル賞どころか、本家の方にもそのゆっくりとした動きでじわじわと近づいているのだろうか。今後も、粘菌の動向から目が離せない。
 

粘菌 その驚くべき知性 (PHPサイエンス・ワールド新書)
作者:中垣 俊之
出版社:PHP研究所
発売日:2010-04-21
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著者の前著。より理屈っぽい話がのっているので、粘菌をもっと知りたくなった人におすすめ。

森のふしぎな生きもの 変形菌ずかん
作者:川上新一
出版社:平凡社
発売日:2013-06-07
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変形菌とは粘菌のこと。粘菌の写真と解説が盛りだくさん。ちなみに写真を撮っているのはあのレジェンド本『くう・ねる・のぐそ』の著者でもある、伊沢正名さん。粘菌たちの一番いい表情(に違いない)が収められている。また、HONZでは以前に野坂美帆が紹介している。

イグ・ノーベル賞 大真面目で奇妙キテレツな研究に拍手!
作者:マーク・エイブラハムズ
出版社:阪急コミュニケーションズ
発売日:2004-03-19
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