『紳士協定 私のイギリス物語』文庫解説 by 鴻巣友季子

新潮文庫2014年11月16日 印刷向け表示
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紳士協定: 私のイギリス物語 (新潮文庫)
作者:佐藤 優
出版社:新潮社
発売日:2014-10-28
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『紳士協定 私のイギリス物語』は、佐藤優の一年あまりにわたるイギリス留学生活を主に綴ったノンフィクションである。その前後のソ連における外交官としての仕事についてもいくらか書かれているが、メインはイギリスでの語学研修生活で、さらにその3分の2は、ライン・エンドという小さな集落にある英語学校に通ったひと月半の記録に費やされている。

対ロシア外交での活躍で知られる著者の、イギリス留学記、しかもスタートは英語研修。本書を手にしたわたしは意外の念をもったが、ここには佐藤氏の初めての「外交」ともいうべきイギリス少年との関わりのなかに、その思考の原点が明快に記されていた。

タイトルからして、憧れのパリに遊学した永井荷風の『ふらんす物語』など想起させるが、佐藤優はみずから望んで、ロンドンの北西56キロにあるバッキンガムシャー州ハイ・ウィカム郊外の田舎村にやってきたわけではない。むしろ、政府派遣留学生として2年間のロンドン留学を命じられた英文学者・夏目漱石の心情にやや近いかもしれない。佐藤氏がこの村に行き着くまでには本意ならぬ紆余曲折があり、その経緯と言語的・学問的な「ねじれ体験」が、まずはとても興味深い。

東西冷戦下、外務省に専門職員として入省した佐藤優は、1986年、「ロシア・スクール」(外務省でソ連との外交に従事する語学閥)の一員としてロシア語の研修を命じられる。しかしこの時点からして、彼としては大いなる「期待はずれ」だったようだ。同志社大学で組織神学を学んだ佐藤氏はチェコの神学者ヨゼフ・ルクル・フロマートカに強い影響を受け、受肉論について本格的に研究を進めたいと考えていた。だから、外交官になったというのだ。

「えっ? 神学を究めるために外務省に入った?」と、驚く読者のほうが多いのではないだろうか。日本ではなじみの薄いであろうこのチェコの神学者はどのような立場の人か、また、それによって佐藤氏がなぜ外務省に入省することになったのか。そのあたりのことを端的に説明する一節を本書から引く。欧日交流基金EJEFの英語教師とのやりとりだ。

「フロマートカというと、カール・バルトと近しい立場の神学者ですね。政治的には、社会民主主義というよりは、共産主義に近い立場を取りましたね」

「そうです。ただし、1968年の『プラハの春』では、ソ連軍の侵攻に反対しました」

「しかし、それは反共主義の立場からではありませんよね。むしろ、本来のマルクス主義はこういうものではないという新左翼的な立場だったと思います。フロマートカやバルトに関心をもつ人が外交官になることは、珍しいですね」

佐藤氏はプラハに留学してフロマートカの研究をしようとするが、チェコスロバキアは社会主義国なので神学の留学生を受け入れないし、反ソ的立場をとったフロマートカが研究対象となればなおのことだ。しかしいろいろ調べるうち、外交官試験に合格すると、チェコに2年間留学できることがわかったのだという。「それで受験勉強をして、外交官になった。しかし、外務省は、チェコ語ではなくロシア語を勉強することを命じた。正直に言うと、ショックを受けた」が、とりあえずロシア語を勉強し、チェコスロバキアには休暇をとって出かけ、資料集めをしたり、フロマートカの直接の知人に話を聞いたりしようと、プランを改めたと言う。英語教師も言うとおり、前代未聞の(?)入省動機ではないだろうか。

さて、ロシア語研修ならモスクワ国立大学に行くのかと思いきや、まだまだ先は長い。当時はレーニンの信条により、「スパイ活動を防止するためには、ロシア語が上手な外交官が育っては困る」というので、資本主義国から留学してくる外務省のロシア語初級生には、「できるだけロシア語が上達しないよう」な特別コースが設けられていたとのこと。このため、最初の一年ほどは、ロンドン西郊のベーコンズフィールドにある陸軍語学学校でみっちりロシア語の基礎をやらされる。

では、この陸軍語学学校に入学かと思いきや、ロシア語の授業は当然、英語で行うし、外交官には「ロシア・スクール」であろうと英語力が必須のため、ひと夏はハイ・ウィカム郊外にあるEJEFの語学学校で英語をごりごりと仕込まれる。そこでホームステイ先に割り当てられたのが、ストッケンチャーチという村の中流階級の家だった。

長いいきさつである。チェコ語で神学を研究するために、外交官としてロシア語を学ぶことになり、そのロシア語を学ぶために、この小さな村へ英語の勉強をしにきたのだ。しかしロンドンで鬱々としていた漱石と違って、佐藤氏はこのねじれ体験に力強くぶつかっていく。そして彼の英語学習の最高のパートナーとなるのが、ホームステイ先の末息子「グレン」くんだ。

ファーラー家は、技師の父と郵便局に勤務をする母、兄と姉、そしてグラマースクールに通うグレンに、犬1匹という家族構成だ。家は「2軒続きの家の1軒」とのことで、これは「セミ・デタッチド・ハウス」ではないだろうか。

わたしは佐藤氏が留学した2年前の1984年、語学学習のためにロンドンに滞在していた。下宿先はロンドン中心部からチューブ(地下鉄)で北西に20分ほどの郊外地で、やはりセミ・デタッチド・ハウスの中流家庭だった。その下宿のおばさんに教わったことを思いだすに、イギリスの個人住宅を大きく3つに分けると、デタッチド・ハウス(日本で言う一軒家)、セミ・デタッチド・ハウス(2軒つながりの住宅)、テラスド・ハウス(庭付きの長屋式住宅)となるそうで、セミ・デタッチド・ハウスはミドルクラス向き。

本書で、ロンドン暮らしの経験がある留学メイトの「武藤」くんが、ファーラー家の購読新聞を聞いただけで、「それだと、中流階級の下層で、多分、支持政党は労働党だよ」とホームズのような推理をする場面があるが、彼も言うとおり、貴族階級の長い歴史をもつイギリスでは、生活階層はいろいろな面で日本よりはっきりと分かれているし、その壁を越えるのはより難しい。

ファーラー家の父母はおそらく農家の子で、「上昇志向」によって階層をひとつ上に移動したのだろうと、武藤くんは推測する。庭でバーベキューをし自家製ビールを楽しむ一家は日本の住宅事情からすると、優雅なものだけれど、イギリスのホームステイは基本的にボランティア・ホストファミリー(無償受け入れ)ではなく、間借り代を支払う形で、ファーラー家も生活費の足しに部屋を提供しているのだ。学生のステイ中、娘は居間で寝る。

ちなみに、佐藤氏がステイ先や飲食店で食べて難儀した食べ物に「ステーキ・アンド・キドニー・パイ」と「ライスプディング」があるが、これはイギリスの食生活の「洗礼」の1つ(2つ)ではないだろうか。わたしは「キドニー・パイ」を最初にステイ先の食卓で食べたとき、これがあの悪名高い臓物料理だと気づかず、不味ずかったけれどがまんして飲みこんだ。ところが、その後に食材の正体がわかり、するとあの匂いも歯ざわりも気持ちが悪くなって、次に出てきた時にはひと口も食せなかった。

「こないだは、ぜんぶ食べていたじゃない」と、おばさんに言われ、「いや、それがその、この間はこれがどういう物か知らなくて……何だかわかったら食べられなくなりました」と、かなり不躾に答えた記憶がある。おばさんは「はあ?」という顔であきれていたが、滞在中にはもうこのパイは出てこなかった。

「食べ物は文化だからね。口に合わない物があるのは、当然だよ」と佐藤氏はグレンくんに言うが、文化や生活の壁を越える・越えないというのは、本書の大きな主題の一つになっている。

本書には、80年代の、まだ街があまりきれいでもお洒落でもなく、公衆電話のほとんどが壊れていて、「食べ物がまずい」と言われていた頃の、くすんだロンドンが描かれている。この時代、この階層家庭のグレンくんが「グラマースクール」に通っているというのは、優秀である証しだ。高額の授業料が必要な私立のパブリックスクールと違い、グラマースクールは公立で学費が安いが、厳しい選抜試験がある。もともと中世にはラテン語文法を教えていた伝統あるエリート校で、日本の感覚でいえば難関進学校にあたる。

「日本でいうと灘や開成という感じか」と、若い佐藤氏が武藤くんに尋ねると、「それとはちょっと違う。〈中略〉中流階級の子弟や、知識人の子弟、それから稀にだけれども労働者階級の子弟も入学してくる。日本でいうと湘南や浦和に似ている。〈中略〉そのグレンという子供は、僕たちが歩いてきたのとだいたい同じコースを歩き始めているな」と答える。

湘南高校は武藤くんの、浦和高校は佐藤氏自身の出身校だ。グレーター・ロンドンを東京都とすると、埼玉県はちょうどバッキンガムシャーにあたる。埼玉のグラマースクールにあたるのが県立浦和高校だと、佐藤氏はグレンに説明し、このあたりから、聡明なこの少年に、自分と似たなにかを感じ始めたようだ。

確かにふたりは知れば知るほど共通するところが多い。グレンは、同じ村からグラマースクールに進んだ子はほとんどなく、いまの学校にもなじめないけれど、地元の小学校の友人たちともすっかり話があわなくなって、孤独な思いをしている。佐藤氏も「試験の点数と、成績が何番かということばかり気にしていた」浦和高校の雰囲気が嫌だったという。ふたりとも、自分の成績は「真ん中より下」という言い方をする。佐藤氏はかつてグレンと同じ年頃の自分をおとなと対等に扱ってくれた塾の講師を思いだし、グレンにも同じように接する。ガールフレンドのことで同じように悩みもする。

佐藤氏はこの少年とロンドンの書店めぐりをし、人間の嗜好と文化の違いや残酷性などについて、深い対話を重ね、最後には大島渚監督の衝撃的な戦争映画『戦場のメリークリスマス』を見て語りあいもする。いっそ、グレンというのは、佐藤氏の少年時代の分身と言ってもいいかもしれない。そんな気がしてくる。

作者自身によれば、本書はジャンルとしては「ノンフィクション」だというが、わたしが読んでいて漠然と感じたのは、ディケンズの小説の手触りだった。とくに’Great Expectations’(『大いなる遺産』)。最初は、舞台がロンドンとイングランドの田舎だといった点が共通するだけかと思ったが、どうもそうではない。莫大な遺産の見込みを知らされた田舎の若者「ピップ」が紳士らしくなるべくロンドンに出てきて……という物語と、佐藤優の本作はストーリーやテーマから見れば、似ても似つかないだろう。しかし『大いなる遺産』というのは、年をとったフィリップ・ピリップ(ピップ)が過去を回想し、過去の自分と対話をしながら、自分を見いだし再構築していく物語だと言える。『紳士協定』では、この過去の自分の位置に来るのが分身グレン・ファーラーなのではないか……そういう思いを強めつつ、読んでいくと――。
「僕には、グレンと僕自身が二重写しになる」という若い佐藤氏の言葉がずばり出てくる。「僕は外交官になるなんて、夢にも思っていなかった。僕の両親は大学を出ていない」と彼は言う。グレンの父母も兄姉も高卒後に仕事に就いたのだった。

『紳士協定』はその深層心理上の構図において『大いなる遺産』と通底するものがあるのではないか。

そうして最後に「あとがき」をひらくと、「目に見えない自分の姿を可視化しようと懸命になって書いたのが、この作品である」という一文に出会う。佐藤氏はグレン・ファーラーという自己の分身的存在を通して、自分を批評的に捉えなおし、おそらく完全な虚構でもなければ実録でもない文章世界を誕生させたのだと思う。本書はノースロップ・フライのいう四つのフィクション・ジャンルのうち、「告白」であり「アナトミー(分析)」でもあると作者は述べているが、まぎれもない「小説」でもあるだろう。

本書を読むうちに、苦しいような、狂おしいような、愛しいような心持ちがこみあげてくる。それは、わたし自身が過去の自分と話し始めたからかもしれない。

(平成二十六年九月、翻訳家)
  

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