2014年のノーベル物理学賞は3人の日本人学者が受賞した。それぞれに強い個性があり、劇的な歴史があり、微笑ましい物語もあり、日本人の一人として誇りを感じるだけでなく、ある意味で大いに楽しませてもらった。天才たちは研究成果や創作物だけでなく、その存在そのものも偉大なのだとつくづく感じ入ってしまった。
まだ、この3人の日課について多くは語られてはいないが、過去のノーベル賞受賞者には日課を持つ人が多いらしく、記録にも残っている。日課とは当たり前のことだが、毎日決まって同じことを行うことだ。それはかならずしも仕事に直結しているものだけではない。趣味であったり、単にクセだったり、ともかく毎日欠かさず行うことだ。
たとえば、iPS細胞の山中伸弥教授は毎日昼休みに30分間のランニングをするという。毎年ノーベル文学賞候補として話題になる村上春樹もランナーだ。サラリーマン受賞者として有名になった田中耕一シニアフェローは毎日の通勤で、京都嵐電の運転席を飽きずに眺めていたという。日本人初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士は子どものころに論語の素読を日課にしていた。
ノーベル賞受賞者以外の天才でよく知られている人に野球のイチローがいる。試合期間中は朝から晩まで、昼のカレーライスからバッターボックスに入る動作まで、イチローが完璧なルーティンをこなすことを知らぬものはいないだろう。
日課を持つということは、ある種の制限や枠組みを生活に取り入れることで、日々高みを目指すきっかけになり、良い結果を得ることができるのかもしれない。それでは科学者でもスポーツマンでもない、クリエイティブを専門とするアーティストたちの日課はどうなのだろうか。本書はその興味深いアーティストの裏面を伝えてくれる好著だ。
取り上げているのはモーツアルト、ヘミングウェイ、ウッディアレン、ダーウィン、村上春樹、アインシュタインなど161人。英米の文学者が多いので、作品名を言われないとすぐに判らない人も多いのだが、魅力的なリストに仕上がっている。
たとえばベートーベン。夜明けに起きて、朝食はコーヒーだ。コーヒー一杯のために豆60粒を数えていたという。その後の日程もしっかりと決めていたようで、夕食はスープと昼食の残りとワイン、食後はビールとパイプを一服だったという。
精神分析のフロイトも規則正しい。毎朝、床屋がやってきてヒゲを剃っていた。昼食のあとはたいへんなスピードでの散歩。葉巻は一日なんと20本も吸っていたという。
画家のミロはうつ病がぶりかえすのが怖かったらしく、決まった日課をかたくなに守った。6時起床、コーヒーとパンの朝食、12時まで仕事をしてから1時間の激しい運動。質素な昼食後にコーヒーとタバコ3本。そのあと地中海式ヨガをして5分の昼寝。その後もこの厳密さで一日を過ごしていたらしい。
とはいえ、本書の価値は天才たちの日課から何かを学ぶことではないのかもしれない。むしろ会ったこともない他人の生活を覗き見ることあると思う。それが隣人だったり、無名の人だったら、犯罪になってしまう。個人情報保護法のご時世だ。
しかし、対象が天才たちであれば、なんらかの形で合法的に記録に残っているため、その生活を覗き見ることができるのだ。そこには人間臭い日常があり、それぞれに個性があり、成功も失敗もあるのだ。なかには真似のできない日課を持つ天才もいるのだが、それはむしろ異端だ。
じつは天才とはいえ普通の人たちなのだということが良く分かる。日々仕事に励みながら、その進み具合に完全に自信をもっているわけではない。なんとも勇気付けられるではないか。人生これでいいのだ。
(週刊朝日 1月23日号 週刊図書館 掲載)