『本を読むときに何が起きているのか ー ことばとビジュアルの間、目と頭の間』知ってるけど、知らなかった。

冬木 糸一2015年07月05日 印刷向け表示
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本を読むときに何が起きているのかことばとビジュアルの間、目と頭の間
作者:ピーター・メンデルサンド 翻訳:細谷由依子
出版社:フィルムアート社
発売日:2015-06-27
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あるいは、こんな冒頭に書かれている文章はすっ飛ばして先に重要な・核心的な部分だけ読もうと、はなから無視しているかもしれない。はたまた、たしかに目に情報を入れてはいるものの、文章が脳の中で意味を結ぶ前に先へ先へと進もうとしているかもしれない。かように、「文章を読む」とひと言でいっても、そのアプローチの仕方は人それぞれまったく異なってくるものだ。じっくりと読む人もいれば、ぱっとみて読み飛ばす場所を判断する人もいる。

文章を読む、殆どの場合そんなことは問題にはならない。ただ書いてある文章を読み、その意味するところを理解していけばいいのだと。だが本当にそれだけだろうか──、「読む」というのは、もっと多様で、人それぞれ違った過程を歩むものなのではないだろうか。その単純な疑問を解き明かすように、「本を読む時に、私たちは何を見ているか?(ページに印刷された文字のほかに)」と問いかけるのが本書『本を読むときに何が起きているのか』だ。

たとえば小説の主要登場人物であっても、読む人によって鮮明なイメージを展開している人もいれば、幾つかの断片的な情報(性別、小柄か大柄か、どのようなイメージを残すか)しか記憶していない人もいる。そのイメージ一つとっても、小説の映像化が起こる度に「イメージが違う!」と騒ぐ人がいることからも明らかなように読者の数だけ存在している。

文字を目から情報として取り込み、脳内で展開する。その過程で「登場人物」なり「情景」なりが、人それぞれの物として変質していく。その「過程」でいったい、何が起こっているのか。本書は主に『アンナ・カレーニナ』や『ユリシーズ』など古典文学作品を主題としてバルトやイタル・カルヴィーノを援用しながらエッセイ的に、「読むこと」それ自体を解剖するように、時間、冒頭、鮮やかさなど様々なテーマに沿って徹底的に語り尽くしていく。
 

知ってるけど、知らなかった

普段何気なく行っている「ただ、読む」それ自体の細かいプロセスを言語化されていく過程は「あ、あれがそういうことだったのか!」という「知ってるけど、知らなかった」事への発見に満ちていて、一つの視点が次々に別の発想に展開する、コンボがつながっていくような快感がある。たとえば「読む」ときに、文字を一つ一つ読んでいるわけではなく、目でとらえられるだけの単語を、水をゴクゴク飲むように取り込むのだといって次のように語りだす。

 私たちは、見ろと言われたものを想像するが、見ろと言われるであろうものも、ページの先まで想像している。登場人物が角を曲がったなら、曲がった先に何があるかを(作者が語ろうとしなくても)推測しているのだ。

つまるところ「本を読む」とは左から右へ、その時々の文字に集中して読んでいるだけでなく、常に先を予測しながら行われるものであるということだろう。これを読んでいて、よく「本をたくさん読めば、読むのが早くなる」というが、その一つにはこの「予測性」が関わっているのかもしれないなと考えが広がっていった。

たとえば、予測し、それが外れている場合、驚きと意外性によって把握が遅れる。一方、予測したものが予測したとおりに出てくるのならば、「なるほどね」とするすると読み続けることができる(もちろん、ノンフィクションの場合は「知っている」情報は読み飛ばせるのでより早くなるわけだが)。これが「本をたくさん読めば、読むのが早くなる」のメカニズムの一つなのではないだろうか。

その「予測」も正しく合っていて読み進めていければ問題ないが、「間違った予測」を「合っている」と勘違いして読み進めてしまうと誤読のきっかけになりえるだろうし──と一つの視点が続々と次の考え・発想を呼び起こしていく。ところが本書についていえば、「予測」は常に外されっぱなしだった。後述する理由により、次に何が飛び出してくるのか、予想もつかない。それでいてグラフィカルに演出されたページのリーダビリティは異常に高い。
 

「読むこと」のテーマパーク

本書はその内容それ自体が「読む」とはどういうことなのかについて思考を広げてくれる逸品だが、実は卓越しているのはその「内容」だけではない。「内容」だけでなく「見せ方」それ自体が、読者に読みの多様性・可変性を体感させるかのように1ページ1ページ演出が凝らされ、内容と見せ方で、相乗的に効果を発揮させている。実は著者のピーター・メンデルサンドは本書が初の著書で、本業はアート・ディレクターなのだ。

たとえば霧の風景からはじまる『荒涼館』を扱った箇所では、最初ははっきりと見えている文章が次第にその色を落としまるで霧に落ち込んでいくように文字をかすれさせていく。時には印象的なフレーズが1ページに1フレーズだけ記載され(『読書における想像はゆるやかにつながっているが、ランダムではない。』)その次のページには前のページを補完、あるいは紛らわし、混乱させるかのようなイラスト・イメージが挿入される。

時に文章は波打ってこちらに届き、時にページの半分程の矢印の中に戯曲『オイディプス』の文章が押し込まれている。一行だけページ最上部に文章が記載されているかと思ったら、次のページはページ最下部に一行だけ記載されていたりする。本を縦にしたり横にしなければ読めない、目をこらさなければ読めないなど本来の可読性を失わさせるような演出は必要なのかという疑問もあるだろうが、読みづらい部分は「読まなくても支障はない」ように綿密に設計されており、視覚的な変化まで含めて楽しませてくれる。

凄いのは気まぐれにそうした演出が行われるのではなく、全てのページにおいてその時語られつつあるテーマと関連した演出が施され続けている点だ。『アンナ・カレーニナ』を読み始める時、隣にアンナ・カレーニナのイラストが並置されていたら、影響を受けずにはいられない。グラフィカルな演出で彩られた本文を読み進める度に「自分が「読む」と考えていた現象」がかき乱されていくことに気がつくだろう。

文字という記号情報から豊かな情報を脳内で展開することのできる我々はいってみれば一種の高機能な再生装置だ。しかしその再生装置は同時に過去の記憶や体験に、横に並置されているイラストやイメージに、簡単に影響されてしまう信頼性の怪しい歪んだシステムでもある。だが、と本書はあえてそこに「読む」ことの意味を見出してみせる。

脳そのものが、要約し、置き換え、表象化するようできているのだ。信憑性は偽の偶像であるだけでなく、到達できないゴールでもある。だから、私たちは要約する。私たちはこのようにして世界を理解する。これが、人間のすることだ。

ページを夢中でめくっていくうちに、理屈だけでなく体験で理解させてくれる。「読むこと」についてのテーマパークのような本だ。

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