『その<脳科学>にご用心 脳画像で心はわかるのか』 訳者あとがき

紀伊國屋書店2015年07月07日 印刷向け表示
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その〈脳科学〉にご用心: 脳画像で心はわかるのか
作者:サリー サテル 翻訳:柴田 裕之
出版社:紀伊國屋書店
発売日:2015-07-01
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このような本に興味を持たれたあなたは、色とりどりに塗り分けられた脳画像を目にしたことがあるはずだ。今こうして本書を読んでいるあなたの脳をスキャンしたら、やはり彩り豊かな画像が得られるに違いない。とはいえ、脳を直接眺めることができたら、自分の脳がその画像と同じように色鮮やかに輝いていると思う人はさすがにいないだろう(fMRIなどの脳画像法は、脳の様子をカラーで3D実況中継しているわけでは断じてない)。それでは、脳画像は何を語っているのか? まあ、各部の活動の程度は画像の色で判断できる。とはいえ、その意味合いは?

他人と比較したら手掛かりがつかめるかもしれない。本書の同じ箇所を読んでいる誰か別の人の脳をスキャンしたとしよう。だが、待ってほしい。その人の頭の形はあなたと同じだろうか? 脳の形は? fMRIは脳を約5万の小片に分割して捉える。その一つひとつが、その機能に至るまで、2人の人間の間で完全に一致することなど、まずありえないのではないか?

これは思考実験だから、百歩譲って完全に一致したとしよう。いや、補正して一致させられたとしよう。だが、たとえ同じ本の同じ箇所を読んでいるからといって、脳画像まで完全に一致するのだろうか? 怪しいものだ。一致しなかったら、そこから何がわかるのか? その人とあなたが違うということ? そんなことなら、わざわざ脳画像検査をするまでもなく、わかりきっている。

それでは、もっと大勢と比較したらどうなるだろう? あなたに加えて10人の人に同じ音楽を聴かせながら脳をスキャンし、今回も補正を加える。だが、なかには音楽家がいるかもしれないし、その音楽を初めて聴く人も、すでに飽きるほど聴いている人もいるかもしれない。それぞれ好みも違えば、そのときの気分や体調も違うだろう。だから画像は、先ほどよりなおさら一致しにくくなる。

ここでまた大幅に譲って、こうした違いまで補正できる(!?)としよう。それでも10人の脳画像が一致しなければ、平均をとって「標準」画像を合成するという手がある。さて、その「標準」画像とあなたの脳画像が一致していたら、あなたはその10人と同じ音楽体験をしていることになるのか? 逆に、あなたの画像が「標準」画像と違っていて、あなた以外の10人が10人とも、その音楽に感動したと回答したら、あなたは感動していないことになるのだろうか? たとえ、自分では感動したと思っていても。

これも考えてほしい。その音楽を聴いていたときと同じパターンをあなたの脳画像が示す状況が他にあったとしたら、そのときもあなたは感動しているのか? あるいは、仮に誰かがあなたの脳を直接刺激して、音楽を聴いていたときと同じパターンを音楽抜きで再現できたら、あなたは頭の中でその音楽を聴き、感動するのだろうか?

こうした疑問を念頭に置きながら、さらに別の場面を想像してみよう。マーケティングの専門家に、見るも鮮やかな脳画像を示され、このコマーシャルはそれを見た消費者の脳内の「購入ボタン」をこのように活性化させて、この商品を買わせるのです、と言われたら信じるだろうか? あるいは、あなたが企業のマーケティング担当者なら、そのような脳画像を示しながら自社が制作するコマーシャルの威力を売り込むセールスマンを信用するだろうか?

もっと重大な場面もある。あなたが裁判の陪審員に選ばれて、検察側に被告の脳画像を示され、これは脳スキャンを使った嘘発見器から得られたもので、被告が無実だという虚偽の供述をしている証拠です、と言われたら、有罪という判断を下すだろうか? あるいは、あなた自身が濡れ衣を着せられて容疑者となったとき、人が嘘をついているか真実を語っているかを、これまでの多くの脳画像データに基づいて判定できるという触れ込みの嘘発見器に、裁判の行方を任せるだろうか? はたまた、弁護士に勧められて脳をスキャンしてもらい、脳科学の専門家に脳画像を示され、ほら、脳があなたの行動をすべて決めているのです、あなたには自由意思などありませんから、有責性もないのです、と告げられたら、あなたは納得するだろうか?

ここまで読む間に、あなたの頭にも脳科学や脳画像に対する疑問が湧いてきたとしたら、脳科学リテラシーの世界へようこそ。

昨今、脳科学は注目を浴びている。注目されること自体はけっこうなのだが、脳科学が過大評価され、営利目的やその他の目的で濫用されるとともに、人間の本性や心が見失われるという事態になっているとすれば、これは看過できない。しかも、「脳科学」や「脳画像」のデータ、証拠には強力なオーラが漂っているらしく、私たちは脳科学に基づくと聞いただけで、他の種類のデータや証拠よりも信じやすくなるというからなおさらだろう。この現状を危惧し、正しい理解を促すことを目指したのが、本書の著者、サリー・サテルとスコット・O. リリエンフェルドだ。サテルはワシントンに本拠を置くシンクタンク、アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所の常勤研究員で、精神科医としてクリニックで働く傍ら、イェール大学医学大学院の講師も務める。リリエンフェルドはエモリー大学の心理学教授で、臨床心理学者でもある。

著者は序論に続いて、脳画像法の花形であるfMRIの概説をし、fMRIが実際にできることとできないことを区別したあと、俗社会に目を移し、まずニューロマーケティングを取り上げる。消費者は自分が何を欲しているのかわかっておらず、消費者の脳を調べれば、効果的な広告やキャンペーンを行なえるとニューロマーケターは言うが、はたしてそれは正しいのかを検討する。次に取り上げるのが中毒で、中毒は「脳の疾患」という説が幅を利かせるようになりつつあるものの、じつは脳という生物学的次元にだけこだわっていてはならないことを明らかにする。

本書の後半のテーマは脳科学が法に対して持つ意味合いで、まず、脳を調べれば嘘を検出できるという考え方の科学的妥当性を問う。次に、脳科学に依拠した証拠が法廷に持ち込まれたとき、被告人の責任追及にどんな影響が出るかを考察する。著者はさらに話を発展させ、私たちは自由意思を持つ行為者であるという考え方に脳科学が呈する疑問に取り組み、人間の行動について脳科学には何が語れるか、語れないかという問題を検討して締めくくる。

念のために付け加えておくが、本書は脳科学を否定するものではない。脳科学や脳画像法の発展は、科学史における(そして現代史における)画期的な出来事であり、その将来が有望であることは著者も十分認めている。ただ、脳科学だけでは人間を完全に理解することはできず、さまざまなレベルから、心の領域にも光を当てる必要があり、また、科学のみでは人間にまつわるさまざまな問題は解き明かしえないということだ。

本書をお読みになった方々が、脳科学に対する関心を深めていただければ幸いこの上ない。そして、誰もが脳科学リテラシーをさらに磨き、脳にまつわる過剰な宣伝や短絡的な意見、脳偏重の一元的な見方に今度出くわしたとき、思わず飛びつく代わりに、いったん立ち止まって考えてみるきっかけとしていただければ著者も本望だろう。

2015年6月 柴田裕之

紀伊國屋書店
書店は1927年に創業、出版部は1955年に創設され、本年11月に60周年を迎えます。邦訳刊行後半世紀以上にわたって読者に支持されてきた世界的ベストセラー、フロム『愛するということ』をはじめ、ドーキンス『利己的な遺伝子』等、多くのロングセラーを刊行してきました。近年は、特に人文、サイエンス、ノンフィクションに力を入れています。

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