解放の賛歌 『放哉と山頭火』

吉村 博光2015年07月14日 印刷向け表示
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放哉と山頭火: 死を生きる (ちくま文庫)
作者:渡辺 利夫
出版社:筑摩書房
発売日:2015-06-10
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本書は、自由律句のふたりの巨人の足跡をたどり、人生の真実を読み解いた評論である。だが、評論というには余りに美しく、写実性に富み、まるで読者を旅に誘うようだ。旅行記を読んでいるように、現代人の緊張を優しくほぐしてくれる快著である。本書には、尾崎放哉と種田山頭火の代表的な句が、多数紹介されている。長く手元に置いて、折に触れてページをめくりたくなる本だ。自由律句そのものが何度読んでも味わい尽くせないものだから、本書自体、何度読んでも新たな感慨を得ることができる。

放哉と山頭火の共通点は、社会になじめず身を持ち崩した放浪の俳人という点である。読書を社会的な成功の糧と考える人の中には、この時点で興味を失う方も多いかもしれない。単純に考えれば、落伍した者の本を読んでも成功のヒントは見つかりそうもないからだ。しかし、あとがきで著者が書いているように、二人に共通する「現世から逃避したい」という願望を心に宿していない人は、少数派なのだ。本書を読むことは、その願望に赦しを与えることである。そしてその行為が、どれだけ自分を幸せにするのかは、読んでみればわかる。

仮にこの逃避願望を「人生持ち崩し成分」と呼ぶとしたら、私にはこの成分が人より多いと感じる。まずお酒が好きだし、本を読み散文を書きなぐり、社会的に正しいとされるものよりも自分が面白いと感じるものにのめり込む傾向が強いからだ。そのため小爆発を繰り返し、周囲の人に心の中で「ゴメン」とつぶやきながら、好き勝手生きているのが私なのである。新刊案内によると本書は、私が畏敬の念を抱く二人の事跡をアジア研究の碩学と呼ばれる著者がまとめた本だと書いてあった。

読んでみたい。でもこの説明だけでは、本書に「人生持ち崩し成分」が多いかどうかわからない。だから私は、本屋さんの店頭で本を手に取り、著者の顔写真を確認した。そこに写っていたのは、一緒にいると心が自由になりそうな初老の紳士であった。安心して本書を購入した。期待に違わなかった。本というものはありがたいものだ。放哉と山頭火は互いに面識はないが、『層雲』という俳誌を通じてお互いに影響しあっている。放哉没後、山頭火はその墓を訪れて、辞世の句に触れている。

 春の山のうしろから烟が出だした 尾崎放哉

この句が生まれた経緯を一二から聞かされた山頭火は、激しいものが胸を衝く。放哉という男の孤独の向こうに、柔らかな自然帰入の心がみえる。この辞世の句は、放哉の生涯のすべてを無にしてもなお存分に高い価値をもつと、山頭火は思う。俗世への執着を放下しなければ、こんな句はつくれない。

その後、50歳を目前に控えて放浪する脚力が鈍った山頭火は、放哉のように一処に留まって句作に専念したいという思いを深める。一旦は熊本の家族のもとに身を寄せるが、その生活は半年とつづかない。そして、結庵を企てながら九州北部を放浪しているときに、人生の一瞬を鮮烈に切り取ったあの名句が生まれた。本書から、引用する。

昭和6年の12月も押し迫った頃、山頭火は響灘に流れる遠賀川沿いを北上した。流れが飯塚の町をたゆたうあたりで暗くなり始めた。通り雨が吹きつけ去っていく。霧雨のように煙る時雨が、夕闇の川沿いの家々をぼんやり包む。網代笠を乗せ杖を右手に歩く法衣の姿が、影法師のように薄い。
遠賀川の土手を一人茫として歩く自分は、さて、本当の自分なのか。この自分を後方から冷ややかにみつめるもう一つの自分の方が実在のようにも思える。

 うしろすがたのしぐれてゆくか 種田山頭火

その後、俳誌『層雲』の同人の世話で、山口県小郡の郊外での庵居がかなう。そして、終の住処となる松山の一草庵まで、各地で彼の才能に惚れ込んだ同人たちの世話になりながら生涯を終えている。本書を読んでつくづく感じたのは、“才能”というものが持つ力の偉大さである。放哉も同じだが、ここぞというところで庇護者があらわれる。社会のなかでの人とのやりとりではなく、自己の中に潜む才能とのやりとりを必死で繰り返し、磨き続けた。そして、最後までそれによって周囲から支えられ、全力で駆け抜けぬけることができた一生ではなかったか。山頭火は、いまわの際でまさに「解放の賛歌」というべき辞世の句を詠む。

 もりもりもりあがる雲へ歩む 種田山頭火

不安と焦燥に身を焦がし歩きつづけた山頭火が、最期に詠んだこの句は、救済以外の何物でもない。先ほど紹介した放哉の辞世の句にも、同様の明るさがあった。本書の読後感の良さは、ここにある。放哉と山頭火、その苦しみの多い足跡をたどると、最後はそれぞれの辞世の句にどうしても行き着く。本書は、普段目を向けることが少ない「人生持ち崩し成分」に目を向けながら共感を深め、最後に辞世の句で読者の心をパーンと解き放ってくれる構造になっている。これを味方にすれば、ふらふら赤提灯に寄ってしまった夜でも、明日への勇気が湧いてくるようになる。あるいは、世間と「つぶやくくらい」の接触しかなかったとしても、放哉が次の句で切り取った孤独の深さには敵わないことに気づき、ホッと胸をなでおろすだろう。

 咳をしても一人 尾崎放哉

最後になるが、放哉の最終学歴は東京帝国大学卒(現在の東京大学)。山頭火は早稲田大学中退である。それぞれ将来を嘱望されながら、実家に背を向けての放浪だった。当時の「家」というものを想像すると、余程、苦しみは深かっただろう。社会に適合できなかったために才能にすがらざるを得なかったのか、すがる才能があったために社会に背を向けざるを得なかったのか。いずれにしても、二人にとって人生は選べないものだったのかもしれない。しかし自らの人生を全うすれば、最後には「解放の賛歌」を歌えるのだ。本書を読めば、そこに究極の光を見出すことができる。

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