『世界を破綻させた経済学者たち 許されざる七つの大罪』 解説 by 松原 隆一郎

早川書房2015年08月21日 印刷向け表示
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世界を破綻させた経済学者たち:許されざる七つの大罪
作者:ジェフ マドリック 翻訳:池村 千秋
出版社:早川書房
発売日:2015-08-21
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主流派経済学にひそむ欺瞞

2008年にアメリカで勃発した金融危機は、起きるべくして起きた出来事ではあった。

リスクが大きいローン債券を証券化した「デリバティブ」(金融派生商品)が主役を演じたバブル崩壊劇であったが、そんな危険物を扱う市場を透明にしようとする努力はクリントン政権時にわざわざ禁止されていた。個々のトレーダーたちは成功すれば莫大な報酬を得る一方、失敗してもダメージは比較して小さい仕組みだったから、おのずと高リスクの取引にのめり込んでいった。なかでも証券の値下がりリスクに備える保険商品であるCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)は住宅市場の過熱とともに住宅ローン担保証券の損失に対して広く用いられるようになっていたが、検査が厳格でなく、しかも発行者には準備金を積み立てる義務がなかったため、保険大手のAIGが保証金の支払い不能に陥り、金融危機を深刻化させた。

しかもそうした状況に対して、著名経済学者たちが「市場は健全」とのお墨付きを与えていた。R ・ルーカスは2003年に「不況の回避にかかわる主たる問題は解決済み」と断言、M・フリードマンは住宅ローン融資が最高潮の2005年に「アメリカ経済の安定性は、歴史上のどの時期よりも高まっている」と診断したし、O・ブランシャールは2008年のバブル崩壊の直前に「状況は良好」と述べていた。およそ膨れあがっていた投機バブルが崩壊する条件は整っていたのである。A・スミス以来、2世紀以上にわたって経済学は発展してきたはずというのに、これはいったいどうしたことだろうか。

経済関係のコラムニストである著者J・マドリックは本書で、この2008年アメリカ発の金融危機の主犯として、主流派経済学者たちの「考え方」をやり玉に挙げている。彼らが金融関係者を煽った一方で、世界経済の崩壊に痛痒を感じていない様を痛烈に告発するのである。

「考え方」には7本の柱があるという。まずスミスに由来する「見えざる手」は、市場で多くの個人が合意した結果としての価格は合理的であるはずだというもの。それゆえ合意に集団で圧力を加える労働組合は不要だし、賃金(という価格)を不当につり上げる「最低賃金制」は合意を妨げて失業を生むという逆効果をもたらすとする。

「セイ法則」は、元は「供給が需要を作り出す」というもので、すべての商品・貯蓄・労働力は、供給されると同時に同額の需要を生み出すと見る。作れば価格メカニズムを介してすべてが売れるのだから、売れ残りがだぶつくことはない。ここから、「財政赤字を減らすと景気が好転する」という発想が出てくる。貯蓄は資金の供給なので、それが必ず資金需要としての民間投資を生む。それゆえ貯蓄を政府に貸し付け(財政赤字)、公共事業に使うのは、民間投資を妨げるという理屈である。それゆえ政府の財政は小さい方がよいとする。

フリードマンは「実証経済学」を唱えたが、それとともに呪文のごとく政府は悪、市場が善と繰り返した人でもある。そして安く買って高く売る投機につき、相場が過度に高い時に賢い人が売るから加熱した市場を冷やす効果があるとしたのは重要である。投機は合理的な価格付けを市場にもたらすまっとうな市場活動だとして、政府による金融投機規制を批判する勢力に理屈を与えた。

「インフレ・ターゲット」は、金利操作を通じてインフレ率を目標値である2%以下にしようとするもの。インフレになると市場で合理的な価格付けがゆがめられるとして、「見えざる手」を実現するためにも唯一、政府(中央銀行)が行なうべき経済政策とする。それを正当化する論拠に、フリードマンの「自然失業率仮説」がある。財政赤字で総需要を無理に増やしても一時的に失業率が低下するだけで、長期的に失業率は自然な水準に戻り、インフレだけが残るという説である。失業率は自然な水準以下には下げようがないのだからインフレ率はなるべく低い2%に抑えよう、というわけだ。ちなみに日本のアベノミクスではデフレ脱却が目的であるため、「インフレを抑える」という本来のあり方とは逆の用い方がされている。

「効率的市場仮説」は、初期には幅広い銘柄の株式を保有すれば株価変動のリスクを減らせる(マーコヴィッツ)とか、投資家が情報を集めて投資を行なうと情報は株価に映し出される(サミュエルソン)といった穏当な内容を持っていた。分散投資に勝る運用成績を残せる人は滅多にいないというこ とだ。ここにフリードマンの投機観が加わり、次第に「株価はつねに企業の真の価値を反映している」と読み替えられていった。将来の配当の総和(の現在価値)である真の価値を知る賢明な投資家が不当に安い株を買い、値が上がって売ると、株価は真の価値を表すはずだとされた。

この飛躍は決定的だった。株価がつねに企業価値を正確に反映しているならば深刻な投機バブルは発生しないはずだし、金融市場では投機の競争を維持することこそが重要だから、政府の監督は最小限にすべきとなる。こうして経営者には収益を株価に反映させる経営が求められ、そのためにストックオプションによって経営者への賞与を自社株で支払うことや、企業買収による株価引き上げが支持されるようになっていった。

「グローバリゼーション」はここまで述べたような自由放任主義を国際貿易にも当てはめたもので、関税による国内産業の保護や補助金・規制による産業育成を否定、貿易で自由化が実現すれば各国の雇用も増加するという。最後の「科学」は、経済学は数学で記述され、数量データを用いて「実証」 されていることを指す。フリードマンは、数量データを前にしては価値観の対立は解消され、価値中立的な議論がなされると主張した。

著者はこれら7つの理論すべてに反論し、それらが住宅バブルの発生・崩壊から金融危機へという流れを引き起こしたとして、「大罪」を告発する。「見えざる手」については、たとえば労働市場について最低賃金制は合意を妨げて失業を生むというのは検証されておらず、理屈上も賃金が労働の生産性を下回るときには法定最低賃金引き上げに意味がある。低所得者は消費性向が高いので総需要拡大にも効果がありうる。

セイ法則が変形した「財政縮小による景気拡大」説については、現実に緊縮財政で企業心理が改善するというのは景気拡大しつつある時にしか成立せず、不況時には景気悪化を促進してしまう。不況で財政赤字に陥ったギリシアやスペインにせよ日本にせよ、さらに財政を縮小すれば税収が減り財政の赤字幅も拡大するだろう。GDPに占める政府債務の割合が90%を超えると成長率が下がるというK・ロゴフとC・ラインハートの「実証研究」には、論理的にも実証的にも誤りが多数指摘されている。これは財政拡張による雇用創出を否定するものだが、「インフレ・ターゲット」は金融政策による雇用創出も否定して、インフレ率を2%と低めに抑えている。しかし3%であれば雇用が拡大し た可能性は否定できない。

「効率的市場仮説」については、新情報が株価に織り込まれることを「真の」価値を反映すると言い換えるのは間違いだと著者は指摘する。私はそれに加えて、相場が「過度に」高い時に賢い人が売るというフリードマンの投機観も、何が「過度」な株価か誰にも分からない点で致命的だと考える。そもそもフリードマンが賢者であるなら、彼自身が割安な株を売って大儲けしたはずではないか。しかしこの説が直接の引き金となり、闇雲な規制緩和、(インフレ率にのみ注目しての)資産バブルの放置、ストックオプションゆえの短期利益重視、不毛な企業買収が蔓延した。まさに「世界を破綻させた大罪」である。

残念ながら、本書の批判は主流派経済学者たちには届かないだろう。そもそもこれら7つの「理論」は、「科学」ではない。物理学のように科学と自称したいなら、実験や数学的な検証によって理論が覆されるような潔さがなければならない。しかし金融危機にしても、喉元過ぎれば「市場の失敗」の一例に止められ、7理論の背後にあるような均衡論や厚生経済学の基本定理といった考えまでは再点検されない。それらを教壇で教えるのが既得権だからだろうが、知的無責任としか言いようがない。

マドリックはこうした事態につき、経済学者が言う多くの「実証」は2つの変数の一致関係を指摘 するだけで因果関係を論証するものではないとか、実証主義を言う人の方がイデオロギーにとらわれていると指摘している。たしかに信頼に足りるデータで確証されたわけでもない机上の理論で世界経済を破綻の淵に追いやり、それでも自己批判しない人々には、呆れるしかない。けれども私は、少し異なる見方をしている。

経済学者たちは近年、ケインズ主義は無効であるとか政府は「市場の失敗」にのみ対処すべきだとかいった経済学界の思想潮流は、著名な経済学者が支持するから「コンセンサス」なのだと喧伝するようになった。完全には確証がなされずイデオロギーとしての側面を払拭できないにせよ、多くの賢者が支持する潮流は正しいと言いたいのだろう。私はこれはまさに、ケインズの言う「美人投票」だと思う。

株価の上昇は、事業が利潤を生み出したことに由来する部分と、多くの人がその株を買ったせいである部分とから成る。フリードマンが注目した前者よりも後者のキャピタル・ゲインが株式市場で優勢になると、配当を予想するよりも、平均的な意見はどの会社の株を買うのかを読み解く方が有利になる。ケインズはこれを「美人投票」のようなものだ、と評した。美人に投票するというゲームであり、しかももっとも多く得票した女性に投票した人を勝ちとするというものである。このゲームでは、 自分が誰を美人とみなすかはともかくとして、平均的な意見が誰に投票するのかを推測することが競われている。真理よりもコンセンサスが追求されるのだ。同様に経済学者たちは、「コンセンサス」 に追随することで職を得たりちょっとした注目を浴びたりするゲームに耽っているのである。

私はそうした生き方を下らないと思うが、問題はそれに止まらない。コンセンサスとは真理と異なっても多くの合意をとりつけるバブルであるが、そこから利益を得る富裕層や権力者が支持を与え続けるなら、経済理論というバブルは崩壊しない。マドリックはシンプルでエレガントな理論よりも、 国により時により異なる「汚い理論」の構築に挑むという社会理論の王道を歩めと経済学者に求めているが、それには数式を振りかざせば知的と感じるような幼児性や教科書を講じてポストを得るという既得権を捨てるだけの勇気と教養が必要である。現在の経済学教育にはそうした勇気や教養を打ち消すような仕掛けが多数埋め込まれているのだから、望み薄だと私は踏んでいるのだが。

2015年8月

松原 隆一郎 東京大学大学院教授(経済思想史、社会経済学)

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