『ゼロからトースターを作ってみた結果』 文庫解説 by Finalvent

新潮文庫2015年09月25日 印刷向け表示
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ゼロからトースターを作ってみた結果
作者:トーマス・トウェイツ 翻訳:村井 理子
出版社:新潮社
発売日:2015-09-27
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂
  • HonyzClub

『ゼロからトースターを作ってみた結果』は変わった本である。軽快な文章と興味深い数々の写真から、多くの知識を与えてくれる本だとも言える。ある種の感動も与えてくれる。だがそれよりも、読後、世界の見え方を変えてしまうところにこの本の特徴がある。一読した読者は、世界が微妙に変わっていることに気がつくだろう。身の回りの鉄製品やプラスチック製品、各種の工業製品への感性が変わる。おそらくこれから一生、その変わってしまった世界の中に生きることになる。

そういう言い方は少し大げさかもしれない。まるで人を洗脳するような妖しい本のように思えるかもしれない。だが逆に洗脳が解ける感じなのだ。それまでぼんやりとしていた世界がリアルになる。手に触れることができて、臭いを嗅ぐことができて、時には痛みを与えるように実在感を増す。「本当にこれがここにあるんだ」というリアルなものに変わる。トースターはその最初の一例になる。朝食のとき、冷えた食パンを温め、焼き目を付ける普通のトースターがリアルな存在になる。それから身の回りの全体もリアルな存在に溢れていることに気がついて、驚く。

内容は難しくない。表題の『ゼロからトースターを作ってみた結果』が示すように、ゼロの状態からトースターを作った実録である。しかしそう言われても、「ゼロの状態からトースターを作る」という考えはなじみにくい。私たち現代人は、トースターが欲しいというときに自作はしない。家電店に行って購入するか、ネットの通販店でポチッとするかして手に入れる。そもそもトースターの作り方なんかわからない。どこかの工場の誰かが作ったトースターを購入して使うだけ(たぶん作ったのは中国人の陳さんと楊さんほか数十名だろう)。欲しいのはトースターであって、誰がどうやって作ったかには関心を持たないし、朝食に美味しい食パンが食べられるならそれでいいと思っている。そうして世界に対して自分の欲望に応える役割だけを求めて、リアルな存在を忘れていく。

しかしトースターは確固とした存在なのである。手に触れることができる物質でできている。物質が材料になって、誰かがその材料をトースターというデザインで組み上げて出来て、そこに存在している。言葉で言うのは簡単だが実際にそのゼロの状態の材料からトースターを作ったら、それがくっきりとわかる。本書はだから、トースターを構成する5つの要素として、鉄、マイカ、プラスチック、銅、ニッケルという素材を取り上げ、それらを一人の若い英国人デザイナーが実際に作ってみた記録である。

まず鉄を作る。各人が自分の口を開いて「まず鉄を作る」と言ってみてほしい。言ってみて、その奇妙さに気がつくだろう。そもそも鉄を作るという考えにイメージがわかない。一生懸命イメージを描こうとすれば、小学生のころ公園の砂場に磁石を持っていって、砂鉄を集めたことを思い出すかもしれない。あの砂鉄を高熱で溶かせば鉄はできるはずだと考えてみて、どうやって鉄を溶かすのか。フライパンに入れて炒ってみるか。いやフライパンがそもそも鉄ではないか。この滑稽な思考の面白さに取りつかれたら、あなたは本書にリアルな世界に招待されている。本書の面白さは、鉄がどうやって作られるかを知的に解説することではなく、普通の日常生活を送る現代人が、その生活の場から実際に鉄を作ってみる奇妙な実体験にある。

それでも、「ゼロから作る」という意味は曖昧でもある。そこで著者は3つのルールを決めた。1つ目は目標設定。完成品はトースターの役目をすればいいだけの代替物ではなく、普通に市販されているトースターに近いものとすること。2つ目は、地球が産出する原料を使うこと。3つ目は産業革命以前の手法を使うこと。

3つのルールが本書を独創的なものにしている。1つ目のルール「完成品はトースター」が重要なのは、トースターという存在を明確にしたことだ。冷めた食パンをトーストしたいだけなら百円ショップで売っている魚焼き網でもできる。実は私はこの機会にトースターの歴史を少し調べてみた。トースターが発明される以前は、魚焼き網のようなものが使われていたのだった。

2つ目のルール「地球が産出する原料を使うこと」は、著者をナマの地球に連れ出して冒険を強いることになる。このことで本書は冒険物語に変わる。そして冒険物語がそうであるように読者の心をわくわくさせる。

3つ目のルール「産業革命以前の手法」は、私たちの近代・現代という社会がどういう社会なのか、その社会の仕組みを暴露する。産業革命以前の世界と私たちの世界を結び直すことになる。難しい言い方をすれば、本書には現代世界の批評的な意味がある。環境とはなにか。工業生産とはなにか。この思索は本書の終わりでしんみりと展開され、ちょっと考えさせられ、哲学的な気分になる。

それと明示されてはいないが、本書にはこっそり第4のルールが存在する。「気が向いたらルール違反をしちゃえ」である。この最たる適用が、電子レンジを使った溶鉱炉の実験である。「レンジでチン」の普通の電子レンジが溶鉱炉になるのだ。理論的な説明は受け付けても実験を読むと本当に驚く。「うわー、これやってみたいぞ」と私のように思うかもしれないが、かなり危険なので当然お勧めできない。

とにかく鉄と呼べそうなものができ上がる。そうしたら次はマイカ。「雲母」とも呼ばれる鉱物である。これは採掘すればいいだけなので、冒険の話で終わる。それにしても「雲母」は、なんでも壊して分解しちゃう昭和の子供にはなつかしい一品である。電機部品のコンデンサーからゲットできる。薄いガラスのようなものである。夜店の型抜きを突くように慎重に慎重に薄く剥ぐのがまた楽しい。

マイカの次はプラスチック。物質名はポリプロピレン。工業的には石油から作る。だから著者はルールどおり石油採掘から始めようとして、挫折。しかたないので第4ルールで生物由来の「バイオプラスチック」に挑む。このあたりの話には直接的な示唆はないが、現在の世界の「レジ袋」問題も連想される。レジ袋も分解されにくい化学物質であることから生態系に悪影響を与えているのだ。

あと2つ、銅とニッケルの話題が続くが、これまでの冒険に似てくることから、読者の便宜を考えてであろう、簡素な記述となる。かくして5つの主要素材を集めると、いよいよトースターを組み立てることになる。結果はどうか。

完成品はどのようなものか。この文庫カバーにも写真が掲載されているように、見るからにひどい代物である。食パンを入れる2つのスロットがある他は、とうていトースターには見えない。こんなものが作動するのか? いや、作動は目的ではない。本書の創作過程を含めて一つの「アート(芸術)」の活動であったのだ。

著者はそもそもなんでトースターを作ろうとしたのか。2つの理由を挙げている。1つは「あると便利、でもなくても平気」という工業製品のシンボルだからだ。もう1つの理由はSF小説『ほとんど無害』(ダグラス・アダムス作)の一節からの着想である。技術的に未開の惑星に到達したSF小説の主人公アーサー・デントは、文明の知識をひけらかそうとしてもうまくいかず、こうつぶやく。

「自分の力でトースターを作ることはできなかった。せいぜいサンドイッチぐらいしか彼には作ることができなかったのだ」

本書の冒頭にも記されているこの言葉を14歳で読んで感銘をうけた著者は、「現代社会は人間を実践的能力から切り離しているという考えは新しいものではなく、そして多くの場合、否定的な意味を含んでいる」と記す。

なるほど。私たち現代人は高度な科学に基づく工業文明の社会に生きているがゆえに、その成果が自己の実践的な能力だと錯覚しがちだ。だが、実際の個々人は何もできない。しかし何もできない一人の人間であることが本書のように認識できたとき、世界と存在は圧倒的にリアルなものに変わる。

ところでなんで一介のブロガーがこんな解説を書いているんだろう? しいていえば、著者のようにトースターの仕組みに素人ならではの素朴な関心をもって、同様に分解してみた経験があったからだろう(そんな理由でいいのか)。

著者はトースターを作るにあたり、トースターを分解し、そこで本書のように5つの要素に直面した。私はといえば、トースターを分解してみて、どうして焼き上がった食パンがトースターからポンと飛び出るかという仕組みがわかった……いや、そんな気がした。どうやら焼き上がりは、電灯線の周波数を使ったタイマー回路による時間で判別しているらしい。ポンと飛び出すのは、最初に押し下げたバネを留めていた電磁石のフックが、焼き上がりタイマーからの信号で、磁力を失って離れるからだ。そのほか、焼きムラがないようにする配線や、最適の温度になる電気抵抗の配備とか、いろいろ工夫されているらしいこともわかった。こうした仕組みを考えてきた人類の歴史もたぶんあるんだろう。

本書に示された好奇心を持って世界を見つめると、身近にあるさまざまな存在に、地球の資源や環境との関わり、工業技術のあり方が関わっていることが実感を伴ってわかってくる。それらを知ることで、私たちの生活はとてもリアルなものになる。たぶんトーストも、もっと味わい深くなる。

Finalvent ブロガー。(極東ブログ:http://finalvent.cocolog-nifty.com/)。著書に『考える生き方 空しさを希望に変えるために』(ダイヤモンド社)がある。Cakesにて「新しい『古典』を読む」を連載中(https://cakes.mu/series/39)。
記事へのコメント コメントする »

会員登録いただくと、記事へのコメントを投稿できます。
Twitter、Facebookにも同時に投稿できます。

※ 2014年3月26日以前にHONZ会員へご登録いただいた方も、パスワード登録などがお済みでない方は会員登録(再登録)をお願いします。

コメントの投稿

コメントの書き込みは、会員登録ログインをされてからご利用ください。

» ユーザー名を途中で変更された方へ
 変更後のユーザー名を反映させたい場合は、再度、ログインをお願いします。

ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
作者:
出版社:中央公論新社
発売日:2014-10-24
  • Amazon
  • Amazon Kindle
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

電子版も発売!『ノンフィクションはこれを読め! 2014』

HONZ会員登録はこちら