祝!ノーベル医学生理学賞『大村智 - 2億人を病魔から守った化学者』

仲野 徹2015年10月16日 印刷向け表示
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大村智 - 2億人を病魔から守った化学者
作者:馬場 錬成
出版社:中央公論新社
発売日:2012-02-09
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大村智先生、ノーベル医学生理学賞ご受賞、まことにおめでとうございます!

この本、3年前の出版当時、HONZデビューでとりあげた思い出の本だ。全面改訂にしようかと思って、本をもう一度読んでみたのだけれど、書き加えるとすると、すでに受賞報道で聞いたようなことになりそうだ。それならば、初読の時の驚きを伝えたほうがよかろう。ということで、メインの本文にあまり手を入れずに紹介したい。大村先生の知名度の低さなど、いまとなっては不思議に感じられるかもしれないけれど、まぁ、そんなもんやったんです。

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子ども向け伝記本では、問答無用・説明不要の偉人であれば、そのタイトルに「野口英世」とか「キュリー夫人」とかいうのがありだけど、大人向けの伝記本で氏名そのものがメインタイトルというのは珍しい。この堂々たる男らしいタイトルを新聞広告で見つけたとき、おもわずしびれた。しかし「大村智」という名前を知っている日本人がどれくらいいるのだろう。どこまで大胆、いったい何を考えているのか……。普通、このタイトルだと誰も買わない。

サブタイトルは「2億人を病魔から守った化学者」。え、ほんまか?ほんまやったら、もっと有名でないとおかしいやないか?と訝る人がほとんどかもしえない。あたりまえだが、本当なのである。ただし、おそらく、日本人で救われた人は非常に少ないはずだ。この大村先生が開発されたのは、「オンコセルカ症」という、アフリカ・中南米で蔓延している寄生虫感染症に対するお薬なのである。薬学部の教授であられたし、誘導体は犬のフィラリアの特効薬でもあるので、薬剤師さんや獣医さんはある程度ご存じかもしれないが、お医者さんで大村智の名前を知っている人もそう多くはないだろう。

面白い伝記というのは、すごい不運やスキャンダルがなければあかんのである。そうでないと、おもしろくない。私がこれまで読んだ なかで最低の伝記は、10年ほど前、まだ、女性問題スキャンダルに堕ちる前のタイガーウッズの伝記である。銀の匙をくわえて生まれてきたような輩が、銀の匙で金鉱をさわやかに掘り進めるような話は、つまらんというよりも、ほとんど不快なのである。ウッズ君も、スキャンダルを乗り越えて初めて伝記にふさわしい偉人になれるだろうから、私の期待にそえるよう、性欲をしぼってがんばってくれたまえ。

話がそれた。『大村智』である。残念なことに、大村先生の伝記は、基本的に上り調子一本である。農家の長男に生まれ、地元の山梨大学を出て、東京で定時制高校の教員になる。なりたくてなった定時制高校の教員ではなかったが、ひたむきに学ぶ学生の態度に教えられて、昼間に大学で研究を始めた。将来について相談する先生が、結果論的に、ものすごく正しいとしかいいようのない示唆を与えてくれる。定時制教員をしながら東京理科大学の大学院に進学し、昼は研究に没頭するようになる。

昼は東京理科大学大学院理学研究科で研究をし、夜は墨田工業高等学校で教師をしていたころ、卓球部が東京都立高校の退会で準優勝したときの写真(1962年)

教員を辞して北里研究所に就職し、おどろくほど現実的な戦略で、つぎつぎと独自の研究を展開していく。紹介すれば長くなるので、詳細はぜひこの本をお読みいただきたい。「あかんあかん、そんなん待っとられるかいっ」とつぶやく、いらちの大阪人みたいな人は、千里ライフサイエンス振興財団での対談記事(pdf)生命誌科学館のサイエンスライブラリーをごらんいただきたい。

北里研究所へ入所間もないころ(1965年)

いずれにしても、特筆すべき点がふたつある。一つは、自らが稼いだお金、米国メルク社との契約によるロイヤリティーなど、で、自らの研究費をまかない続けたことである。企業以外の研究者はそのほとんどが税金からの研究費に頼っているのに比べると、例外的、というよりも、ほとんど想像すらできないくらいすごいことなのである。

もうひとつは、川奈ゴルフ場の近くで発見された放線菌から発見されたエバーメクチン(およびその誘導体であるイベルメクチン)の信じられない効果。どんなにいいお薬があったとしても、アフリカで特効薬として使うのはきわめてむずかしい。経済的な状態、健康への関心の低さ、医療の充実度、などから、注射による投薬を続けることはほぼ不可能であり、経口投与ですら相当にむずかしいとされている。ところが、イベルメクチンいうお薬は、開発者である大村でさえ驚いたことに、年に一回の投与、それも経口投与で著効を示すのである。そのおかげで、2億人近くの人がオンコセルカ症から守られ、年間4万人以上を失明から防いでいると推定されている。その上、耐性寄生虫が出現していない、という、ほんとうに魔法のようなお薬なのだ。

ミクロフィラリアという線虫。オンコセルカ症はこの線虫が眼の中に入り込み、白内障や角膜炎を起こして盲目にさせる

いやはやすごいのである。単に業績がすごいだけではない。スキーで鍛え上げたスポーツマンで、若い人の指導にも心をくだき、研究所の運営にも辣腕を発揮する。そして美術にも造詣が深く、設立に関与した北里メディカルセンターは絵画であふれ、女子美術大学の理事長も勤めておられる。これを現代のスーパーマンと呼ばずしてなんと呼べばいいのだろう。平成の北里柴三郎と呼んでもいいかもしれない。って、どっちやねん……。

北里研究所メディアカルセンター病院の待合室付近にも多くの絵画が展示されている

「危ないときに何となく神様が力を添えてくださって、川の向こうにポンと橋渡ししてくれるようなことがある」といった幸運にめぐまれたのは事実であるかもしれないが、全体としては、自力で自分の道を切り開いてこられた、という印象が極めて強い。山梨大学出身なので大成は難しかろうという周囲の反対を押し切って研究職についたのもそうである。また、留学先も「給料が少ないからには、きっと何か別のいいところがあるに違いない」といった、逆をはるような独特の判断で決めたというのもおもしろい。そして、これらの独創的な判断の総和が「大村智」になったのだ。

コッホ北里神社前で(2015年5月、北本市の北里メディカルセンターで)

ここまでいくと、たとえどん底に落ちずとも、スキャンダルにまみれたりせずとも、おもろいのであるから、許そうではないか。読み進めるほどに、どんどんと素直になり、最後には気をつけ状態になって、はいはいとありがたくお話を聞きたくなってしまうのである。まいりました。これほど読後感の爽やかな伝 記はそうありません。みんな読もう!そして「大村智」という本書のタイトルが、「誰やこれ?」といった違和感なく受け入れられる明日を築こう!

研究室に足を運び現場の研究者と議論をすることも多い(2011年、北里研究所で)

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ここまでが、その時のレビューだ。言うまでもなく、いまや大村智の名は日本でも最も有名な科学者の名前のひとつになった。予言が当たったとは言わないが、こうなってほしいと思っていたことが現実化したようで、むちゃくちゃうれしい。

受賞後、ノーベル賞の威力のすさまじさを目の当たりにした。この本、受賞前はAmazonでの売れ行き順位が5桁台だったのが、あっという間に一位に上昇。これだけでも驚きだが、なんと「よく一緒に購入されている商品」に拙著『なかのとおるの生命科学者の伝記を読む』がアップされていたおかげで、こちらも300位以内へと大躍進。いやぁ、ノーベル賞に比べるとちっこすぎるけど、わたしにとっては、うれしさもダブルだったのでございます。

※画像提供:中央公論新社

なかのとおるの生命科学者の伝記を読む
作者:仲野 徹
出版社:学研メディカル秀潤社
発売日:2011-12
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 生命科学者の伝記はどれも面白い!ついでに買っていただけると非常にうれしかったりします。

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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
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出版社:中央公論新社
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