『動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』 訳者あとがき by 布施 由紀子

みすず書房2015年10月28日 印刷向け表示
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動くものはすべて殺せ――アメリカ兵はベトナムで何をしたか
作者:ニック・タース 翻訳:布施由紀子
出版社:みすず書房
発売日:2015-10-02
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ベトナム戦争終結から、今年でちょうど40年。その間、この戦争について多くの研究書や回顧録、ルポルタージュが刊行され、映画もたくさん制作されてきた。もちろん、これを主題とする小説も書かれた。わたし自身も何度かベトナム帰還兵の登場する作品を訳し、この戦争について学ぶ機会を得ている。英日翻訳を専門とする出版翻訳家なら、誰もが一度は向き合わざるをえないテーマかもしれない。

最近はベトナム戦争についてよく知らない若い人が増えていると聞くが、安全保障問題への関心が高まるなか、年配の世代でも、祖国の今後を考えるためにもいま一度、この戦争について知識を整理し直したいとお考えのかたもいらっしゃるだろう。きちんと知るには、フランス、そして日本による植民地支配からベトナムの歴史をおさらいすべきだろうが、そんなふうに身構えずとも、ふと目を惹かれた本を手にとってみることで、思わぬ興味が広がり、理解が深まることもある。むしろそのような出会いのほうがたいせつかもしれない。若いアメリカ人ジャーナリストの本を通じて、彼とともに退役軍人や現地生存者の声に耳を傾け、この戦争を追体験するのもひとつの方法だろう。

本書『動くものはすべて殺せ』は、まさにそうした目的にかなう一冊だ。犯罪小説のようなタイトルがついているが、ベトナム戦争中に米兵が犯した戦争犯罪をテーマとするノンフィクション作品である。

1968年3月、米国陸軍の中隊長であったアーネスト・メディナ大尉は、クアンガイ省ソンミ村のミライ集落でベトコン掃討作戦を実施するにあたり、隊員たちに「動くものはすべて殺せ」と指示した。敵をさがしだして殺害せよ、と言ったのではなく、村の何もかもを殺せと命じたのだ。

翌日、中隊は村に入った。そこにいたのは武器を持たない民間人だけだったが、兵士たちは村人全員を敵の戦闘員と見なし、片っ端から容赦なく殺害していった。家屋を焼き払い、女性や子供や老人を殺害し、強姦を働き、遺体を切り刻み、延々と4時間にわたり、途中で休憩をとりさえしながら、残忍のかぎりを尽くしたという。かの悪名高きミライ集落虐殺事件である。

犠牲になった村人の総計は500人を超えた。しかし事件が明るみに出て、捜査がおこなわれたのは、それから一年以上たってからのことだ。軍法会議が開かれ、師団長をふくむ14人が起訴されたが、メディナ大尉はそのような命令をした覚えはないと主張して無罪となった。最終的には、小隊指揮官だったウィリアム・カリー中尉(事件当時は少尉)ひとりが有罪判決を受け、終身刑を申し渡された。だがすぐに減刑され、わずか40カ月間の自宅軟禁の末に仮釈放された。

事件のニュースは文字どおり、世界中を震撼させた。アメリカのイメージにも大きな傷がついた。裁判の結果には釈然としなかったものの、こうして軍の手で決着をつけた以上、もう二度とこのような凶悪事件は起こるまい。そう思ったことをわたし自身も記憶している。しかし驚くべきことに実際には、アメリカがこの戦争に介入していた全期間を通じ、これと同等レベルの犯罪が毎日のように各地で起きていたらしいのだ。それだけではない。作戦という名のもとに、あの事件をはるかに上まわる大虐殺もくり返されていた。

軍はそれを知りながら、適切に捜査しなかったばかりか、あの手この手で事件そのものの存在を戦後数十年にわたってひた隠しにしてきた。本書の著者ニック・タースは、その事実の証拠となる書類を発見し、実態を調べあげたのだ。

ニック・タースは、1975年生まれの調査ジャーナリストで、社会医学の博士号をもつ歴史家でもある。ベトナムだけではなく、イラクやアフガニスタンでの戦争犯罪や、アメリカの軍産複合体が市民生活のすみずみに浸透を図っている実態、ドローンの戦争利用などについても独自の調査をし、ロサンゼルスタイムズ紙やサンフランシスコ・クロニクル紙、ネーション誌など、数多くの紙誌に記事を書いてきた。

著書は本書をふくめて5冊、編書も一冊手がけている。さらに、アメリカの政治評論家、トム・エンゲルハートが2011年に創設したウェブサイト、トム・ディスパッチ・コムの共同編集者兼リサーチ・ディレクターも務めている。

彼が本書のテーマと出会ったのは、いまから14年も前の2001年6月のことだ。当時、タースはコロンビア大学の大学院で博士論文の執筆に取り組んでいた。研究テーマはベトナム帰還兵に見られるPTSD〔心的外傷後ストレス障害〕。

フィラデルフィア・シティ・ペーパーズ紙の記者、ダニエル・デンヴァーのインタビュー記事によると、タースはそのころ、すでにこの論文を200ページまで書き進めていたという。元軍人たちの戦争体験談を収集した彼は、その内容の裏付けとなる軍の文書をさがすため、連日、メリーランド州にある国立公文書館を訪れていた。しかし二週間たっても有用な資料が見つからず、調査は行き詰まってしまった。

職員のひとりに相談すると、「戦争犯罪を目撃した人がPTSDを発症することもありますか」ときかれた。タースは「みごとな仮説ですね」と答え、ベトナム戦争中の戦争犯罪に関する文書を閲覧させてもらうことにした。すると、何箱もの資料が運び出されてきた。それは、ベトナム戦争犯罪作業部会〔Vietnam War Crime Working Group〕の記録文書だった。

この作業部会はミライ事件のあとに国防総省によって秘密裏に設置された特務班で、同様の犯罪が起きた場合に捜査をおこない、外部に情報が漏れないよう対策をとることを任務としていた。資料の箱からは、民間人に対する大量虐殺、殺人、レイプ、拷問、傷害、遺体損壊などの戦争犯罪の捜査記録があとからあとから出てきた。それらのファイルにおさめられた何百通もの事件概要書や宣誓陳述書には、ベトナムの民間人が虫けらのように扱われ、殺されていった経緯が赤裸々に報告されていた。そこに彼は、自分が知っていたベトナム戦争とは異なる”悪夢の戦争”を見た。

タースは、誰かがこれを詳しく調査すべきだと感じ、ベトナム戦争を専門とする研究者数人に話をした。だが、きみがやればいいじゃないかと言われてしまった。そこで彼は大学院で指導を受けていたデイヴィッド・ロズナー教授に相談した。教授は話を聞くなり、その文書が消えてしまわないうちに複写してくるように言い、即座に小切手にサインすると、コピー代としてタースに手渡した。

翌日からタースは国立公文書館の駐車場にとめた車のなかで寝泊まりしながら、何日もかけてコピーをとった。総計9000ページのうち、3000ページ分を複写したという。下世話な話で恐縮だが、一枚あたり25セントとすれば、全部で750ドル、日本円に換算すれば9万円前後になる。それを教授がぽんと出してくれたのだから、この記録文書にどれほど価値があったかがよくわかる。これらの資料は翌年、ロズナー教授の予想どおり、国立公文書館の公開資料棚から消え失せてしまった。非公開扱いとなり、いまでは法にもとづく情報公開請求が通らなければ閲覧できないらしい。

ニック・タースは論文のテーマを変更し、いずれは本も書くつもりで、これまで知られてこなかった事件について調査を開始した。広範にわたる追加資料を集め、事件の当事者や命がけで内部告発に踏みきった帰還兵にインタビューを試みた。ベトナムにも飛んで被害に遭った村を訪ね、生存者からていねいに話を聞いた。米軍当局が把握していない大量虐殺事件がたくさん起きていたことも知って愕然とした。

そうして人々の生の感情に触れるなかで、たんなる文字の連なりにすぎなかった記録が血の通った人間のドラマへと変わっていくのを実感したという。また、報道機関が戦争犯罪の実態をつかみながら、記事の掲載を見合わせたり、消極的な報道をおこなったりした例にも遭遇した。彼はこうした調査結果を記事にまとめては発表していった。

ネーション誌に掲載された"A My Lai A Month〔毎月ミライ事件〕"という記事では、米軍がメコンデルタ地方でスピーディ・エクスプレス作戦と呼ばれる作戦を実行し、敵の死者数を水増しして戦績をあげるために推定5000人の民間人を故意に殺害した事実を暴露した。この功績が認められ、タースは2008年にジェームズ・アロンソン社会正義ジャーナリズム賞を、2009年にはすぐれた調査報道に贈られるライデナワー賞を受賞した。ミライ事件を告発したロン・ライデナワーにちなむ賞が彼にとってどれほど意義深かったかは、言うまでもない。

本書はこのような記事をもとに書かれたものだ。個々の事件について調べ出した詳細を報告することで、米軍将兵による戦争犯罪の全貌を描き出すことに成功した。その巨大な地獄絵のなかに、ベトナムの民間人が味わわされた苦難の深刻さが浮かびあがる。刑を免れて生きてきた加害者は、実名入りでここに告発されているが、すべての根は歴代の米国政権と軍の政策方針にあったのだ。

軍は20歳になるやならずの若者を召集し、新兵訓練を通じて人種差別的な考えを吹き込み、憎悪と恐怖を植えつけて、戦場へ送り出した。そこではもちろん、敵を多く殺すことがすべてだった。しかも米国政府も軍も、とりわけその”数”にこだわり、将兵に強いプレッシャーをかけていた。殺害数を増やしていけば、敵はいずれ兵員補給が追いつかなくなり、戦争の継続を断念する。それが戦争立案者の論法だったのだ。

南ベトナムの戦地に放り込まれた米兵たちが殺すべき”敵”とは、北ベトナム軍や解放民族戦線の兵士だったはずだが、いつのまにかそれはたんに"黒いパジャマを着た者" "走って逃げた者"、つまりベトナム人と同義となった。女性や子供や老人が敵の戦闘員と見なされ、銃弾の犠牲となった。幼児でさえ、戦死した敵の戦闘員として、死体数に加えられた。数を増やせという上層部からの圧力に応えるために、そのような不正行為がおこなわれていたのだ。

しかし政府や軍の最高責任者がどんなに慎重に言葉を選び、見映えのよい説明をしたところで、末端の兵士のなかにはかならず、「動くものはすべて殺せ」という意味に解釈する者がいたことだろう。ひとたび戦争に参加すれば、このような犯罪は避けられまい。民間人に配慮したやさしい戦争などはありえない。大義のために殺人という罪を犯しあうのが戦争である以上、敵を憎み、自分自身も鬼畜にならねば引き金は引けまい。良心をもった者は生涯、呵責に苦しむことになるのだろう。

読後には、やり場のない悲しみと怒りがこみあげてくる。無差別爆撃で多くの命を奪われ、国土をずたずたにされたベトナムには、太平洋戦争末期に空襲で街を焼かれた日本の姿を重ねずにはいられない。だからその苦しみがわかるのだが、わたしたちが安易に被害者側に立つのは筋違いなのだろう。日本はかつてこの地を占領し、何万人もの民間人に苦難を強いたのだから。むしろ自国の過去に向き合うつもりで加害の現実を直視すべきなのだ。

しかし村を焼き、農民を容赦なく攻撃する米軍部隊の実態は、何度となくテレビ放映されてきた沖縄戦のそれに、なんと酷似していることだろう。ナパーム弾による深刻な被害は、被爆者の苦しみをいやでも想起させる。米軍が広島級原子爆弾の数百倍に匹敵する破壊力でベトナムを攻撃したと聞けばなおさらだ。ならばわたしたちは、加害と被害の両方の痛みを知っていることになるのか。そう言えるほどに、みずからの過去の全体像をつかめているのだろうか――。さまざまな思いが胸に渦巻く。

本書は2013年にアメリカ本国で刊行された。軍の捜査記録をもとにベトナムにおける戦争犯罪の本が書かれたのは、はじめてのことだった。また、これほど多様なソースから証拠や証言を集めた例もないという。米兵による戦争犯罪があった事実はすでに知られてはいたが、このように広範囲にわたっていたことが突きとめられ、大きな全体像が描き出されたことはかつてなかったのだ。

出版後は各紙誌の書評で取り上げられ、「説得力のある議論」(ワシントンポスト紙)、「必読の書。パラダイムシフトを迫る画期的な戦争史だ……数十年を経たいまもなお、アメリカ人はベトナムから教訓を学んでいない」(サンフランシスコ・クロニクル紙)、「凄惨きわまる戦争に深く切り込んだ取材をし……豊富な証拠資料を用いて細部にいたるまでていねいに書き込んでいる」(パブリッシャーズ・ウィークリー誌)などと高い評価を受けた。

2014年、ニック・タースは、戦争犯罪の記事と本書の執筆に対し、独立メディア・パークセンターからイジー賞を授与された。この賞は、20世紀の調査ジャーナリスト、I・F・ストーンを記念して設けられたもので、すぐれた活動で社会に影響を与えた独立系メディアやジャーナリストを対象とする。彼にとっては何よりうれしい賞だったことだろう。

タースはもちろん、その後も精力的に活動している。2015年5月には、アメリカがアフリカ諸国への軍事援助を通じてひそかに影響力を拡大している実態を伝えたノンフィクション、Tomorrow's Battlefield: US Proxy Wars and Secret Ops in Africa〔明日の戦場――アフリカにおける米国の代理戦争と秘密作戦〕(Haymarket Books)を上梓した。今後の活躍にも期待が寄せられている。

ベトナム戦争については、知るべきこと、学ぶべきことが山ほどある。本書を糸口として関心を広げ、日本の来し方行く末に思いをはせていただければ幸いである。

2015年夏 布施由紀子

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