就職先、南の島 『日本を愛した植民地 南洋パラオの真実』

吉村 博光2015年11月17日 印刷向け表示
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日本を愛した植民地 南洋パラオの真実 (新潮新書)
作者:荒井 利子
出版社:新潮社
発売日:2015-09-16
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本書の舞台は、ミクロネシアである。ただ、そういわれても、茫洋として掴みにくい。だから副題に「南洋パラオ」と入っているのだろう。観光地パラオなら少しはイメージできる。実際に私は、この副題で興味が湧いた。メインタイトルだけだったら、手に取ることさえなかっただろう。そういう類の本は山ほど出ているからだ。私は、この副題に惹かれて本書を手に取り、そして、次の一文を読んで背中に電流が走った。

残念な事に戦後70年もの間、ミクロネシアの日本移民のことは、ほとんど一般の日本人には知られて来なかった。本書を通して、ひとりでも多くの人に知ってもらうことが、死んでいった移民たちの供養になればと心から願っている。 (本書「おわりに」より)

何年か前に自分の戸籍をさかのぼった際、祖父がミクロネシアで暮らしていた痕跡があるのを知り、ずっと気になっていたからだ。前後の辻褄を考えると、どうやら祖父は九州から東京の明治大学に進学し、卒業後、ミクロネシアの地を目指したようだ。私が大学を卒業する時、そのような選択肢はなかった。でも当時そこには、希望に燃える若者の心を急き立てる何かが、あったのではないか。それが何なのかを知りたい。そう思いつつ、日々をおくってきた。私は、漸く目の前にもたらされた解決の糸口をたぐるように、ページをめくった。

日本は第1次大戦とともに戦わずして当地を手に入れ、第2次大戦終結まで30年間も統治し、その間、経済的な繁栄を誇った。政府は統治政策として同化政策を選ぶ一方で、増え続ける人口問題の解消策としてミクロネシアへの移住を奨励し「南洋の楽園」ができあがったのである。住む人が増えれば、役人も増える。南洋庁という役所が作られ、九州帝大、東京帝大、早稲田、慶応などを出たエリートが、そこで役人として働いた。私の祖父は、どんな夢を抱いてミクロネシアに赴いたのだろう。個人的な興味が呼び水となった読書だったが、教科書には載っていない事実が書かれていると感じ、多くの方にお薦めしたいと感じた。

日本以前の統治国(スペイン、ドイツ)は地理的に遠かったこともあって放置状態だったが、日本統治時代には大勢の人が来て、新しい文化をもたらしてくれた。一般に同化政策は、自分たちの文化を守ろうとする現地の人から反発を招きやすいものだが、ミクロネシアの人々は新しい文化を歓迎し、やがて本物の日本人になりたいとさえ思うまでになった。しかし、そんな幸せな時代は長くは続かず、第2次大戦で全てが破壊され、その後は経済的な繁栄を取り戻すことはなかった。だから、当時を知る人は日本への愛を口にするのだ。

本書は、当時を知る古老たちの発言を中心に構成されている。のんびり日向ぼっこをしながら、お婆さんから楽しかった昔の話を聴くような居心地のよさがある。しかも、日本のことを賛美してくれるのだから、読んでいるほうは自然と良い気分になってしまう。しかし読者は、それが日本民族の優位性を示すものだと、勘違いしてはならない。同じく同化政策がとられた朝鮮や中国で、同じくうまくいったわけではないからだ。あくまで、本書の主題は、「なぜ、ミクロネシアだけが、こんなにうまくいったのか」なのである。

私は、祖父の面影を追いながら、本書に時系列で綴られている事実を頭の中に積み上げていった。同化政策の是非や他の被支配民族との違いなど、多くの要素について考えた。そして、この統治がうまくいった理由を一言で表現するのは難しいと私は感じた。そこには、いくつもの意図せぬ偶然が重なっていたからだ。この問いに結論を出すより、我々は「かつてここに楽園があった」ことを、ただ受けいれれば良いのではないか。私にそう思わせた、著者の論考の一つに次のようなものがある。

パラオ人にしてみれば、もともとプライドが高いうえに、同化教育によって、自分たちは日本人、あるいは日本人に非常に近いという教育を受けた。それは、同じ日本人ではあるが、決して沖縄の人のような日本人ではなく、本土の日本人を指していた。
つまり、「自分は本土の日本人に非常に近い」「沖縄県移民よりももっと日本人に近い」と思うことができた。彼らは自分たちを本土の日本人より下ではあるが、沖縄県移民よりは上。上と下のランクの中間、本土移民と沖縄県移民の中間的立場と感じていたのではないだろうか。 (本書第8章「やっと戦争が終わった」より)

沖縄県移民の存在によって「支配するものされるもの」という対立の構図が避けられたのである。本書で古老が「日本人と仲良しだった」と証言しているが、現地の人が一緒に遊んで仲良くなったのは、主に沖縄県移民だったようである。他にも、白い帽子をかぶった一流大学出身のエリートたちの前で萎縮する、本土からの民間人移民がいた。証言によると、現地の人々はこの「下のランクの日本人」との間に仲間意識を強め、楽園を築いていったようだ。これが、統治がうまくいった最大の理由ではないかと私は考えた。そして同時に、この状況は意図して作り出せるものではないと、私は感じたのである。

今年の4月には、天皇皇后両陛下が慰霊のためパラオを訪問されている。その背景には、「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならない」という焦りにも近い気持ちがあったといわれている。冒頭の引用にもあるように、ミクロネシア統治の真実は戦後70年間あまり知られてこなかった。私たち日本人は教科書で習った事実だけでなく、歴史に関する教養をもっと深める必要がある。グローバル化の中で、日本が主体となった事柄に関する知識の空白地帯があるのは、恥ずかしいことだと私は考える。

さて、本筋とは少しずれるが、本書にはミクロネシアの人々を理解するためのエピソードがいくつか紹介されていて、それも十分に面白い。例えば、上半身裸で過ごしている現地の女性たちに、なんとかして服を着させようと、18世紀のスペイン統治時代に宣教師たちがシャツを配った。でも、子どもに乳を飲ませるたびに面倒を感じた女性たちは、とうとう丸い穴を二つ開けて着るようになったそうだ。現地女性にとって、性的なシンボルは、乳ではなく太腿の後ろ側なのだそうだ。長いスカートをはき、その中には膝までの長いズロースをはいているという。

他にも、現代に目を移すと、第2次大戦後にアメリカが「自由」を掲げて統治を始めると、日本時代に禁じられていた飲酒に溺れただけでなく、麻薬やマリファナに手を染めるようになったそうだ。また、日本時代は結婚しないで子供が生まれたら白い眼で見られたのに、いまでは私生児がいっぱいいるという記述もある。子供ができたら、男たちは逃げて行ってしまうのだそうだ。自らが愛する自由の精神をミクロネシアの人々に教えようとしただけで、アメリカに悪意はない。人を疑うことなく、オープンハートで生きる人々なのだろうという印象をもった。

戦後の風紀乱れの中、古老たちの間で日本時代の素晴らしさが語り継がれてきた。しかし、その語り部も減ってきている。その時代にミクロネシアに何があったのかを、私たち日本人はもっと知る努力をしなければいけないのではないか。他で知ったことだが、いまや現地には韓国人の手で反日の碑すら建てられているそうだ。日本でも、第2次大戦でパラオが激戦地になったことは何となく知っていても、実はそこが一流大卒のエリートが就職先に選ぶような「南洋の楽園」だったことなど、ほとんど知られていない。そこで生きた祖父の遺影を見つめながら思う。果たして、それでよいのか。と。

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