『兵士は戦場で何を見たのか』 訳者あとがき

亜紀書房2016年02月11日 印刷向け表示
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兵士は戦場で何を見たのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ II-7)
作者:デイヴィッド・フィンケル 翻訳:古屋美登里
出版社:亜紀書房
発売日:2016-02-11
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2007年4月、ワシントン・ポスト紙の元記者でピュリツァー賞受賞者デイヴィッド・フィンケルは、バグダッド東部にあるラスタミヤという、だれも行きたがらないアメリカ軍前線基地に赴いた。そこは、「すべてが土色で、悪臭に覆われ」、「風が東から吹けば汚水の臭いがし、西から吹けばゴミを焼く臭いがし」、「外に出るとたちまち頭からブーツまで埃まみれになる」場所だった。

2007年1月にブッシュ大統領が、「バグダッドの治安維持とイラクの自由のために」さらに2万人の兵士をイラクに送ると発表したのを受け、カンザス州フォート・ライリーを拠点にしていた第一歩兵師団第四歩兵旅団第十六歩兵連隊第二大隊がイラクに派遣されることになった。フィンケルが赴いたのは、この大隊に密着取材し、大隊の指揮官のラルフ・カウズラリッチ中佐を中心に、戦場における兵士たちの実情をレポートするためだった。

そして本書(原題「The Good Soldiers」)が2009年9月にアメリカで出版された。ここに描かれた戦争の姿、兵士の置かれている過酷な現実、即製爆弾(IED)の爆発でたやすく破壊されていく人体、大隊兵士の19歳という平均年齢、イラクの治安は少しもよくなっていないという事実に、多くの人たちは声を失った。長い期間をかけて深く戦争の現場を掘り下げた本書で、人々は初めて、アメリカにいてはわからないイラク戦争の姿を知ったのである。

「兵士たちにとって戦争は、英雄を生み、悲劇をもたらす現場」であったが、「アメリカ合衆国では違った」とフィンケルは書いている。アメリカでは、「もっと戦略的で、もっと政治的で、もっと政策主導で、さまざまな用途に使える事件」しか取りあげない。「アメリカではマクロなものしか記事にならなかった」。だからこそ、彼はミクロなものを書くことで、「現場」の声を、音を、臭いを、恐怖と不安を伝えようとした。このフィンケルの手法は本書の後編とも言える『帰還兵はなぜ自殺するのか』(2015年 亜紀書房刊)においてもまったく変わっていない。ジャーナリストが伝えなければならないのは、ひとりひとりの人間の行動であり、心の動きであり、考え方だという姿勢が鮮明に表れている。

対象に迫るときに取材している自分を一切消し、一人称を使わず、あたかも小説のように描く書き方を「イマージョン・ジャーナリズム」という。取材する者がそこにいるのにそこにいることを知らせない書き方は、最初は戸惑いを覚えるかもしれないが、語り手が見えないがゆえの臨場感は特筆すべきものである。こうした書き方を真っ先に実践したのは、1970年代に「ニュー・ジャーナリズム」の旗手と言われたトム・ウルフだが、その手法を引き継いだフィンケルの文章からは、人物や風景が鮮やかに目の前に迫ってきて、読み手は実際にその場にいるかのような錯覚を覚える。そのためか、重傷を負った兵士を救おうと医師の集団が手を尽くしている場面や、四肢を失い、残った体すべてに火傷を負い、感染症で生死の境にいる兵士をカウズラリッチが見舞う場面は、何度読んでも涙を禁じ得ない。

本書の中心人物であるカウズラリッチ中佐は40歳。陽気で楽天的で、アフガン戦争でも勇猛に戦い、人から「徹頭徹尾、本物の兵士」と言われるほどの軍人だ。これまでに部下をひとりも死なせたことがないのが自慢でもあった。ところが自分の部下がひとりまたひとりと殺されていく事態に直面し、彼自身も次第に変化していく。

戦争を描こうとすれば当然のことだが、本書には兵士が死傷する場面が多く登場する。2003年から2011年まで、8年に及ぶイラク戦争で死亡した兵士の数は、イラク治安部隊を含めた連合軍側も、イラク側も、それぞれ二万数千人に及ぶ。負傷者はおよそ11万人である。そしてアメリカ兵士の死者数がもっとも多かった年が、増派によって駐留するアメリカ兵の数が増えた2007年だった。

しかし、民間人の死者の数はそれよりはるかに多い。イラクの民間人の死者数は正確にはわかっていないが、最初の四年間に限っても、15万人とも60万人とも言われている。「ランセット」という有名な医学誌に掲載された2006年時点の調査報告では、65万5千人という数字を挙げている。これはイラクの人口の2.5パーセントに当たる。夥しい数である。

アメリカ側のジャーナリストの視点から描かれているとはいえ、フィンケルの批判的精神は随所で発揮されている。それは、手足や目を失った兵士たちについて、ある陸軍のトップが「なくしたのではなく、国に捧げたのだ」と語る場面や、ペトレイアス大将の両院議会における公聴会での様子などに明らかだが、最たるものが、第5章で詳細に描かれる、ロイター通信のジャーナリストに対するアメリカ側による誤爆事件だろう。

アパッチ・ヘリの乗組員と地上にいる中隊とのやりとりを通して、その場面を非常に克明に、あたかも映画のように再現している。この誤爆によってロイターのジャーナリストふたり、民間人12人から18人以上(報告によってばらつきがある)が殺され、幼い子供ふたりが重傷を負った。

2010年になってウィキリークスが、アパッチ・ヘリから撮られた動画をサイトに載せると、この誤射の瞬間を見た多くの人々は大きな衝撃を受けた。ヘリからマシンガンが発射され、土煙が上がり、複数の人が倒れるところや、ハンヴィーが死体の上に乗り上げるところ、民間人が乗っていたヴァンを掃射する映像まですべてが鮮やかに映っていたからである。つまり、映画とはまったく違う、目を背けたくなるような戦争の姿が映っていた。これが誤爆であったか否かについては、その後、ロイター通信を含むメディアや、現場にいた兵士やペンタゴンの関係者たちがそれぞれの意見を述べ、戦争の是非を含む一大論争へと発展していった。また、ジェームズ・スピオーネ監督が2011年に、この事件を元にした「ニュー・バグダッドの出来事」という二十二分の映画を作り、アカデミー賞の短編ドキュメンタリー映画賞の最終候補になった。

フィンケルは、ウィキリークスに情報が漏れる前にこの出来事を書いているが、「機密扱いではない複数の情報から作り上げた」とし、「イラクにいたことが私のもっとも貴重な情報源である」と述べている。

悲惨な情景や兵士の呻き、死と隣りあわせのひりひりした興奮と恐怖をフィンケルが文章に写し取れたのは、確かに彼がイラクにいて、そこで起こったことをつぶさに見て体験していたからだろう。とはいえ、彼が見てきたのは悲惨なことばかりではなかった。カウズラリッチとイラク人通訳イジーや、イラク警察のカシム大佐との交流は心温まるものである。多くの部下を死傷させられてもなおイラク人の中にある善意を信じられるのは、イジーやカシムがいるからだ、とカウズラリッチは言う。そうした人情に篤いところがあるからこそ彼は、陸軍の中でも「浮いた」存在になっているのかもしれない。

本書は、アメリカで出版されるや多くの紙誌の書評やテレビに取り上げられたが、中でも「ニューヨーク・タイムズ」の顔とも言うべき書評家ミチコ・カクタニは、「心臓が止まるような作品」であり、これまでとはまったく違った戦争へのアプローチをおこなって、「戦争のシュールレアルな恐ろしさをみごとにとらえている」と絶賛した。また、「兵士たちの中で育まれる同志愛」や「政治家や軍上層部の論じる戦争と、兵士が直面している戦争とには大きな隔たりがあると兵士たちが感じ続けていること」をも正確にとらえている、と評している。ピュリツァー賞受賞作家ジェラルディン・ブルックスは、「『イーリアス』以降、もっとも素晴らしい戦争の本であろう」と述べている。

本書の原題「The Good Soldiers」は、直訳すれば、よい兵士、善良な兵士、立派な兵士、忠実な兵士、といった言葉になる。確かにここに登場する兵士ひとりひとりはそういう兵士である。この言葉にフィンケルはまったく皮肉を込めてはいない。国のために戦っている若い兵士、遠い国で命を賭けている兵士はgood soldier以外の何者でもない。しかし、目を閉じれば脳裏には死んだ戦友の姿や幼いイラクの女の子の姿がスライド・ショーのように映り、不眠に苦しみ、不意に体が震えてくる。そこにいるのは兵士である前に、紛れもなく普通の若者である。

先にも触れたが、昨年出版された『帰還兵はなぜ自殺するのか』(原題「Thank You for Your Service」)は本書の後編に当たる。出版の順番が逆になってしまったが、すでにそちらをお読みの方にはなじみの兵士がこちらにも登場する。『帰還兵はなぜ自殺するのか』には、「大隊の中でもっとも優れた兵士」アダム・シューマンを中心に、「壊れちまった」5人の兵士とその家族の「戦争の痕」が描かれている。こちらも併せて読んでいただければ、と思う。

本書を訳す作業は前回以上に辛いものだった。しかし訳し終えたときには、この本の価値を、デイヴィッド・フィンケルが見た戦争の姿を、大勢の人たちに伝えなければならないと痛感した。
この時代に生きる多くの方々に手に取っていただければ幸いである。

2016年1月6日 古屋 美登里

亜紀書房 亜紀書房は1967年創業の出版社で、人文書・翻訳書・サブカルチャーなど幅広い分野での出版活動を行っています。特に2007年からはじまった「翻訳ノンフィクションシリーズ」は、海外の良質なノンフィクションを紹介し、社会に果敢な問題提起を行うシリーズとして好評を博しています。亜紀書房のウェブ雑誌「あき地」のサイトはこちら
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