生命がどのようにして誕生し、進化してきたのか?だれもが興味をいだくテーマだ。完全にわかるということはありえない。しかし、あたらしい技術が開発され、あらたな発見がなされ、次第に議論が収斂してきている。全地球凍結=スノーボールアース仮説の提唱者である地質生物学者著者ジョセフ・カーシュヴィンクと古生物学者ピーター・ウォードによるこの本は、最新データを網羅してまとめあげられた最高の一冊だ。
原題は A New History of Life。生命の “新しい” 歴史として、三つの視点から生命の誕生と進化が描かれていく。その三つとは『環境の激変』、『単純な三種類の気体分子(酸素、二酸化炭素、硫化水素)』、『生物自体ではなく生態系の進化』。生物そのものよりも、その環境から生命の歴史が読み解かれていく。
我々の考え方というのは基本的に保守的だ。だから、現在認められるプロセスが過去にもあてはまる、とする「斉一説」を好むようにできている。しかし、その先入観は木っ端みじんに吹き飛ばされる。大進化は、信じられないような出来事、それもカタストロフィーと言っていいようなとんでもない大惨事、によってもたらされたという『天変地異説』が正しいのだ。
スノーボールアース現象、いまはもう仮説ではなくて現象だ、がその典型例である。地球はこれまで二度の全球凍結を経験している。一度目は、光合成をする細菌であるシアノバクテリウムが全盛をきわめたことによる。二酸化炭素の濃度は酸素と逆相関するのだが、大量のシアノバクテリウムが酸素を大気中にはき出し続けた結果、二酸化炭素が減少し、温暖化と逆のはたらきによって凍結してしまったのだ。酸素恐るべし。
そして二度目の全球凍結は、地球の自転軸が大きく動いた『真の極移動』が原因だった。どちらの全球凍結も、斉一説的な考え方からは理解できない環境の激変をもたらし、生物の大絶滅を引き起こした。そして、それが終わった時、大進化がもたらされた。
生命の歴史における大きな出来事は、生命の誕生、生命の酸素への適応、真核生物の登場、そして、カンブリア爆発である。分類学では、下から順に、種、属、科、目、門、界となっていて、動物界には32の門がある。カンブリア紀は、32門すべてが出現しただけでなく、5億3千万年前から5億2千万年前という「わずか」1千万年の間にそのほとんどが登場したのだから、岡本太郎も真っ青の爆発だ。
カンブリア爆発も『真の極移動』によって生じたと考えられている。その極移動では、メタンをため込んだ海底や永久凍土-メタンハイドレート-が、高緯度から赤道に向かって移動し、温室効果ガスであるメタンが大気中に放出されて温暖化が生じた。その結果、進化や種の多様性が爆発的に進んだのである。分子生物学的な解析から、進化に必要な『遺伝子の道具箱』はその5千万年前には備わっていたことがわかっている。しかし、進化の環境が整ったカンブリア紀になって、ようやく『遺伝子の道具箱』が使われ、爆発的な進化が生じたということなのである。
いうまでもなく、生命の歴史における最大のできごとは生命の誕生だ。しかし、それについてはいくつもの学説が存在している。ということは、残念ながら、どの学説もが不十分であるということに他ならない。有力かつ有名なのは、海底の熱水噴出孔を生命誕生の候補地とする説だが、原始生命の遺伝情報を担っていたはずの核酸であるRNAが高温では不安定なことから、この説をすんなり受け入れることはできないという。
そして、生命の起源は火星ではないかという説が紹介される。荒唐無稽な考えのように思えるが、これまでのエビデンスから、まったく不思議ではないという。はたして、どちらが正しいのか、それとも、どちらも間違えているのか、はわからない。かなり複雑な議論ではあるが、同じくらい正しそうな対立する学説を聞くのは、なんともスリリングな知的冒険だ。
重要性では先の四つのイベントに劣るが、なんといっても人気があるのは恐竜だ。恐竜の絶滅は、約6500万年前に、直径10~15キロメートルともいわれる巨大な隕石がユカタン半島に衝突したことによってもたらされた。このK-T境界絶滅では、恐竜の絶滅だけでなく、全生物種の75%もが消失し、その結果生じたニッチがほ乳類の台頭を促した。
隕石の衝突があったことも、それによって恐竜をはじめとする多くの生物が地球から消え失せたことも事実だ。しかし、それ以前からすでに、『真の極移動』による大量絶滅の兆しのあったことが認められつつある。だから、K-T境界絶滅は、隕石の衝突だけが原因なのでなく、すでに進み始めていた大量絶滅が隕石によってとどめをさされた、というのが正しいのである。
どうして巨大な恐竜が進化できたか、という話もえらく面白い。トカゲやワニのような現生爬虫類は、骨格の構造のために、動きながら呼吸できない、ということをご存じだろうか。息苦しい話で、酸素摂取的には相当に不利なのだ。しかし、二足歩行ができるようになると、そのような制約から解放される。恐竜が登場するのは三畳紀(約2億~2億5千万年前)の後半なのだが、この時代は、酸素濃度が今の半分ほどしかなかった。そのような低酸素に適応するために、まず、二足歩行の小型恐竜が進化したのである。
もう一つ重要なのは肺の構造だ。恐竜の子孫とされる鳥類の肺の構造は、ほ乳類と異なっている。ほ乳類の肺は風船のように膨らんだり縮んだりするが、完全に縮みきることはない。だから、息を吐ききっても、二酸化炭素を多く含む空気がどうしても肺に残ってしまう。しかし、鳥類の肺は、空気が一方通行で流れるようになっているので、そのような無駄がなく、換気効率がほ乳類より優れている。だから、オグロヅルのようにエベレストの上空を飛んで超えるような離れ業も可能なのだ。
鳥類に進化する以前の恐竜も、三畳紀後半の低酸素への適応として、現在の鳥類と似た構造の呼吸器を持っていたことがわかっている。そして、三畳紀が終わってジュラ紀にはいると酸素濃度が現在と同じくらいまで上昇した。このことは、すでに低酸素に対して十分に適応していた恐竜にとって大きなアドバンテージだった。酸素を有効に取り込むことができたがために、大型化と多様化がもたらされたのだ。ここでも、酸素恐るべし。
ごく一部しか紹介できなかったが、爆発的な知的興奮が全編を通じて持続するほど面白い話が目白押しだ。そして、この本を読むと、よほどの大発見がない限り、向こう10年ほどは、同じような内容の本を読む必要はないはずだ。決してやさしい本ではないが、読む価値は十分にある、というよりも読まなきゃ損だ。新聞広告によると、出版一ヶ月で重版らしい。この手の本としてはかなりの売れ行きと言っていいだろう。しかし、もっと爆発的に売れるだけのポテンシャルを持った本であると断言しておきたい。
※訳者あとがきはこちら。
以前の定番はこの本で、単行本が出版されたのは10年すこし前。それ以降の知見がどのようなものであったかを読み比べてみるのも面白いかも。