『バイエルの謎 日本文化になった教則本』 文庫解説 by 最相 葉月

新潮文庫2016年03月06日 印刷向け表示
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バイエルの謎: 日本文化になった教則本 (新潮文庫)
作者:安田 寛
出版社:新潮社
発売日:2016-02-27
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小学生の頃、同じマンションに住むピアノの先生の家に週に一回、通っていた。自分の家にピアノがないのに習うというのは、今考えるとかなり無謀な挑戦だった。練習に使用したのは、赤い表紙のバイエル教則本。正直、つまらなかった。赤を終えると黄色になったが、依然としてつまらなかった。同じことの繰り返しで飽き飽きした。

少し楽しくなってきたのは、父親が電気オルガンを買ってくれてから。発表会に向けて課題曲も決まった。テオドール・エステン作の「人形の夢と目覚め」。静かでゆったりとしたメロディーで始まり、途中から軽やかなテンポに変わる。まさに眠りから覚めた人形が突然踊り出すような可愛らしい曲だった。

転居先の町でも引き続きピアノ教室に通った。だが、私のピアノはここで練習したチェルニー教則本で終わる。シャープやフラットの数が増えてわけがわからなくなったためだ。いや、もっと決定的な理由がある。ラジオから流れてきたビートルズに魅了され、ギターを弾くようになったのだ。「平凡」や「明星」といった芸能雑誌の付録のソングブックを頼りに弾き語りも始めた。コードを押さえるだけの拙い演奏だったが、ギターを弾きながら自分が好きな曲を歌う楽しさは格別だった。バイエルを思い出すことは一度もなかった。

本書によれば、バイエルへの批判が高まったのが1990年前後というから、それ以前にピアノを習った人のほとんどは、私のような脱落者も含めてバイエルにお世話になっただろう。バイエルはピアノ初心者必携の教則本であり、ピアノを習うならバイエルから、というのが常識だった。それほど日本人になじんだ楽曲集だったというのに、私は何も知らなかった。バイエルが何者だったのかも、なぜ日本で普及したのかもほとんど知らなかった。そもそも、あまりに身近だったので疑問さえ抱かなかった。

さすがに専門家のあいだでは知られているだろう。そう思って著者は音楽辞典を調べてみるが、人物紹介はたった数行、商業主義のため素人好みの作品を大量生産したと酷評する記述もあったという。ちなみに、わが家の音楽辞典には「バイエル」という見出しすらなかった。一次資料がないために偽物の伝記が出回り、研究者のあいだでも、著名な作曲家の仮名ではないかとか、複数の人物の合作だったのではないかといった憶測が流れたこともあったらしい。誰でも知っているのに、本当のことは誰も知らない。本書はそんな謎の人物と教則本の正体に迫るのだから、おもしろくないはずがない。

著者は明治時代にさかのぼり、日本に西洋音楽の教育法を移入した音楽取調掛の足跡をたどる。その中にバイエルの痕跡を発見すると、初版本探しの旅に出る。ところが、ドイツにある版元のショット社にも、元ハプスブルク家の図書館にも、どこを探しても初版はない。その代わり、複数の版の比較から見えてきたのが、バイエルの構成のユニークさである。初心者の教則本としての機能を果たしつつ、オペラや民謡、モーツァルトなど当時の流行曲を初心者用にアレンジした曲も楽しめる二重構造になっている。そういえば、ピアノのレッスンをやめた私でも、映画音楽やポップスをアレンジしたピアノ曲集を弾くことは好きだった。本来のバイエルは、そんな移り気な初心者でも好奇心をくすぐられる教則本の先駆けだったというわけだ。

ところが日本に導入されてから、バイエルは独自の発展を遂げる。絶対音感の早期教育を開発し、戦後日本の音楽教育に多大な影響を与えることになる園田清秀が、バイエル教則本を子ども向けに再編集した際、音感教育を優先するあまり、バイエルが意図した予備的なレッスンである「静かにした手」を和音聴音に改変してしまったのである。絶対音感ブームと相まって、改変されたバイエルは日本人のピアノ教育に急速に浸透していく。実は拙著『絶対音感』の取材を行う中で園田の教則本は目にしていたが、そこで使われている和音がバイエルを土台にしていたとはまったく気づかなかった。音楽の専門家である著者ならではの楽譜の解釈にはわくわくさせられる。

一方、じれったさを感じるところもある。通常、学術研究はもちろんノンフィクションの作品でも、資料を見つけて現物にたどり着くまでの手続きや、その過程でドキドキする様子はあまり書かれない。それこそ取材の「番外曲」である。資料をある程度そろえて読み込んでから取材をスタートさせるほうが、早いうちに軌道修正ができて無駄足にならず、経費節減にもなる。著者はなぜ「名曲アルバム」を制作したNHKの担当者に問い合わせないのだろうかとか、乙骨三郎らの『バイエルピアノ教則本』の序文をなぜ先に読まなかったのだろうとか、図書館の司書とのやりとりはいらないんじゃないかとか、突っ込みたくなるところは多々あった。

だが読み進めていくうちに、はたと気づいた。著者がどこまで意図しているかはわからないが、本書はバイエル教則本と相似形なのである。バイエルの生涯とその仕事を一次資料を発掘して解明しようとする学問的な価値をもつ書でありながら、一般読者でも理解できるように謎解きを楽しみながら読み進められるエンタテインメントになっている。じれったさもその要素の一つ。両者が合体しているからこそ、たんなる一音楽家の伝記では得られない喜びと感動が味わえるのだ。

クヴェアフルトの教会でバイエルの記録に近づいていく時の「この日、この瞬間のために私は生きてきたのだ」という心の声。「世界中で私だけがバイエルの正しい誕生年月日を知っている」という優越感。どんな仕事であれ、真相究明のために歩き回った経験のある者なら思わず共感してしまうくだりだ。マインツの図書館の司書が自らバイエルの墓を探して写真まで撮影してくれたのも、著者の熱意にほだされ、バイエルという地元の音楽家の存在意義を再認識したからだろう。題材の面白さと取材者の意志の力は往々にして周囲を巻き込むのである。

著者はこれまでに、『唱歌と十字架』(1998)で日本最初の文部省小学唱歌の多くが讃美歌の替え歌であったことを明らかにし、『日韓唱歌の源流』(1999)では、キリスト教の伝道や日本のアジア侵略をふまえ、唱歌を通じて東アジア諸国で共通の歌謡文化圏が築かれたことを解明した。

歴史をたどるとはその時代の人々や社会に新しい輝きを与え、今に至る道筋を照らし、現代を生きる私たちの人生を昨日よりもっと豊かにすることである。バイエルの死亡証明書や洗礼記録、親族の職業や家の改造を示す書類などの一次資料と共に新しい事実が判明するにつれ、実在するかどうかも怪しかった人物が生き生きと動き出す。優れたオルガニストだった祖父から母へ、そして母から息子へ、その子どもたちへと受け継がれた曲たちが、時を経て日本の子どもたちをクラシックへいざなう入門書となったのは奇跡としかいいようがないことだったのだ。

ピアノのレッスンを早々にやめてしまった私であるが、その後しばらく教会の日曜学校で足踏みオルガンを弾いていた。簡単な讃美歌の伴奏だったが、自分の演奏に合わせて子どもたちが歌ってくれたことは大切な思い出だ。今はもう、ピアノもオルガンもほとんど弾けないけれど、音楽を好きになった始まりの時にバイエルがあったことを嬉しく思う。もしオリジナルに近いかたちで再刊されれば、ぜひもう一度、バイエルを弾いてみたい。

(平成28年1月、ノンフィクションライター)

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