一気読み不可 『シャーロック・ホームズの思考術』

吉村 博光2016年04月11日 印刷向け表示
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シャーロック・ホームズの思考術 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
作者:マリア・コニコヴァ 翻訳:日暮雅通
出版社:早川書房
発売日:2016-01-08
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ネットで短文を読むことに慣れている方は、きっとイライラさせられるだろう。繰り返しが多く、読むのに時間がかかる。一気読みができない本だ。それでも私は、本書をお薦めする。人によっては、人生のバイブルになる可能性すらあると思うからだ。私は「くどいと感じた言い回しには、別の意味があったのではないか」と思い直し、さらに一ヶ月かけて読み直した。それくらい、私は本書にひきつけられてしまった。人気ドラマを読み解いただけの本ではない。忙しい時代だが、どうか慌てないで、たっぷりと時間をとって読んで欲しい。

本書は問う。「ホームズは、なぜ初対面のワトスンがアフガニスタン帰りだと推理できたのか?バスカヴィル家でなくなった片方のブーツから、なぜ真相を見出せたのか?」と。シャーロッキアンでない私には、そういわれても全くピンと来ない。それでも、本書の読書には全く差し支えなかった。むしろ、あなたがホームズを知らないとしたら、それは幸運なことだ。私は、読了後、公開中の映画「シャーロック 忌まわしき花嫁」を観て、その世界にスーッと入り込めた。大満足だった!これから、全正典60作を読む愉しみ。これも、本書からの贈り物である。

しかしもちろん、最大の贈り物は、切れ味鋭いホームズの思考術が理解できたことである。脳の中を常に整理しておき、観察し、想像し、推理する思考術。あなたも自分の専門分野くらいは、周囲が括目するような成果をあげたいだろう。本書は、最新の心理学と脳神経科学の見地から、ホームズの思考術とは何かを説明し、誰しもが陥りがちなワトスンの思考術から抜け出す方法を教えてくれる。一見難しそうだが、心配することはない。誰にでもできると書かれている。つまり、本書は希望の書なのである。時間はかかるかもしれないが、決して難しい話ではない。該当箇所を引用する。

私たちの脳はいつまでも、新たな回路を成長させ、使われない回路を取り除くことをやめない。そして、私たちが強化する領域は、いつまでも強くなっていく。先にも本書で述べた、使うとともに強くなっていく(が、使わなければ衰える)筋肉──それまでまさかできるとは思わなかったような、目をみはるほどの力わざができるほどに鍛錬することも可能な筋肉──と似ている。 ~本書「終わりに」より

そう書いた後、中年の物理学者が絵を学び始め画家となった話や、5000万部以上を売り上げた『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』の作家が52歳でデビューした話、60歳でオリンピックに初出場したアスリートが72歳までに金2個銅1個のメダルを獲得した話などを列挙する。そして、何といってもホームズがいる。継続的な努力は必要だが、正しく注意力を傾注すれば、目指すことが起こる。それだけ、人間の脳の秘めた力は驚異的だと本書は説く。

もうおわかりのように、ホームズの洞察はほとんど何にでも応用できる。すべては態度、マインドセット、思考習慣、自分が発展させる世界への辛抱強いアプローチなのだ。それに比べると、何に応用するかという点ははるかに重要度が低い。 ~本書「終わりに」より

正しく鍛えれば、脳はいつでも強化することができる。どんなに偏った経歴の方でも、高齢な方でも、この卓越した思考術を獲得することができるそうなのだ。あとはただ、そこを目指すかどうかなのだ。ホームズは私立探偵であり、推理することにそれを応用している。私も私の専門分野で、それを応用したいと思った。世の中には、効率化や金銭的解決などのショートカットする手段が溢れているが、それ以外の方法で成果を出せるようになりたいものである。そうなりたいと願う人にとっては、本書はバイブルになる。

また、この本では、ホームズとワトスンの思考術の対比が鮮やかだが、私たちが陥りがちなワトスンシステムを完全に否定しているわけではない。ワトスンとの会話のなかで、ホームズの思考は深まり、新たな発見につながるというのである。どうやらホームズもワトスンも、お互いが理想的な相棒であることをわかっているようだ。それを知ったうえで、ドラマを観ると人情の機微を味わう面白さは何倍にもなる。

本書の二人の対比をさらに鮮やかにしているのは、それぞれの心の状態をマインドフルとマインドレスという言葉で表現している点である。そしてそれは、ビジネスの視点からも本書を興味深いものにしている。Googleをはじめ欧米の一流企業が続々と導入しており、日本でも注目されている“マインドフルネス”。一度学んでみたいとお考えの方も多いだろう。また、ドラマのファンの方は、座禅を組んで瞑想するホームズの姿を一度はご覧になったことがあるだろう。

ホームズは、ハンターのように、難しい仕事を求めている。そしてそれを見つけたら、その一つの事に全力を傾ける。その事件に関するバイアスがかかってない情報を見極めながら収集し、想像して、推理する。その状態こそ、マインドフルなのである。その結果、解が導き出される。その解は、およそ常識的には考えにくいものであるかもしれない。場合によっては、多くの同情を寄せられている悲劇のヒロインが犯人である、という解もありうる。でも、それは正解なのである。

常識的にありえないことが、間違いだとは限らない。ありえないと思うのはワトスン的な思い込みでしかない。何が事実で、何が思い込みなのか。それは、本書を読めばわかる。現代社会では、意識せずにいるとマルチタスクになることが多い。そしてこのマルチタスクは、マインドフルネスを排除する。ショートカットしようと考え、ワトスン的な思い込みで頭が占拠されるのだ。あなたは忙しい日々を過ごしながら、月並みな考えしか浮かばなくなってはいないだろうか、自分をすり減らしてはいないだろうか。マインドフルであれば、そのようなことはない。

私は、しっかりと本書を読む時間をとることで、そこから抜け出す術を見つけた。でも裏を明かすと、はじめてこの本を手にしたとき私は、架空の人物の思考術を分析して一体何になるのだろうと疑心暗鬼だった。それでも、私が読もうと決めたのは、この本が海を越えて単行本になり、日本でも多くの支持を集めて文庫本になったという、動かない事実だった。

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