『「病は気から」を科学する』心に治癒力はあるのか?

2016年4月21日 印刷向け表示
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「病は気から」を科学する

作者:ジョー・マーチャント 翻訳:服部 由美
出版社:講談社
発売日:2016-04-13
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右にせよ、左にせよ、極端に意見が偏っている人ほど声がでかい。おそらく正解はその中間のどこかにあるはずだが、そこに位置するマジョリティ達は、自ら多くを語ろうとはしない。いずれにしても、両極のどちらが正しいのかという観点からは、何も生まれぬままに終わるケースが多いだろう。

近代以降の歴史を振り返ると、この手の問題はあらゆる領域に蔓延していた様子が見てとれる。そして医療の分野も、ご多分にもれずであった。合理的で還元主義的な、西洋医学の擁護者たちと、物質より非物質的なものを優先する代替医療や東洋医学の信奉者たち。言い換えれば、これらの対立は身体と心の代理戦争のようなものであったのかもしれない。

「代替」というネーミングからも推察される通り、長らく優勢を占めてきたのは西洋医学の方だ。しかし今、その歴史に変化の兆しが現れつつある。プラセボ効果における研究の進展をはじめ、医療における「心」の役割が解明されつつあるのだ。

これくらいキワドいテーマであれば、書き手が誰であるかも気になるところだが、著者は『アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ』や『ツタンカーメン 死後の奇妙な物語』等で知られるジョー・マーチャントだ。仮想世界の氷の渓谷から、聖地ルルドまでを飛び回り、従来「非科学」とされていた領域に「科学」の足跡を見出していく。

まず初めに紹介されるのは、心が身体に及ぼす影響のうち、最も代表的な例であるプラセボ効果についてである。様々な対照試験の結果や生化学的な効果の証拠を目の当たりにし、多くの専門家は認識を改めることを余儀なくされた。「プラセボ効果は壊すべき幻想ではなく、実際に臨床価値を持つ場合もあるのではないか」と。

最近では、まずプラセボでの治療を試し、効果がない場合のみ実薬を投与するといった事例や、プラセボと実薬を併用し、薬の量を減らすための用法も試されているのだという。つまりは代替から補完へ、一見退化のように思える認識の変化から、進化が始まったのだ。

これまでプラセボの使用を妨げてきた大きな障壁の一つに、患者を騙すことが倫理に反するのではないかという懸念があった。だが、ハーバード大学のテッド・カプチャク教授が、「この薬は有効成分が一切入っていないプラセボである」と伝えた患者からも症状が消えたことを発見する。つまり、「正直に伝えるプラセボ」にも効果があることが明らかになったのだ。これを受け、いくつかの民間会社がオンラインでプラセボの販売を開始し、プラセボは産業としても注目を集め始めている。

また本書では、心を騙して病気と闘わせる手法も紹介されている。それは催眠術を利用してIBS(過敏性腸症候群)患者を治療するというものだ。脳と消化管は複雑に絡み合っていると主張するのが、ピーター・ウォーウェル医師。彼の治療は一風変わっている。

たとえば便秘の患者には、力強く流れ落ちる滝を思い浮かべさせたり、はたまた下痢の患者なら、ゆっくり流れる運河に浮かぶボートを想像させるだけで、開腹手術や薬の投与は一切ない。むろん誰にでも、この療法の効果があったわけではないが、消化管に対する思考パターンを変えることで、症状を和らげる効果が数多く確認された。

さらに仮想現実の医学とのコラボレーションも、急速に注目を集める分野だ。スノーワールドは、熱傷患者のための仮想世界である。ゴーグルとヘッドホンを装着すると、目の前には氷でできた渓谷の世界が広がる。その世界でペンギンや雪だるまと戯れることにより、患者の主観的な痛みのスコアは下がり、その効果は脳スキャン画像からも確認されたという。

この他にも、神経に電気の刺激を与えることで治療するバイオエレクトロニクスから、昨今話題のマインドフルネスまで多岐に渡って、心と身体の密接で複雑な関係を紐解いていく。

本書の記述に好感を持てるのは、全編を通して心にできないことをクリアにしていくその姿勢だ。たとえばプラセボの種類によって効果は異なるし、治癒の程度も文化によって変化するのだという。そして、いくら治ると信じても、病気の背後にある生理学的な状態を変えることまでは、できないのだ。

いわゆるOB杭をあちこちに打っているからこそ、逆説的ではあるがフェアゾーンが明確に見えてもくる。また、本書の主張にトンデモ科学が容易に接ぎ木されることを排除したいという思惑もあるのだろう。

実体のない非物質的な治療が、実際に物質的な効果を出していると明らかになったこと自体、「心」と「身体」の今後の関係性に大きな影響を及ぼす成果ではないかと感じる。客観と主観、因果と相関、あるいは論理と感情。対極に位置するもの同士を、観察の対象と手法に重ね合わせ、科学の境界線を大きく動かしていく。それは人類の進化の歩みに感じられるダイナミズムを、そのまま凝縮しているようでもあり壮観だ。 

代替医療解剖 (新潮文庫)

作者:サイモン シン 翻訳:青木 薫
出版社:新潮社
発売日:2013-08-28
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アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ (文春文庫)

作者:ジョー マーチャント 翻訳:木村 博江
出版社:文藝春秋
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ツタンカーメン 死後の奇妙な物語

作者:ジョー マーチャント 翻訳:木村 博江
出版社:文藝春秋
発売日:2014-09-16
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