『戦争の物理学』戦史と物理学の歴史の見事な融合

2016年4月28日 印刷向け表示
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戦争の物理学―弓矢から水爆まで兵器はいかに生みだされたか

作者:バリー・パーカー 翻訳:藤原多伽夫
出版社:白揚社
発売日:2016-02-18
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「戦争にまつわる物理学の本を書いている」著者がこう話すと、周りからは「物理学が戦争と何の関わりがあるんだい?」という言葉が返ってきたという。続けて「ああそうか、原子爆弾のことだね」と言われたという。『戦争の物理学』という本書のタイトルを読んで同じように思った方も多いだろう。もちろん、本書では原爆の事も論じられている。しかし、それだけではない。人を殺傷する際の運動エネルギーも全て物理の法則にのっとり行われている。本書は古代から現代までの兵器の変遷を物理学の視点から読み解いた、一風変わった作品だ。

本書は、それぞれの時代の兵器の変遷を説明し、その兵器がいかに活躍したかを戦記風に記述した後、兵器にまつわる物理的な話へと移る、という構成が取られている。このため、歴史好きの人にもお勧めできる一冊だ。

例えばロングボウという弓の話は「100年戦争」のさなか、ロングボウの活躍により圧倒的な兵力差を誇る重武装のフランス騎士たちをイングランド軍が次々に血祭りにした、クレシーの戦いの戦場の記述から始まる。このため、歴史好きの読者ならば、すんなりと読み進める事が可能だ。ここからクロスボウの技術的な話へと移り、最後に物理の話になる。

では、ロングボウの物理とは、どんなものなのか。これは、そもそもなぜ矢が飛ぶのかをまず知る必要がある。弓とは、ある種のエネルギーを別種のエネルギーへと変換する装置だという。射手が弦を引くとき、射手の筋肉が収斂して生まれたエネルギーが弓のしなりとして蓄えられる。これを位置エネルギーという。射手が弦を放すと、弦は通常の状態へと一気に戻る。その過程でエネルギーは弓から矢に伝わる。位置エネルギーが運動エネルギーへと変化する。こうして矢は飛んでいく。重要なのはロングボウが通常の弓矢と違い、特別に長いという事だ。弓が長ければその分、弦を引く距離が長くなる。そのためロングボウは多くの運動エネルギーを矢に与える事が可能なのだ。重装備の騎士たちの鎧を貫き、彼らを葬りさったのは、このエネルギーゆえだ。ちなみに矢の飛距離は次の要点に左右されるという。

・初速度
・矢の重さ
・矢を放つときの角度
・空気抵抗
・風の影響

矢の初速(v)は、弦を絞ったときに弓に蓄えられた位置エネルギー(F×b Fは力の大きさbは弦を引いた距離)と矢の運動エネルギー1/2mv2 mは矢の質量)を等式で表すことで求める事が出来るという。物理学をより深く掘り下げたい人向けには、このような公式も記述されている。ここまで読んで、頭が混乱するという人には朗報だ。著者は公式に興味の無い人は読み飛ばしても、何の問題もないと述べている。読む人の物理学のレベルや興味の度合いに合わせ読み方を変えて行ける点も本書の特徴だろう。

ロングボウのような単純な兵器から始まり、その後は大砲と小銃の誕生と仕組み、そしてその発展へと話は進む。また火器の物理としてニコロ・タルタリアによる弾道学の夜明けとその発展へと話が進む。その他にも潜水艦、飛行機、そしてレーダーまで、ありとあらゆる兵器の歴史が綴られている。

この過程でも様々な戦争の記述があり、歴史好きの読者を飽きさせる事がない。また兵器開発者として活躍した、レオナルド・ダ・ヴィンチの逸話や運動の三法則を発見したニュートンの話、さらに緯度経度の問題や産業革命が戦争に果たした役割と内燃機関に関する物理的な話が登場するなど、様々な薀蓄がこれでもかと盛り込まれている。戦争の歴史と物理学の歴史が一冊の中に共存している。このため、ページをめくるごとに知的興奮を覚えること請け合いだ。

本書でも特に面白いのが、原子爆弾と水素爆弾の章であろう。原子爆弾の生みの親としてしばしば語られるアインシュタインだが、彼は爆弾そのものの開発には一切かかわってはいないし、そのように呼ばれることを嫌っていた。

しかし、彼が発表した論文にあるE=mc2という等式が原子爆弾の発展に大きく寄与したことは事実だ。この式が意味するものは、ある物質が持つエネルギー(E)はその物体の質量(m)と光速(c)の二乗をかけた値に等しいという事だ。光の速さは秒速30万キロなので、その値を二乗するわけだから、ごく小さな物体でも、その質量を直接エネルギーに変換することさえ出来れば、膨大なエネルギーを生むことが出来る。これこそが原子爆弾の原理なのだ。

その他にも、ウラン238よりも重いウラン239を造り出すことに成功したエンリコ・フェルミの功績や原子核分裂の原理という物理学的な話から原子爆弾開発に欠かせない重水を巡りドイツと連合国で行われた諜報戦など、ここでも物理学の歴史と戦争の歴史とが見事に融合し、読者をひきつける。

一見、とりとめなく戦争と物理学の歴史が混在している感があり、途中まではトリビア的な本として読んでいたのだが、原爆と水爆の章で私の認識は変わった。

理由は放射性崩壊、原子核分裂、放射線とは何か、という事が素人にも理解できるくらい丁寧に書き込まれているからだ。福島原発の事故いらいイデオロギー論争となっている原発問題だが、ネットで自身の正義を声高に主張する人々の何人が、放射線とは何か、原子分裂とはどういう現象なのかを正しく答える事ができるだろうか。反対派、賛成派問わず、原発議論では、常に疑似科学に基ずく情報、感情論、煽情的な議論が存在する。また、非科学的な発言に付和雷同する人々の姿も見受けられる。

非科学的な理論で恐怖を煽り、自身の正義を他者に押しつけるような人々から身を守り、客観的に物事を考察するには、何よりも正しい知識が必要ではないか。本書は間違いなく、科学知識の芽を読者の中に蒔いてくれる。しかも、学校の講義のように退屈することなく、楽しみながらだ。その点だけ見ても本書を手に取らない理由はないであろう。

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