『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』恋も仕事も、わがまま上等

2016年5月10日 印刷向け表示
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村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝

作者:栗原 康
出版社:岩波書店
発売日:2016-03-24
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アナキスト大杉栄のパートナーで、関東大震災後に大杉とともに虐殺された伊藤野枝の評伝だ。

過激なタイトルだが、ページをめくって腰を抜かす。いきなり「あの淫乱女!淫乱女!」と太字で書いてある。岩波書店が心配になるほど、冒頭から衝撃的だ。

野枝は福岡県の地元ではいまだに逆賊扱いで、十数年前にテレビ局の取材を案内した人によると、同年代の存命のおばあさんが「地元の恥をさらすのくわあああ(大意)」と大声でいきりたって殴り込みをかけてきて、淫乱淫乱叫んでいたというのだから穏やかでない。

とはいえ、おばあさんの気持ちもわかる。大文字の歴史では、伊藤野枝は淫乱、逆賊にくくられても否定できない。

勝手に決められた縁組みによる結婚を破棄しようと逃亡して、女学校の恩師の家に転がり込むし、恩師を捨て自ら大杉栄との四角関係に身を投じるし、平塚らいてうに「あんた仕事しないなら、私に雑誌ちょうだい」と迫るし。大杉が拘束されると内務大臣の後藤新平にチョー面倒な手紙を送りつけるし。わずか28年の生涯とは思えないほど、波乱に満ちている。

略歴のどこを輪切りにしても、ぶっ飛んでいるのだが、生きざまはシンプルだ。「やりたくないことはやりたくない。欲しいものは欲しい」

他人のものでも関係ない。お金がなければ、頼んでもらえばいい。お金があるときは、与えればいい。おまえのものはわたしのものの、でも私のものもみんなのもの。不倫上等、貧乏上等、迷惑上等。合言葉は相互扶助。因習なんてぶっ壊せ。貞操なんてたたき売れ。頑張れ、ベッキー。そんな感じだ。

今よりも女性の地位が明らかに低い時代(夫は独身女性に手を出しても問題ないのに妻が同じことしたら姦通罪に問われた)。夫の女性関係を黙認して家事と育児に専念、他の世界に関心をもたない「良妻賢母」がたたえられた時代。空気を読まずに、こんなことを言い出すのだから、「野枝さんみたいになっちゃだめよ」と親ならば子供に囁きたくなるはずだ。

とはいえ、伊藤の思想をたどれば、うなずいてしまうところがあるのも確かだ。例えば恋愛。伊藤は「結婚を想定しているかぎりにおいて、たがいの生きかたを夫や妻の役割に切り縮めざるをえない」と説く。相手のためが、いつのまにか自分の利益のためにすり替わる。お互いを理解するという前提の元にいつのまにか同化を求める。結局、どこまで行ってもふたりはひとつになれないのに。伊藤が生きた時代から100年後の今も多くの女性のみならず男性も同じ悩みを抱えているのではないか。

伊藤は、自分の道を選び、有言実行して、非難にさらされながらも戦い、結果無残な死を迎える。果たして無駄死にだったのか。そのとらえ方は、読み手によって異なるだろう。

私も「アナキスト」と聞くと眉をひそめてしまうが、アナキストでもノンポリでも右翼だろうとイデオロギーに関係なくとりあえず、目次だけでも眺めてほしい。感涙してしまう。岩波書店に対して心配を通り越して敬意を払いたくなる。

「お父さんは、はたらきません」、「ど根性でセックスだ」、「青鞜社の庭にウンコをばら撒く」、「カネがなければ、もらえばいい、あきらめるな!」、「マツタケをください」。これでそそられなかったら、何にそそられるんだってフレーズが並ぶ。

著者は『大杉栄伝』などの著書がある。これまでも脱力系のテンポの良い文体を前面に押し出してきたが、ウンコやらど根性やら、それこそ良妻賢母なら発狂間違いない言葉をこれでもかと並べ立てた今作を経て、どこに行くのか。早くも次回作が気になるところだ。

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