『心臓の科学史 古代の「発見」から現代の最新医療まで』 心臓の謎に挑み続けた人類の物語

村上 浩2016年05月12日 印刷向け表示
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心臓の科学史  -古代の「発見」から現代の最新医療まで-
作者:ロブ・ダン 翻訳:高橋洋
出版社:青土社
発売日:2016-04-25
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 われわれはたった今医学の歴史を作った

ルネ・ファバローロが世界で初めて心臓のバイパス手術を成功させたとき、ファバローロの仲間は高らかにそう宣言した。この宣言は決して大げさなものではない。なにしろ、ファバローロらによるバイパス手術の手法が確立するまで、冠動脈の塞栓が原因となるありふれた疾患を含む多くの心臓病に直接的な治療の手段は存在しなかったのだ。

ファバローロが世界初の偉業を成し遂げるまでの道のりは決して平坦なものではなかった。1923年のアルゼンチンに生まれたファバローロは、母国で医師として一定の成功を収めていたが、目の前の患者を救う以上のもの、新たな治療法の発見を強く願っていた。強烈な理想家であった彼は、最新の研究が行われているという噂だけを頼りにアメリカへと旅立った。ビジョナリーではあっても世事に疎かったファバローロは、アメリカで手術を行うためにはアメリカの医学学位が必要であることすら知らなかった。

ファバローロがここで祖国に戻っていれば、医学の歴史は随分と違ったものになっていたかもしれない。前進することしか頭にない彼は、熟練心臓外科医のいるクリニックでタダ働きをしながら夜間勉強を続けアメリカの医師免許取得に成功する。そしてたゆまぬ研究の末、1967年に世界初のバイパス手術を現実のものとしたのである。

本書の内容は、単なる心臓にまつわる科学的技術の説明だけではない。この本には、ファバローロのように困難を乗り越え多くの命を救った医師の姿が、反対の声を振り切り地道な観察を続けた研究者の執念が、いきいきとしたストーリーとして描き出されているのだ。科学を駆動し真の革新をもたらしてきたのは、諦めることを知らず、常識に縛られないアウトサイダーなのだと痛感する。本書を構成する17の章それぞれに、魅力的なヒーロー・ヒロインが登場する。どの章から読んでも楽しめるので、先ずは書店で気になる章だけでも読んでみて欲しい。

刺激的なストーリーに満ちた本書を読めば、そもそも心臓はどのような役割を果たしているのか、医学は心臓をどのように救ってきたのか、食生活とコレステロールと動脈硬化の因果関係などがよく分かるはずだ。また、著者は医師ではなく進化生物学者のため、本書の議論はいつ、何のために心臓という器官が進化したのか、ヒトの心臓はなぜこれほど多くの病気に悩まされるのか、という点にまで及んでいく。そもそも本書は、どのような哺乳類も生涯で約10億回だけ心臓が鼓動することに着目した著者の研究プロジェクト「Beats Per Life」の成果物でもある。

神秘的な存在として先史時代から人類の注目を集めていた心臓に、古代ローマ時代に科学の光を当てたのは、現代医学の父・ガレノスだ。ガレノスはコロセウムで闘う剣闘士付きの医師となることで、人体の内部を毎日観察することができた。いかなる人体の解剖も禁止されていた古代ローマでの貴重な機会をいかして、彼は動脈と静脈が異なることを確認し、動脈中と静脈中で血液が異なることを人類史上初めて観察したのである。人類は順調に心臓への理解を深めていくと思われたが、ガレノスの後に心臓に関する新たな発見を追加するためには、1000年の時間を要することとなる。

ローマ帝国滅亡から紀元1000年頃までを「暗黒の中世」と表現することには批判も多いが、著者は「心臓に関して言えば、暗黒時代の闇はほぼ完全だった」という。そんな心臓の暗黒時代を打ち破ったのは、ルネサンスを生きた天才・レオナルド・ダ・ヴィンチ。彼もまたガレノスのように解剖によって人体と向き合うことで、人が高齢に達すると動脈が硬化し、やがてはつまることを発見した。そして、ダ・ヴィンチよりも100年ほど遅れてイギリスで生まれたウィリアム・ハーヴェイが遂に、「心臓が血液を肺から身体に送り出し、送り出された血液が再び心臓に戻ってくる」という血液循環を発見するにいたる。

ルネサンス以降には様々な発見がなされたが、現代を生きる我々が直接的恩恵を受けている心臓に対する治療や知識は、1893年以後のものがほとんどである。原子力人工心臓という今ではジョークとしか思えないような失敗もあったが、この100余年の成果には目を見張るばかりだ。カテーテル、人工心肺、ステントやスタチンなどの発明が救ってきた命の数は計り知れない。これらの成果のおかげで、先進国の人々は運が良ければ25億回もの心臓の鼓動をその人生で刻むことができる。他の哺乳類に比べて15億回の鼓動分長く生きることができるようになった人類はどのようにその時間を使うべきだろうか。心臓をめぐる歴史を追い求めた著者は、あとがきで今後の研究が進むべき意外な方向も示唆している。ヒトの飽くなき探究心とそれがもたらした驚くべき成果、なによりその探究心がもたらすであろう未来の姿に、心臓の鼓動が早くなる一冊だ。

 

にわかには信じられない遺伝子の不思議な物語
作者:サム・キーン 翻訳:大田直子
出版社:朝日新聞出版
発売日:2013-10-08
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 遺伝子にまつわる興味深い物語を巧みにまとめ上げた一冊。一度読み始めたら読み終えるまでやめられない。レビューはこちら

人間と動物の病気を一緒にみる : 医療を変える汎動物学の発想
作者:バーバラ・N・ホロウィッツ 翻訳:土屋晶子
出版社:インターシフト
発売日:2014-01-16
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『心臓の科学史』の著者は、ヒト以外の動物の研究から更なる成果が得られる可能性を示唆している。この本では、人間と動物の病気を一緒に見ることでどのような新たな世界が得られるかが語られる。編集長・内藤順のレビューはこちら

人体600万年史(上):科学が明かす進化・健康・疾病
作者:ダニエル・E・ リーバーマン 翻訳:塩原 通緒
出版社:早川書房
発売日:2015-09-18
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人体がどのようにして現在の形態となったかを進化の観点から徹底的に議論する。レビューはこちら

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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
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出版社:中央公論新社
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