『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』 訳者解説

みすず書房2016年06月26日 印刷向け表示
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死は生の対極ではなく、まぎれもなく生に内包された概念である。それでも我々は、豊かに生きることに精いっぱいで、「豊かに死ぬ」ために必要なことを、あまりにも知らない。かつてないほど長生きをするようになった現代社会だからこそ、見落としてしまうことの数々。現役外科医にして「ニューヨーカー」誌のライターでもある著者ガワンデが、「生と死の狭間」の意味を痛切に問いかける。(HONZ編集部)

死すべき定め――死にゆく人に何ができるか
作者:アトゥール・ガワンデ 翻訳:原井 宏明
出版社:みすず書房
発売日:2016-06-25
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『死すべき定め』は人を変える

ガワンデの本の翻訳を手がけるのはこれで2冊目である。『医師は最善を尽くしているか』(みすず書房、2013年)のときのあとがきに私はこう書いた。

初校を校正しながら、私は読まされた。読まされるという感じで、ついつい先はどうなるかと読みた くなるのである。すべては自分が翻訳した自分で書いた文章である。先がどうなるかも知っている。 なのに読みたくなる。

今回は校正しながら泣いた。先を読みつづけられなくなった。自分で書いたもので泣くなんてアホらしいが、正直そうだった。感情を交えず淡々と描かれた人の死をめぐるストーリーが涙腺を刺激する。社会情動的選択理論やピーク・エンドの法則、メタアナリシスや医療保険会社のデータのような医師にとっても難しい内容を紹介しながら、サラ・モノポリやペグ・バシェルダーの最期の日を生き生きと描いている。 第7章「厳しい会話」を最後まで読めば、アトマラン・ガワンデがオハイオ大学の卒業式で階段を登って父兄席につく様子が脳裏に残るだろう。

この本は人を変える。読者の中には家族や親しい人を見送った経験があるか、その最中の人がいるはずだ。この本を読めばその人たちは前と同じ考え方ではいられないだろう。

私もいろいろ変わった。ガワンデほどではないが私も物書きである。今回の翻訳は私の文章スタイルを変えた。同じく医師でもあり、医学に対する考え方が変わったのは言うまでもない。精神科医として患者に向かう態度も変わった。社会情動的選択理論やピーク・エンドの法則を認知・行動療法の中で使うよう になった。動機づけ面接のトレーナーでもある。「解釈的な医師」「問い、伝え、問う」(205頁)はトレーニングにそのまま使える。訳者としての感想はこれぐらいにして、ここではこの本を読んだ読者にぜひ、お勧めしたいことを紹介することにしよう。

『死すべき定め』は立体的に読める

◆米国公共放送の特別番組 

この本は読んだだけではもったいない。ネット動画や本・論文などぜひ他にも触れて欲しいものがある。 まず、この動画は必見である。米国公共放送局、PBSが50分の番組をつくった(http:/www.pbs.org/ wgbh/frontline/film/being-mortal/)。

英語はわからなくてもよい。サラ・モノポリとリッチ夫婦、鼻に酸素チューブをつけながら赤ん坊のビビアンを抱いている病衣のサラの写真を見て欲しい。寡夫になったリッチをガワンデが訪れ、救急車で運ぶことになった金曜日のことを聞く場面がある。当時を思い出すときのリッチの表情を見て胸が詰まる思いをしない人はいないだろう。数年経っても妻を苦しめたことをリッチは後悔している。

ビデオでは、取材対象の患者や遺族とガワンデの間の関係性にも注目して欲しい。たとえば、遺族のリッチにガワンデは素直に”I am sorry”と言う。常識的な医師・患者関係とは違う、共感的な関係をこの番組が教えてくれている。

◆批判的読書による心理学・死生学への新しい視点 

『死すべき定め』はガワンデの批判的読書の結果でもある。 ガワンデは現代版「往生術」を新たにゼロから書き下ろそうとしている。死と聞けば宗教やスピリチュアルなことを想像する人が多いだろう。そういう場面はある。エピローグでのガンジス川での場面はまさしくそうである。しかし、ガワンデの思索が宗教や神秘に走ることは決してない。誰もが知る常識にも従わない。そうではなく科学的心理学・社会学に基づくようにしている。

死に方の指針になるような本は他にもたくさんある。この領域を専門にしているような心理学者や老年 科医、介護関係者、宗教者がすでに多数著している。『死すべき定め』はそうした本とはまったく違う。一つには名前がついた人物は全員、実在の存在である。ガワンデがニューヨーカー誌のスタッフ・ライター、つまりジャーナリストであるからかもしれない。学者なら無視するような生活の具象を忠実に写実している。二つ目には、学者が盲従するような理論が捨て去られている。たとえば臨床心理学者が黙従するマズローの欲求五段階説は論破されている。死生学では必須項目になっている精神科医キュブラー・ロスの 「死の受容五段階」は完璧に無視されている。ガワンデが死生学を講義するような学者ではなく、実際に人の体を切り刻む外科医だからだろう。がんの三大療法、手術・化学療法・放射線療法を専門にする腫瘍医にとっても、この本は耳に痛いはずだ。それはガワンデが甲状腺を専門にする外科医だからかもしれない。 ガワンデは科学を正確に理解し、エビデンスに基づく心理学のみを選んで紹介している。

意思決定についてはカーネマンの行動経済学を紹介している。行動経済学については友野典男による入門書がある。”記憶する自己”と”経験する自己”の対立とピーク・エンドの法則は以前から知っていたという読者はいるだろう。それをガワンデはエンド・オブ・ライフ(人生の終焉)の決断に結びつけた。幸福については、ローラ・カーステンセンの社会情動的選択理論を紹介している。ガワンデは「この2、30年間のこうした議論において、スタンフォード大学の心理学者であるローラ・カーステンセンによる創造的かつ重要な研究を越えるものはほとんどない」と評価する。彼女の本の和訳はまだない。それだけではない。私は長年日本認知・行動療法学会の学会誌「行動療法研究」の編集委員をしているが、一度としてカーステンセンの研究に触れた論文にお目にかかったことがなかった。知り合いの大学教授で老年学を専門にする心理学者が彼女の仕事を知っていたが、教授も社会情動的選択理論と終末期の医療を結びつけて考えたことはなかったという。

この本は新しい研究のアイデアを提供してくれている。「エデンの園の代わり」を始めたビル・トーマスはこう言う(115頁)。

文化による惰性は強力だ。だから、文化と呼ぶんだ。変わらないゆえに文化になる。文化は革新を揺り籠の段階で絞め殺してしまう。

介護・医療は介護保険・医療保険によって支えられている。これは逆から言えば、法律によって厳しい規制がかけられている市場であり、規制という防波堤に囲まれた規制産業である。革新は規制によって絞め殺される。だからこそ、ここに出てくるビル・トーマス、ジャックリーン・カーソンが面白い。日本のどこかにもいるはずだ。

◆米国における高齢者介護・介護との比較

正直に言えば、私自身も米国における高齢者介護・医療については偏った考えを持っていた。米国の医療費が異常に高いことはよく知られている。90年代にはグラニー・ ダンピング(文字通りの姥捨て、足手まといになった身内の年寄りを病院の前やターミナル駅などに捨てに行くこと) が米国の流行語になった。私は1998―2007年に国立菊池病院で勤務した。この病院は1972年の有吉佐和子の『恍愡の人』が話題となり、認知症患者への取り組みを政策医療として行うこととなり、 室伏君士先生を初代院長として迎えて発足した日本で最初の認知症専門病院である。老年期について学ぶ チャンスはいくらでもあった。しかし、ここでいう先進国は北欧であり、米国はむしろ反面教師であった。 米国での実践から学ぶものはないと思い込んでいた。読者の多くもそのような”常識”を持っているだろう。読んだ後、どう変わっただろうか?

結論から言えば、米国にも公的医療保険がある。無保険者が多いことはよく知られているが、それは高齢者には当てはまらない。米国に合法的に5年以上居住している65歳以上のすべての人は連邦政府が管轄する社会保険、メディケアの対象になる。メディケアは1965年にスタートした。日本が国民皆保険 を達成した4年後のことである。連邦政府から年金も支給される。1920年にスタートした。日本の国民年金が始まったのは1959年である。

では、日米どちらが高齢者にとって住みよいのだろうか? 小澤によれば、

日本との比較の観点を考慮した場合、60歳以上の者(施設入所者を除く)を対象とした内閣府の「第6回高齢者の生活と意識に関する国際比較調査結果」(2005年)が参考になる。これによれば、「現在の生活に満足しているか」についてみると、「満足している」と「まあ満足している」の割合の合計は、アメリカでは95.7%と高い数値となっている(日本91.3%、ドイツ92.9%、フランス91.7%)。一方、「現在、日常生活で悩みやストレスがあるか」についてみると、「まったくない」の割合は、47.2%となっている(日本は55.2%)。

また、「経済的に日々の暮らしに困ることがあるか」について、「困っている」と「少し困っている」の割合を合計した数値をみると、アメリカで27.6%となり、日本の14.5% よりも高い。

日本の病院はICUのように超急性期を専門にして、入院期間が1、2週間しかないところから、菊池病院のように月単位で入院できる慢性期の病院までさまざまである。米国の病院は急性期に専門化している。 病院に長居することはない。介護が必要になればインディペンデント・リビングからアシステッド・リビング、最終的にはナーシング・ホームに入ることになる。ナーシング・ホームは日本で言えば老人病院から介護老人保健施設に相当することになるだろう。もっとも、日本での老年期の過ごし方は多様である。老人福祉法によれば老人デイサービスセンターや老人短期入所施設、養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、軽費老人ホーム、老人福祉センター、老人介護支援センターがある。さらに介護保険法に基づく介護老人保健施設もある。菊池病院で10年近く働き、介護保険の主治医意見書もよく書いている私にもいったい、どの施設がどういう人にどう適しているのか、さっぱりわからない。ニューブリッジやサンボーン・フレイルプレイスのようなところはあるのだろうか? 私自身が虚弱になったらどこに行けばいいのだろう?

私にはっきりわかるのは、法律が定めた施設基準だけではどの施設がどうなのかはさっぱりわからないということだけである。そしてビル・トーマスやジャックリーン・カーソンのような人が日本のどこにいるかは、私たちが自分自身で探すか、私たち自身がそうならなければならない。

翻訳にあたって

『医師は最善を尽くしているか』を翻訳した後、私はまたガワンデを訳す機会を探していた。それだけ前作によって私が受けた影響は大きかった。編集者の田所俊介さんから版権を取れたという連絡を受けたのが2014年11月27日だった。この本はガワンデにとっては父の記憶を残すこともこの本を書いた理由の一つだろう。翻訳が決まったとき、私も大学文学部で近代中国史を勉強している息子、原井翔平に下訳を担当させることにした。一緒に訳す仲間があることは作業を孤独さから解放してくれた。ただし、最終的な訳の責任は私にある。

この本の校正をしているときに私の亡父の5回目の命日、4月19日を迎えた。父は国立京都医療センターの窓のない病室で一人で亡くなった。東日本大震災の後、学会などの予定がなくなった私は名古屋から毎週見舞いに行っていた。もうダメでしょう、というときを父は何度か持ちこたえた。最後の最後の夜、私は病院から車で15分ほど離れた実家で休んでいた。最後の息を引き取るときにそばにいなかったことを今、改めて思いだして悔やんでいる。一方、12歳のときに広島で被爆した父の伝記を残すのを手伝えた。父は"死にゆく者の役割"を見事に果たすことができた。その大事さをこの翻訳で改めて息子とともに味わえることが今、嬉しい。

原井 宏明

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