右でも左でもない。リアリストが問う国防論『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』

2016年8月18日 印刷向け表示
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国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動 (文春新書)

作者:伊藤 祐靖
出版社:文藝春秋
発売日:2016-07-21
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2001年に海上自衛隊に特別警備隊という部隊が創設されるまで、自衛隊に特殊部隊は存在しなかった。特別警備隊はある事件を端緒にして誕生することになる。その事件とは1999年に起きた、能登半島沖不審船事件である。

この事件は覚えている人も多いだろう。イージス艦「みょうこう」が北朝鮮のものと思われる工作船を追跡し自衛隊史上初の海上警備行動が発令された事件である。このとき「みょうこう」の航海長を務めていたのが本書の著者である伊藤祐靖だ。彼はこの事件を機に特殊部隊の創設にまい進し、先任小隊長を務める事になる。

本書冒頭の不審船事件の記述から緊張感が溢れだす。今まさに日本人を拉致しているかもしれない北朝鮮の工作船に伊藤は激しい怒りを覚えながら追尾任務をこなす。海上保安庁の船が燃料切れの心配をし途中で帰投してしまったために、追跡の任務は「みょうこう」に一任されていた。この時、それまで一度たりとも発令されたことのない、海上警備行動が発令されていた。日本という国家が初めて安全保障上の問題を自分たちの力で解決しようとした瞬間だ。

「みょうこう」は威嚇射撃のために127ミリ砲を何度も工作船の50メートル付近に着弾させる。127ミリ砲弾の威力は凄まじい。砲弾が50メートルの近さで炸裂しているのに工作船は着弾でできた水柱をかわしながら操船するという冷静さを見せていた。伊藤は敵ながら感嘆の念すら覚えたという。また自分と同じ種類の人間だとも感じた。

威嚇射撃が功を奏したのか、ついに北朝鮮の工作船が止まる事になる。著者は「止まれ、止まれ」と念じながら追尾していたが、実際に止まってしまうと「止まっちまった」と思った。停船した工作船には「立ち入り検査」を実施しなければならない。だが、特殊部隊に所属すると思われる北朝鮮の工作員たちに対抗できるだけの戦闘訓練を積んだ者など、海上自衛隊には一人もいなかった。「立ち入り検査」の要員に選ばれた隊員に不安が広がる。つい数分前まで、平成の世で自分たちが戦死するなど誰も考えていなかったのだ。

だが、数分の内に彼らは生へ未練を断ち切り、死を受け入れ、清々しいまでの顔つきに変化した。伊藤はそんな彼らの姿を美しい思い、同時に彼らを行かせたくないとも思った。また彼らにこの任務は向いていないとも感じた。彼らは自らの死を受け入れるだけで精一杯だ。任務の達成まで考えていない。しかし、世の中には「まあ、死んでしまうのはしょうがないとして、いかに任務を達成しよう」と考える事ができる者がいる。そういった男たちを集めて、特殊部隊を創設しなければならない。著者はそう考えた。そして自らも、そのような人間の一人である事を疑わなかった。著者がそう信じて疑わなかったのは、特殊な価値観を持った父に由来する。

著者の父は陸軍中野学校の出身で、戦時中に蒋介石暗殺の命令を受け、その命令が取り消されることなく終戦をむかえる。終戦後も命令が取り消されていないために、いつでも暗殺を実行できるように、蒋介石が亡くなるまで毎週射撃の訓練を欠かすことなくしていたのだ。

自分の中にある譲れない物のためなら命を失うことも辞さないという価値観の持主であった。著者の父親は終戦後もルバング島で30年以上ゲリラ戦を行っていた同じ中野学校出身の小野田少尉に似た価値観を持っていたようだ。著者は父と同じ価値観と感性が自分の中にある事を感じていたが、現代の価値観にそぐわない考え、その情念を封印して生きていた。しかし、不審船事件をきっかけに、自分の中に燻り続けた価値観と対峙することになる。

特殊部隊創設のエピソードは字数の関係上、本書に譲るが、それにしても軍隊というものに関する著者の思考は面白い。軍隊というのはその社会の底辺が集まる場所であり、戦争とは底辺と底辺のぶつかりあいで、ポカが少ない方が勝つという考え方などは、なるほどと思ってしまう。

また日本の強みは、優秀な者が多いのではなく、底辺のレベルが他の国よりも高いという点にあると語る。この点をいかにうまく生かしていくかが、大切なのだ。この点などは製造業などにも当てはまるかもしれない。ライン作業員などもこの範疇にはいるのではないか。この人たちが他の国の底辺よりも質が高いのであれば、いかに組織としてその力を上手く活用するかを考える事が日本の製造業復活のカギになるかもしれない。

ところで、日本の特殊部隊はどれほどの実力があるのか。著者は日本の特殊部隊である、海自の特別警備隊と陸自の特殊作戦群の力を持ってすれば、北朝鮮に拉致されている被害者を救出することは可能だと断言する。決して難易度が高い任務ではない。ただし、奪還する日本人の5倍から15倍の犠牲者を出すことは覚悟しなければならない。作戦の難易度と犠牲者が出るか否かは別の問題で、犠牲者が出ても完遂できる任務であれば難易度は決して高くない。それが軍事作戦なのだと著者は言い切る。そして、軍人としての自らの考えを吐露する。

その作戦に向かうものは、無論、拉致被害者を奪還するために飛び立つが、しかし、それが全てではない。自分の国がいかなる犠牲を払ってでも実行しなければならないと信じたこと、許してはいけないと決めたこと、それを貫こうとする国家の意志に自分の生命を捧げるため、飛び立つのである。

どんなに美しい言葉で飾ろうとも、軍事作戦とは国家が権力を行使して、国民たる自衛官に殺害を命じ、殺害されることを許容する行為だと冷静に見つめる。だからこそ、同盟国のおつき合いや、他国の大統領の命令で戦地に行くのはまっぴらなのだと語る。そのような考えを煮詰めた結果、著者は大きなジレンマにぶつかる。敗戦により意にそぐわない形で押しつけられた日本国憲法とどのように折り合いをつけるべきなのか。現状の日本に命を懸けるべき主体が存在するのか。という問だ。

伊藤は7年間かけて部隊の創設に関わり、これから本格的に特殊戦の本質を追及しようとしていた矢先に海上勤務を命じられる。納得出来なかつた彼は自衛隊を去り、フィリピンのミンダナオ島で特殊戦の道を追求することになる。しかし、この地でも日本国とはなんなのかという問いに悩まされる。自衛官は何のために死ぬのか。今の日本国は自衛官を戦地に派遣する資格が本当にあるのか。著者は最後までその問いに答えを出すことが出来ないまま本書を書き終えている。新安保法制が施行され、憲法改正の議論も本格的に行われる可能性が出てきた今だからこそ読んでおきたい一冊だ。

それにしてもここまで一途な男が防人として存在していたのである。自衛隊という組織は予想以上に面白い組織なのかもしれない。

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