著者、伊藤祐靖は自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊の「特別警備隊」の創設に携わり、部隊創設後は先任小隊長として技術の向上に努めた人物である。本書は日本初の特殊部隊を創設した男の半生を綴った自伝であり、自衛隊という国防の最前線のリアルを描いたノンフィクションでもある。
そもそも日本は旧帝国陸海軍の時代から特殊部隊という特殊戦の専門部隊というものを持ったことがない。そんな日本がなぜ特殊部隊を創設する事になったのか。しかも、白兵戦を旨とする陸上自衛隊よりも先に海上自衛隊で。実はその発端となる事件の現場に伊藤祐靖自身がいたのである。
その事件とは1999年3月23日に発生した能登半島沖不審船事件である。イージス艦「みょうこう」は富山湾において「特定電波を発信した不審船の捜索」を命じられる。湾の中にいる何百隻という漁船の中から、北朝鮮の特定電波を発信した工作船を見つけるのである。不可能なように思われた任務だが「みょうこう」はその日の午後に不審船を発見、追尾する。
度重なる威嚇射撃の末に北朝鮮の工作船は停船。自衛隊史上初となる「海上警備行動」が発動される。つまり自衛隊員が工作船に乗り込み、立ち入り検査を行うことになったのだ。だが、海上自衛隊は艦同士の沈めあいを趣旨とする訓練しか行ってきていない。高度な軍事訓練を受けている北朝鮮の工作員と銃撃戦を交わすなど、まったく不可能な状況であった。
当時、検査時に携行することになっていた武器である拳銃に触ったことのある隊員など、幹部を除いてほぼ皆無。また防弾チョッキも積み込まれていない。乗り込めば確実に自衛官は殺される。著者、伊藤祐靖は「みょうこう」の航海長としてこの現場に立会い、生きて帰れない任務に直属の部下を送り込む立場に立たされるのだ。
「海上警備行動」が発令された時、隊員たちに動揺が広がる。平成の世の中で、自分が戦死する。そんな事態を想定している自衛官など90年代には皆無に近い。そんな中で、立ち入り検査隊に選抜された伊藤直属の部下が抗議に来る。伊藤は抗議に来た部下に言い放つ。
つべこべ言うな。今、日本は国家として意思を示そうとしている。あの船には拉致された日本人がいる可能性が高いんだ。国家はその人を何が何でも取り返そうとしている。だから我々が行く。国家がその意思を発揮する時、誰かが犠牲にならなければならないのなら、それは我々だ。その時のために自衛官の生命は存在する。行ってできることをやってこい。
すがるような目つきだった部下はその言葉で「わかりました!いってきます!」と言い放つ。伊藤はこの時、面食らったという。正直、部下に反論して欲しかったのだ。現状では任務達成は不可能だ。この命令は間違っている。当該の部下が「行かせるなら、装備を整え、訓練をしてから行かせるべきだ!」と上司である自分の言葉に反論してくれれば、伊藤は救われる気がしたと、その時の内心を吐露する。
だが、部下は清々しい表情で自分の死を受け入れてしまった。そして伊藤は自分の人生観、死生観、職業観を部下に押し付けた事を恥じる。それは、半世紀以上前に行われた特攻と同じ事ではないのか。
と同時に伊藤は、このような任務は彼らには向いていないと思った。確実に訪れる死を受け入れる事で精一杯の彼らは、美しくはあっても、その先にある任務の完遂という目的にまで思考がまわらないのである。死ぬ事を当たり前として受け入れ、なおその先になる任務の完遂を考えられる特殊な死生観を持った連中が世の中には確実にいる。伊藤は確信する。「そういう特殊な人生観の持ち主を選抜し、実施すべき」なのだと。そして自分もそのような類の人間なのだと。
伊藤祐靖は1964年東京で生まれ、茨城で育つ。中学の頃までは不良少年であったが、高校生の頃に人生観が変わり、陸上部で短距離走競技にのめりこむ。進学先の日本体育大学でも陸上に全力で取り組む。とにかく「本気」で生きる人生を望んでいた。
大学卒業後は高校の教諭として内定も決まっていたのだが、「ガキ」を相手に一生を過すことに疑問を感じる。このままでは人生を不完全燃焼で終わるのではないか。完全燃焼したい。そう考え続けた著者は自衛官という道を選択する。しかも大卒が目指す幹部候補ではなく、中卒、高卒者を対象とした一兵卒として入隊することになる。「軍隊」ならば常に本気で生きていけるはずという思いと共に。
著者が軍隊という道を選んだのは、とりわけ父の影響が大きいようだ。父は戦前、陸軍中野学校というスパイ養成所出身者であったのだ。著者の父は徹底して無私の人であり、自分の信念に忠実に生きる事を人生の至上命題にしているような人物だ。戦中に受けた蒋介石暗殺命令が実行に移される前に終戦をむかえるが、命令は取り消されていないとして、蒋介石が亡くなるまで、暗殺の訓練を行っていた。
完全燃焼した一生を送りたい!そう願って自衛官を選んだ著者だが、期待は裏切られる。一兵卒から幹部にいたるまで、官僚的思考が蔓延る自衛隊は、いかに本気を出さずに、本気の様な振りをするのかという行動様式が蔓延していたのだ。当然、本気で生きたいと願う伊藤と組織としての自衛隊との間で多くの摩擦が発生する。官僚的組織の中で苦闘するエピソードは驚きと興味深いエピソードで満載だ。また、伊藤と自衛隊組織の摩擦のみならず、日本の国防がどのような行動様式の組織に委ねられているのかという視点を得ることができる。
個々の自衛官は優秀で、心の奥底では国や社会に貢献したいという熱い思いを秘めている。しかし組織の歯車として生きていくうちに、次第に官僚的に振舞うのが当たり前になってしまう。組織文化に抗っていた著者自身も、幹部となり自衛隊の中堅的な立場に立つ頃には、艦や兵士の錬度よりも自分の仕事を減らし、楽をする生き方が身についてしまっていたという。そんな時に起きたのが「能登半島不審船事件」とその後と特殊部隊発足だ。
強い希望で特殊部隊の創設メンバーに加わった著者はまた落胆する。今度こそ国も自衛隊も国防に本気になったかと、勇んで着任してみれば、部隊創設メンバーは伊藤を入れて4人だけ。それも3ヶ月で第一期生の訓練を開始しなければならない。なんのノウハウも無い中でそれは無理というものだ。また、形だけを作ればいいという自衛隊の悪癖が現れていた。
しかし、伊藤と初代部隊長は本気であった。組織の思惑を無視して、本気で特殊部隊の創設にまい進する。創設後は8年にわたり「特別警備隊」のレベルを引き上げることに専念するのだが、突然、それも終わりをむかえる事になる。官僚組織の壁に阻まれて。
実は著者は以前にも『国のために死ねるか』という著作で自身の半生を綴っている。本作とも重複する話も多い。評者も前著のレビューをHONZに書いている。それでも今回、また本書のレビューを書いたのは、『国のために死ねるか』ではあまり詳細に描かれていなかった、自衛隊の内幕が詳しく書かれていたからだ。この部分だけでも読む価値があると思う。安全保障問題で混迷を極める極東地域にあって、自衛隊のリアルを知る事ができるのだ。