『邦人奪還 自衛隊特殊部隊が動くとき』小説だからこそ書けた安全保障問題の不都合な事実

鰐部 祥平2020年08月26日 印刷向け表示
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邦人奪還: 自衛隊特殊部隊が動くとき
作者:伊藤 祐靖
出版社:新潮社
発売日:2020-06-17
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元海上自衛隊の特殊部隊「特別警備隊」の創設者のひとりで先任小隊長を務めていた伊藤祐靖氏が書いた小説だ。ノンフィクション書評サイトのHONZでは基本的には小説を扱わない。しかし、この小説はフィクションとは思えないほどリアルに安全保障問題の欠点を浮き彫りにしている。ゆえに敢えてレビューを書くことにする。

本作のストーリーなのだが、北朝鮮でクーデターが発生。事態に介入しピンポイント攻撃を企図する米軍。しかし、その対象施設に6人の日本人拉致被害者がいることが判明。政権は拉致被害者を救出するために自衛隊の派遣を決断する、といった内容だ。

現実の世界でも起こりそうな内容だ。そのため政治と軍事のシミュレーション的な要素もある小説となっている。しかし、本作は凡百なミリタリー作品とは一線を画す。それは著者自身が自衛官として能登半島沖不審船を経験し、その後、対北朝鮮を睨んで創設された海上自衛隊の特殊部隊「特別警備隊」で、実戦に投入されることを前提に日夜、戦闘技量を磨いてきた特殊戦のプロが描いた作品だからであろう。

この作品で最も読み応えがある箇所のひとつが、政権内で自衛隊派遣が決定していくプロセスだだ。夜間大学卒業後、苦労して成り上がった、有能な官房長官が会議の主導権を握るなか、それぞれの政治家の我欲、党利党略、そして場の空気により自衛隊派遣が決定されていく。確固たる国家理念も政治家が取るべき覚悟も欠いたまま付託と法の解釈論で、なし崩し的に重要な問題が決められていくのである。この点は太平洋戦争から自衛隊イラク派遣まで、日本政府に見られる姿そのままではないだろうか。

派遣決定後、作戦のブリーフィングのために、官邸に呼び出された主人公、「特別警備隊」の小隊長である藤井3佐(おそらく著者自身がモデルであろう)は内閣総理大臣と官房長官に詰め寄る。6名を救出するために何を失う覚悟があるのかと。つまり特殊部隊員何人の命と引き換えに6名を救出するのつもりなのか。死を恐れたの言葉ではない。特殊部隊のメンバーは死ぬ覚悟は出来たいる。しかし、政治家に覚悟が無ければ、そして救出作戦に国家の理念が欠如していれば、窮地に陥った際、または計画変更の決断を迫られた際などに、現場の部隊は作戦目標を見失い、たやすく全滅してしまう。それでは無駄死にだ。これも、著者の伊藤自身が間違いなく現役の特殊部隊員の頃から感じていた心境なのであろう。

著者がこれほどまでに政権内部の意思決定を詳細に記したのは、実行能力もないまま「海上警備行動」が発令された、能登半島沖不審船事件の苦い経験からきたものだろう。このとき、護衛艦「みょうこう」の航海長だった著者は、発令された「海上警備行動」の手順にのっとり、停船中の不審船への臨検を部下に命じる。しかし、海上自衛官の誰しもが、そのような行動の訓練をしたことが無いのである。北朝鮮の工作員が乗る船に、白兵戦の素人である部下たちを派遣する。それは確実な死を意味する。幸いにもこのときは、臨検前に不審船が逃走を始めたので犠牲者が出ることはなかった。こうした苦い経験が本書の端々に滲み出ているのである。

さらに、作中で実戦投入される部下が、捕虜になったときの対処方法を聞く場合がある。小隊長の藤井は、自衛隊員は捕虜にはなれないとキッパリ断言する。それもそのはずで、憲法の関係で軍隊と認められたいない自衛隊員は軍人としての資格が無い。軍人でない以上は軍人に保障された捕虜という待遇を受けることはできないのである。これは重要な問題だ。

我々の国は、自衛隊員から軍人としての権利を奪っておきながら、義務だけを強要しているのである。海外派遣の際に捕まった自衛隊員は当該国の刑法で裁かれる危険性がある。仮に戦闘が行われ敵に死者が出ていれば殺人罪として起訴される可能性だってあるのだ。戦後このような不条理が平和の名の下にまかり通っていた事に慄然とした。これがこの国の平和主義であり安全保障の姿なのだ。

さて、本書はエンターテインメントとしも優れている。最後には予想外なオチがあるのだが、確かにこのようなことが現実であっても不思議ではない気もする。というよりも金正男暗殺事件などもこの路線なのではないかと真剣に思ってしまう。それはともかく、本書にはこの国の安全保障に関する矛盾点が小説という読みやすい形で、鋭く指摘されているのである。これから先の世界情勢を考えれば必読の書といえよう。

国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動 (文春新書)
作者:伊藤 祐靖
出版社:文藝春秋
発売日:2016-07-21
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自衛隊失格:私が「特殊部隊」を去った理由
作者:伊藤 祐靖
出版社:新潮社
発売日:2018-06-18
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