『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』世界はくだらない仕事にあふれてる

2020年8月26日 印刷向け表示
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ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論

作者:デヴィッド・グレーバー
出版社:岩波書店
発売日:2020-07-30
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待ちに待った邦訳がようやく出た。
デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』である。

「ブルシット・ジョブ」とは、「クソどうでもいい仕事」のことだ。
もう少し丁寧に説明すると、「なんのためにあるのかわからない、なくなっても誰も困らない仕事」のことである。

近年、私たちの身の回りでブルシット・ジョブが増えている。
そして、確実にこの手の仕事は、働く人々の心身を蝕んでいる。

多くの人がこのことにうっすら気づいていたようで、2013年に著者があるウェブマガジンで「ブルシット・ジョブ現象について」という小論を発表したところ、国際的な反響を呼んだ。本書はこの小論をベースに、その後の調査や考察を加えて一冊にまとめたものだ。コロナ禍でエッセンシャル・ワーカーに注目が集まる中、時宜にかなった出版といえる。まさにいま読むべき旬の一冊だ。

著者のデヴィッド・グレーバーは、イギリスの名門大学、ロンドンスクール・オブ・エコノミクス(LSE)の人類学教授で、アナキストの活動家としても知られる。「われわれは99パーセントだ」のスローガンを掲げたウォール街占拠運動では理論的指導者として一躍有名になった。

アナキストのアクティヴィストと聞いて、極端で過激な主張をする人物をイメージした人は、この本を読んで拍子抜けするかもしれない。なぜなら、本書に書かれている内容は、社会人にとって「あるある」ばかりだからだ。

「ブルシット・ジョブ」はどこの職場にもある。そのひとつが「なんのためにやるのかよくわからない会議」だ。この手の会議がいかに不毛か考えてみよう。あなたが何か画期的なアイデアを思いついたとする。ところがこれを取締役会に上げる前に、いくつもの社内ミーティングをこなさなければならない。中には「上役にどう説明するかを検討するための打合せ」なんてものもある。ようやくの思いで取締役会に辿り着いたとしても、頭の中身はガラパゴスだが地位だけは高い取締役に、「そもそもさぁ、この企画やる意味あるの?」などと無邪気にトドメを刺され、これまでの努力が水泡に帰する……。なんという徒労感!「半沢歌舞伎」ではないが、取締役に指突きつけながら「◯#△$!!」(自主規制)とでも言ってやらないとこれまでの苦労が報われないというものだ。

「この仕事は社会の役に立っているのか」、「自分は何のために働いているのだろう」、そんな思いに駆られた経験は誰にでもあるはずだ。著者が発表した小論にも多くの人から共感の声が寄せられた。著者はそれらの人々にインタビューを重ね、ブルシット・ジョブの中身や携わる人々の心理状態について詳述している。具体例はぜひ本書でご覧いただくとして、ここではそれらの分析から浮かび上がったブルシット・ジョブに共通する厄介な特徴をあげておこう。

それは、働く本人が無意味な仕事だと気づいていながら、一方で「そうではないと取り繕わなければならないと感じている」ということである。つまり、自分は決して無意味な仕事をしているのではありませんよ、と周りにアピールしなければならないということだ。社会学者の山田陽子は『働く人のための感情資本論』の中で、「王様が裸であること自体への苛立ちと、王様が裸であることを知っていながらそれに気づかないふりをしてパレードを続けることへの苛立ち」と書いているが、まさに言い得て妙である。「つまんねーな」と思いながらひたすら「やってる感」を演出するのは、かなりの苦痛を伴う行為だ。

だがこれは、私たちの仕事に対する思い込みに原因があるのかもしれない。
たとえば「働くことは人格形成に寄与する」という考えがある。
「仕事は人生を豊かにするものでなければならない」という考えがある。
「正業に就いて給料を稼ぐ生き方こそ真っ当である」という考えがある。
これらは果たして本当に正しいのだろうか?

本書を読む最大の効用は、こうした仕事についての数々の思い込みを覆してくれるところにある。世間で常識だと思われている考え方は歴史的な産物に過ぎず、その歴史も意外と浅かったりする。もしかしたら私たちは、仕事というものをあまりにも窮屈にとらえ過ぎているのかもしれない。

ブルシット・ジョブが増えている理由について、著者はいくつかの要因を指摘している。そのひとつは、現代社会はむしろブルシット・ジョブがないと成り立たないようになっている、というものだ。

かつてオバマ前アメリカ大統領は、公的な社会保険制度の確立を公約にしながら、民間の健康保険制度も維持することを選んだダブルスタンダードを追及され、こんなことを述べた。制度を一本化することで事務処理の非効率が改善されるというが、ならば民間の保険会社で働く人々の雇用はどうなるのか、と反論したのだ。著者は『官僚制のユートピア』という別の著作で、現代社会がいかに際限のない書類仕事によって支えられているかを暴いたが、オバマの発言も「雇用を守る」と言えば聞こえはいいが、このどうしようもない現状を追認するものでしかなかった。

オバマが守ろうとしたのは、保険会社の管理部門の人々の雇用である。こうした管理部門は、皮肉なことに社会のあらゆる場面で効率化や自動化が進められるのに比例して肥大化していった。私たちは「仕事の効率化」や「生産性の向上」といった言葉を正しいと思いがちだが、これも思い込みのひとつかもしれない。なぜなら管理部門こそがブルシット・ジョブの巣窟だからだ。

そんな中、このところ「社会に本当に必要な仕事」に光が当たるようになったのは良い傾向だと思う。ウイルスによって社会が機能を停止して初めて、私たちはこの社会を支える仕事に従事する人々の有り難みに気づいた。だがこうしたエッセンシャル・ワーカーへの報酬は、管理部門でブルシット・ジョブに従事する人々に比べ不当に低いのも事実である(本書にはその理由も書かれている)。

それにしても、仕事の「意義」や「価値」がこれほど見出しづらくなった時代があっただろうか。仕事とは何だろうと考える時、思い浮かぶ現代詩がある。平田俊子の「猫の休日」という詩だ。

「うちの猫が職探しに出た」

この詩はこう始まる。職探しに出かけたのは人間ではなく、猫。
猫だから日がな一日寝て過ごいるのだが、来る日も来る日も寝てばかりなのはいかがなものか、就労適齢期なのだから働いてはどうかなどと言われ、仕方なく職探しに出る。後半はこう続く。

学歴ない
手に職ない
コネない猫にも持ち場はある が、
初日 二日目は水飲んでふさいでいた
三日目 ビヤガーデンのボーイになった
四日目 片目なくして戻って来た
服をよごされ怒った客にやられたそうだ
五日目 眼帯つけて階段をのぼった
彼の仕事はのこってなかった

次に見つけたのは 針穴に
五倍のふとさの糸通す作業
毒の色した化繊糸とたたかい やわらかな
毛を散らし 指をいためた

「何もない私に恰好の任務が」
けさははずんで出ていったが顔をつぶして
這って戻った
聞けばすいか割りの仕事という
すいかを割ったの? かぶったんです
割れたすいかから猫が飛びでるご愛嬌
笑おうとしてどろりと吐いた
頭の骨が砕けている
「あしたは日曜」 月曜からはガードマン

猫は労働と引き換えに、いつも何かを奪われる。
これはブルシット・ジョブで魂をすり減らす現代人の姿でもあるだろう。

クソどうでもいい仕事に覆われた社会をどう変えるか。
大切なのは、私たち自身がさまざまな思い込みから自由になることではないか。

ふと我が家の本棚を見ると、仕事へのモチベーションを維持する技術や職場のストレスとの向き合い方を指南する本が何冊も並んでいることに気づいた。まずはこれらの「クソどうでもいい本」を処分することから始めてみよう。

パワハラやメンタルヘルスケア、長時間労働などの問題を通して、働くことと感情の関係を解きほぐしていく。現代は職場でのコミュニケーションや人間関係が重視され「気働き」ができる人間が評価される傾向にある。きめ細やかな分析から、私たちの内面すらも、経済の論理に組み込まれた現状が見えてくる。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
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