『生命、エネルギー、進化』 訳者あとがき by 斉藤 隆央

みすず書房2016年09月24日 印刷向け表示
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生命、エネルギー、進化
作者:ニック・レーン 翻訳:斉藤 隆央
出版社:みすず書房
発売日:2016-09-24
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ニックはジャレド・ダイアモンドのような書き手たちを思い起こさせる。世界について多くを説明する壮大な理論を考え出す人々だ。彼はそんな独創的な思索家のひとりで、あなたにこう言わせる。
”この男の仕事についてもっと多くの人が知るべきだ”

これは、本書を読んで圧倒されたビル・ゲイツが、自身のブログに記した言葉だ。そして、「この本を読むのなら、早く読むべきだ。今から5年もすれば、ニックなど、この分野の研究者がずっと先へ話を進めているだろう」とまで語る。ゲイツ氏は難病や貧困をなくす挑戦的研究を支援する基金を創設しているが、これをきっかけに氏の財団から研究助成もなされそうな勢いすらある。

何がゲイツ氏をここまで心酔させたのか? それは、生命の起源という究極の疑問に対し、ここまで具体的かつ詳細に、説得力のあるシナリオを提示した本がこれまでにほとんどなかったためだろう。そもそも地球上の生命誕生の痕跡は残されていない。化石のような物的証拠がないなかで、生命が誕生してから、原核生物が細菌と古細菌に分岐し、真核生物と有性生殖が登場するまでのいわば「生物学のブラックホール」のプロセスを、唯一確かなことがわかっていると言えそうな太古の地球環境を手がかりに、酸化還元を中心とする化学反応とエネルギー論の観点から緻密な議論できわめて野心的な仮説を組み上げたニック・レーンの手腕は、おそるべき離れ業と言うほかない。

ただし、ゲイツ氏も一部の説明はかなり専門的で、万人向けの本ではないと釘を刺すとおり、本書の記述は難度が高く、その歯ごたえはこれまでのレーンの著作をしのいでいると思う。『ミトコンドリアが進化を決めた』 と『生命の跳躍』の考察をもとにそれらを組み合わせた内容が骨子とはいえ、近年の成果も盛り込んで議論を深化させているので、生化学についてそれなりの基礎知識がないと細部まで理解することは難しいかもしれない。

しかし、わかりにくい個所は読み飛ばしてしまっても、流れを追えば全体として理論のすごみは十分に味わえるはずだ。また、レーンの主張が本当に正しいかどうかはわからないわけだが、それでもゲイツ氏が指摘するように、エネルギーに注目するレーンの考え方は、生命の来し方行く末を知るうえで今後も大いに役立つものであるにちがいない。生命史にわずかに見られる痕跡や現生生物からの推測に比べ、エネルギー論ならば物理的に議論できて実験による検証もしやすいからだ。

それにまた、レーンの研究は、本書の謝辞にもあるように、彼の所属するユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで冒険的研究賞なるものを受賞している。この賞を創案したブレイベン教授の言葉が素敵だ。「科学は基本的に予測不可能なものであり、どれだけ納税者の金の使い道に優先順位をつけるように社会が望んでも、順序で縛れない」近ごろ目先の実用性や成果を基準に優先順位をつけて基礎科学への予算を絞りつつある日本の文科省などには、傾聴に値する話ではなかろうか。

今年になって科学誌『ネイチャー』の3月3日号に、ミトコンドリアは古細菌の細胞が真核細胞になりかけた段階で獲得されたとする論文が発表されている。従来は、古細菌に細菌が取り込まれて真核細胞へ進化したというシナリオと、古細菌の細胞に核膜が完成して真核細胞ができたあとにミトコンドリアとなる細菌が取り込まれたというシナリオで争われていたところへ、古細菌の細胞に内膜系ができて複雑になりかけた段階でミトコンドリアとなる細菌が取り込まれて真核細胞が完成したという中間のシナリオが提示されたわけである。

さらにやはり今年5月には、『サイエンス』誌に、チンチラという齧歯類の腸内微生物からミトコンドリアのない真核生物が見つかったとする報告が掲載されている。ゲノム解析でミトコンドリアの遺伝子の形跡がいっさい認められず、(本来ならミトコンドリアがエネルギーを生成するために必要な)酸素が乏しい腸内環境で、ミトコンドリアの代わりに細胞質内の酵素で食物を分解し、エネルギーを供給しているのではないかと論文の著者らは推測している。

本当にミトコンドリアがないのか厳密な調査が必要という声もあるが、このように本書刊行後もこの分野で次々と新しい成果が出てきているのは事実だ。ゲイツ氏の「今から5年もすれば、ニックなど、この分野の研究者がずっと先へ話を進めているだろう」という言葉も真実味を帯びる。 

斉藤 隆央

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