『ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度』 訳者あとがき

亜紀書房2016年10月08日 印刷向け表示
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ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ II-12)
作者:ジョン・クラカワー 翻訳:菅野楽章
出版社:亜紀書房
発売日:2016-09-28
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今年(2016年)のアカデミー賞授賞式で、レディー・ガガが「Til It Happens To You」という曲を歌った。「自分の身に起こるまで、この気持ちはわからない」。そう繰り返されるこの歌は、米国の大学で多発するレイプの問題を取り上げたドキュメンタリー映画『ハンティング・グラウンド』の主題歌として、自身もレイプ被害者であるレディー・ガガが書き下ろしたものである。授賞式のパフォーマンスでは、数十人の性的暴行被害者もステージに登場した。

米国ではいま、キャンパスレイプが深刻な社会問題になっている。女子学生の20%以上が在学中に性的暴行の被害にあうと言われている。性的暴行を受けた学生は、PTSDに苦しみ、大学に通うのが困難になり、最悪の場合は自殺に至ることもある。ティーンエイジャーの子どもを持つ親は、わが子をこのような「狩り場(ハンティング・グラウンド)」に送ることに不安を覚えている。

こうした事態に、国も対策に乗り出している。2014年、オバマ政権は「It’s On Us(わたしたちの責任だ)」というキャンペーンを開始した。これは、性的暴行に対する一人ひとりの意識を向上させ、この犯罪を撲滅しようとするものである。

レイプは、大学内外を問わず、日常的に発生している犯罪でありながら、その実情はあまり知られていない。見知らぬ人に突然襲われる、茂みに連れ込まれる、というようなイメージが根強く残っているだろう。しかし、統計によれば、レイプ事件の80%以上が顔見知りによる犯行なのである。また、レイプ被害にあった人たちが事件後にどのような苦しみを味わっているかもあまり知られていない。病院で体のいたるところを検査され、警察官や検察官や周囲の人々に疑われ、裁判で相手の弁護士に貶される。これは「セカンドレイプ」と呼ばれることがあるとおり、レイプ被害者にさらなるトラウマをもたらしている。

米国北西部モンタナ州の大学町、ミズーラで2010年から2012年に起きたレイプ事件をめぐる本書Missoula: Rape and the Justice System in a College Townは、そのような社会状況のなか、2015年4月に米国で発売され、大きな話題となった。

著者のジョン・クラカワーは、『荒野へ』、『空へ』など、過酷な自然に立ち向かう人々を描いた作品で知られているが、『信仰が人を殺すとき』以降は、宗教や戦争など、大きな社会問題を取り上げた作品を発表している。今回、彼が「レイプ」をテーマに本を書いたきっかけは、わが子のように思っている20代後半の女性が10代のころにレイプ被害にあっていたという事実を、最近になって知ったことだったという。クラカワーは、たいへんなショックを受けると同時に、レイプの残酷さやレイプ問題の広がりについて何も知らなかった自分を恥じた。そこで、さまざまな文献を読んでリサーチをはじめる。

当初はミズーラに的を絞っていたわけではなかった。30以上の町の事例を調べ、ファイルにまとめていた。そのような調査をしているうちに、あるレイプ事件の裁判(量刑審問)がミズーラで行われることを知った。本書で中心的に取り上げられている、ボー・ドナルドソンによるアリソン・ヒュゲットへのレイプ事件である。モンタナ大学のアメフト選手だったドナルドソンは、幼馴染みのヒュゲットを自宅で襲った。やがて逮捕された彼は、司法取引に応じ、この裁判で判決が下されることになっていた。クラカワーは、かねてからミズーラという町に愛着を持っていたこともあり、これを傍聴することにした。そして、被害者のヒュゲットが被告人側の弁護人に立ち向かうのを見て、強く感銘を受けた。「立ち上がって喝采を送りたくなった」と、彼はオンラインマガジン「Salon」などのインタヴューで語っている。「そのとき、『この女性を中心に本が書けるかもしれない』と思った」

そこからこの本の構想は広がっていく。ミズーラでは、学生アメフトのスター選手ジョーダン・ジョンソンのレイプ疑惑など、ほかにも性的暴行事件が数多く発生していた。この町に深刻なレイプの問題があることは明らかだった。クラカワーはそれを追究するべく、被害者やその家族、被疑者らにインタヴューを行い、警察官や心理学者などから専門的な話を聞き、裁判に出向いた。膨大な量の裁判文書や捜査資料を読み、メディアの報道や科学論文を調べた。このような綿密な取材・調査にもとづいた本書は、ミズーラというひとつの町を舞台にしていながら、米国全体のレイプ問題をめぐる包括的で多面的な報告にもなっている。

本書を読めば、レイプにかかわる問題の多くを認識できるだろう。被害者に対する非難や中傷(酒を飲んだのが悪い、おまえが誘惑したんだ)、被害者の自己非難(わたしがそそのかしたのかもしれない)、理解のない警察(女の子たちはよくレイプされたと嘘をつくからね)、ほとんどの事件を不起訴処分にする検察(合意のない性交だったという確証が得られない)、加害者の罪の意識の欠如(ただセックスしただけなのに)、スポーツ選手の特権意識(オレたちはだれとでもファックできる)、世間の偏見(アメフトのスター選手がレイプなんかするわけがない)……。また、本書は、被害者だけでなく、加害者やその両親などの視点を盛り込んでいることで、この問題を立体的に浮かび上がらせている。

クラカワーの語りは巧みだ。これまでの作品同様、一度読みはじめるとページをめくる手を止められない。彼の文章の魔力は、その構成力にあると言えるだろう。ひとつひとつの文はきわめてシンプルなのに、それが積み重なると、ドラマティックで、実に説得力のあるものになる。本書を読んだ人は、クラカワー自身が知人女性からレイプ被害の話を聞いたときのように、生々しく被害者たちの話を受け止め、この犯罪の残酷な真実に気づかされるにちがいない。

レイプにはさまざまな誤解がある。本書でも繰り返し指摘されている、いわゆる「レイプ神話」である。露出の多い服を着ていたせいだ、抵抗したり逃げたりできたはずだ、レイプの多くはでっち上げだ……。このような誤った認識をもとに不信感を抱かれるのはとてもつらいことだと、性的暴行の被害者たちは言っている。また、男性の歪んだ性知識も問題である。本書に登場するカルヴィン・スミス(著者がインタヴューすることのできた唯一の加害者)の場合、その性知識はほとんどがインターネットのポルノから得られており、そこで行われていることがふつうのセックスだと考えていた。こうした誤解は、ミズーラや米国にかぎらず、おそらく世界各地に存在しているだろう。今後、日本を含め、さまざまな国や地域でレイプが社会問題となる可能性は十分にある。

米国では、学生たちが声を上げたことで、キャンパスレイプが社会的な議論の対象になった。その結果、レイプ被害を届け出る人が増えたり、政府が対策に乗り出したりと、ある程度の成果が出はじめている。だが、まだまだ解決には程遠いのが現状だ。最近も、スタンフォード大学の水泳選手が起こしたレイプ事件がメディアをにぎわせた。加害者のブロック・ターナーは、パーティーで出会った女性を暴行し、有罪判決を受けたが、名門大学に通う将来有望なアスリートに言い渡された刑は、懲役6ヵ月という非常に甘いものだった。

ミズーラでは、2016年2月、大学のレイプ捜査に不手際があったとして訴訟を起こしていたジョーダン・ジョンソンに対し、モンタナ州が24万5千ドルを支払うことに同意した。本書第3部で言及されている、高等教育局の情報公開をめぐるクラカワーの訴訟については、4月にクラカワーに対する審問が行われたが、現時点でまだ結論は出されていない。ボー・ドナルドソンは、6月に仮釈放された。

2016年8月 菅野 楽章

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