『組長の娘 ヤクザの家に生まれて』リアルな昭和ヤクザの「証言者」 文庫解説 by 宮崎 学

新潮文庫2016年11月01日 印刷向け表示
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組長の娘: ヤクザの家に生まれて (新潮文庫)
作者:廣末 登
出版社:新潮社
発売日:2016-10-28
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あの人は、ヤクザの組長の娘だ――そう言われた場合、読者の皆さんは、どのようなイメージを持たれるだろうか。

ヤクザといっても、地域性も組の規模もシノギもさまざまであり、子分が何千人でも、あるいは数人でも、「組長」は「組長」である。

だから、その「娘」の人生も、千差万別である。父親の属する組織とそこでのポジション、あるいは家族への態度などに左右されるからだ。

本書は、その「組長の娘」の一人である中川茂代さん(仮名)が「主人公」である。

語られる内容は、多くの読者のイメージに近い「組長の娘」の姿ではないかと思う。シビアな話も多いのだが、「コテコテの大阪弁」がそれを笑える話にしてもいる。

一方で、中川さんが生まれ育った昭和の時代と現在のヤクザの事情はかなり変わってきている。

とりわけヤクザが減少傾向にあることは大きな変化だろう。

警察庁によると、2015年末現在で「暴力団」構成員の数は46,900人、前年比マイナス6,600人と、6年連続で減少している。暴力団排除条例の効果もあるが、関係者によれば少子化や今どきの若者の「草食化」のほうが主な理由のようだ。

たしかに私もヤクザの減少を体感してはいるが、警察の統計には注意が必要である。毎年発表している『暴力団情勢』は、暴対法上の指定を受けた「暴力団」についてだけの数値であるからだ。すなわちヤクザは警察から「暴力団」と呼ばれて初めて「暴力団」になるのである。

2016年8月現在、この暴対法上の「暴力団」に22団体が指定されているが、指定されていない比較的小規模の組織も多く、これらは統計には含まれない。

また、統計は構成員のカウント方法などが明らかにされておらず、実態と異なるとの指摘も多い。さらに、最近は暴排条例等の規制を逃れるため、若い衆と同様の者であっても盃事をしていないケースも増えている。

このように、現在のヤクザは減少しながらも「わかりにくい存在」になりつつあるのだが、もともと時代や経済状況とともに変化してきた者たちである。

たとえば昭和30年代くらいまでのヤクザ映画に登場する高倉健は着流し姿、菅原文太もせいぜいシャツにスラックスといった格好で、それほどカネがあるようには見えない。ヤクザとしてのメリットも「うまいものを食っていい女を抱く」のがせいぜいである。

だが、昭和末期のバブル期に「経済ヤクザ」が擡頭して億単位のカネを動かし、大企業を乗っ取るようになると、映画やVシネマに出てくるヤクザたちも黒のスーツを着てロレックスの腕時計をはめ、ベンツを転がすようになる。

おそらくこちらのヤクザのほうが一般のイメージに近いのではないだろうか。実際にバブル期は若い衆にまでカネが回ったのだが、その時期は短かった。

そもそもシノギが常に順調で儲かっているヤクザはそう多くはなく、浮き沈みが激しいのであるが、メディアの影響もあって「人を泣かせたカネで贅沢をしている」との印象が刷り込まれてしまったようだ。

そんな事例ばかりではなく、古き良き時代には「頼れる地元の顔役」もいたことを中川さんは証言してくれた。

だから、本書は私にとって「懐かしさ」にあふれた一冊といえる。

生まれ育った京都よりも東京での生活の方が長くなった私にとって、大阪のヤクザの娘である中川さんの大阪弁による語りは、私の故郷の不良たちの言葉にも近く、時には頷きながら読ませてもらった。

中川さんの実家は大阪の大きな組織だったそうで、京都の地元組織である私の実家とは事情は異なる。それに、中川さんは私の娘といってもいいくらいの年齢であり、もちろん男女の違いもある。

こうしたさまざまな違いはあるものの、実家が関西の博徒系の組織だった中川さんの子ども時代は、私の子ども時代との共通点がいくつもあった。大阪文化圏の不良とその周辺の者たちにとって、当時の雰囲気を思い出させるのである。

ただし、こうした私が感じた共通点や懐かしさは、一般読者にとっての「読みやすさ」には直結しない。もともと学術的なアプローチで書かれた本書は、「ヒネ割」から「ラッタッタ」にまで注釈がつき、この注が本文の半分近くを占める。

これは、中川さんや私を育 んだ「昭和」と「大阪ヤクザ」の世界が、今や通訳を介さなければわからないものとなってしまったということでもある。「昭和は遠くなりにけり」ということなのだろうか。

そして、それは日本人そのものの変質も示唆していると思う。

とりわけ昭和の終わりのバブル経済は、日本人の金銭感覚だけではなく人間の内面も変えてしまった。

たとえば、昭和時代は良くも悪くもウェットな人づきあいをしていたが、バブル以降は「煩わしいものは、人もモノもさっさと捨てる」というドライな関係になってきた印象がある。また、個人の関係がバラバラというか、かつてのような濃密な人間関係がなくなってきているように思う。

だが、大阪などヤクザの多い都市では、まだ「昭和」が残っていることが、中川さんの言葉から伝わってくる。

そして、なるほどと思った点もある。子どもが「不良」になる年齢は、今も昔もやはり中学二年生であるということだ。

現在も「中二病」という言葉があるように、女も男も思春期に芽生えた過剰な自意識からは逃れられないものだが、この中学二年生の頃に「悪くなる」子どもは多い。

私も中学へ上がると同時に他校生とのケンカに明け暮れていたわりに、初めての「停学処分」にはうろたえたものだったが、それが中二ともなると、気にならなくなり、さらにケンカを繰り返していった。

中川さんも、中学に入ってすぐの時期、家出が原因で停学になったことはショックだったという。その後は中二の頃からどんどん悪くなっていった。

「難しい年ごろ」と言われる中学二年生が悪くなっていく例であり、こうした経験をした人は少なくないだろう。

また、女侠客であり、なおかつ博徒だったという中川さんのお母さんのエピソードも興味深かった。

私の母は気晴らしにパチンコに行く程度のことはしていたが、あとは常に父の若い衆や私など子どもたちの世話に追われていた。誰よりも早く起き、寝るのも遅かったので、母が布団で寝ているところを見たことがなかった。

明治の女とはそうしたものだったと思うが、これに対して中川さんのお母さんは中学卒業と同時に親から「博徒になれ」と言われたのだという。かつての東映のヤクザ映画の名作『緋牡丹博徒』シリーズのような話である。

さすがにお母さんは肝が据わっていて、経営していたバカラ屋に強盗がやってきた時のエピソードなどは面白く読めた。

それなりにお母さんや家族に対する複雑な感情もあったようだが、家族を大切にしていた不良少女の中川さんにとって、結婚は「ごっつう幸せ」なことだった。

だが、その幸せは続かず、その後に中川さんは覚醒剤の使用や密売に手を染め、懲役の実刑判決を受けて服役する。女子刑務所での極端に閉鎖的な生活も本書でユーモラスに語られているのは、たくましさも感じる。

中川さんにはお母さんがいたが、出所後に行き場のない者たちは少なくない。中川さんはこうした人々に寄り添い続け、現在もかつての遊び仲間や不良仲間が次々と自宅を訪ねて来る。

彼女にとって、それは特別なことではなく、当然のことなのだ。

「大学出てきた人らに、晩飯振る舞ったり、知り合いの店を紹介して、働いてもらったりしてんの、そんな大層なことちゃうかな」

中川さんは、テレビ局の取材を受けてこう話していた。ここで言う「大学」とは、もちろん「刑務所」を指す。

刑務所を出て、行き場のない者たちの面倒を見るのは、かつてのヤクザの親分の当然の務めであった。

「カタギの世界では、これは『支援』いうんか。皆で首を傾げよってんな。ただ、飯食わしただけ。ただ、仕事紹介しただけ」
「ここいらでは、日常的な風景や思う」

中川さんの「お父ちゃんやお母ちゃん」は、ヤクザがヤクザでいられた時代に生きられた最後の世代だという。

私も同感である。

「平成の時代になってからいうもの、昭和ヤクザの出番ないな。今や世間は、ヤクザも暴力団もミソクソ一緒や。昔は、親分いうたら、近所のよろず生活相談受けてたし、近所の人に尊敬され、慕われよった。そんな昭和ヤクザの時代を、女侠客として母は生きたんやな」

中川さんの指摘のとおり、かつてのヤクザの親分衆は、乱暴ではあったが「任侠道」はわきまえていた。町内のもめごとを解決し、若い者を食わせるのは、親分の役目であったのだ。

「組事務所に行けば、メシを食わせてもらえる」

そう聞いて事務所に行き、そのままヤクザになった者も少なくないのが昭和という時代であった。

最後に本書の著者にも言及しておきたい。

中川さんから聞き取りを続けた廣末登氏は、自身も「不良の経験」がある学者で、「ヤクザ離脱者への社会的な支援」などを研究している。

ただし、廣末氏の「不良」への道は、一般的なヤクザになる少年たちとは異なる。廣末氏のお父さんは食えない学者で、貧しくはあったが、家に本はたくさんあった。また、「学校へ行くと教師や級友から悪い影響を受けるから」と小学校2年生まで息子を学校に通わせていない。

3年生からは行政の指導で通うことになるが、学校に行ったことがなかったために、対人関係で苦労してグレていくのである。

不良への入り口としてはめずらしい例だが、そこから苦学して大学院を修了、やはりお父さんと同じ学者の道を選んでいる。

廣末氏は、中川さんのような支援活動を「公的機関が為しえない、離脱者・更生者のニーズや特性に応じたケースバイケースのオーダーメイドの支援」と捉えるが、中川さんは「そんなに大層なものなのか」と言う。

私も中川さんと同意見だが、現代はこうした「当たり前」のことができない社会になってきているのではないか。

本書は、本来の社会の機能としての相互扶助や弱者の保護をヤクザが担ってきたことも伝えてくれる。

私は、「ヤクザは悪くない」とは言わない。

しかし、ヤクザは社会に対して一定の役割を果たしてきたと思う。

残念ながら、ヤクザがヤクザらしい役割を担える日は、もう来ないのかもしれないのだが。

(平成28年8月、作家)  

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