『バブル 日本迷走の原点』バブルを知らない我らが世代に送る 客員レビューby 岩瀬 大輔

岩瀬 大輔2016年11月29日 印刷向け表示
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バブル:日本迷走の原点
作者:永野 健二
出版社:新潮社
発売日:2016-11-18
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「岩瀬君のようにバブルを知らない世代に読んで欲しい本を書いている」

バブル時代に日経証券部のキャップとして大活躍したジャーナリスト、永野健二氏からそのように言われていた本が、ようやく上梓された。

あの時代をMOF担として渦中で過ごし、最近では読売新聞の書評委員として筆をふるう当社の出口会長をして、「あのバブルの時代は何だったのか、誰かにきちんと総括してほしいとずっと渇望していた。やっと読み応えのある1冊に出会った気がする。」と言わしめた一冊である。

私なりに本書の内容を整理すると、次の通りである。

1973年の変動相場制への移行とオイルショックを受けて、80年代には世界的な金融の自由化が進み、膨大な量のマネーが世界中を動き回るようになる。日米独の当局は米国の不況脱出を後押しするドル安為替介入・金利引き下げなど協調的なマクロ経済政策を実施するが、国内で求められる経済政策とは必ずしも整合性が取れておらず、矛盾を孕んでいた。

本来であればこの時代に、日本も土地担保主義・銀行貸し出しを中心とした間接金融のシステムから、資本市場で資金調達を行う直接金融への移行を進めるべきだった。野村證券が大蔵大臣に直訴した「野村モルガン信託構想」、ひとりの大蔵官僚が奔走したが挫折に終わった「興銀の投資銀行化構想」、日本初のM&A専門家とも言えたミネベア高橋高見社長が進めた敵対的M&Aなど、変革を推進する動きはあったが、それらはことごとく変革を拒むエスタブリッシュメント(大蔵省、興銀をはじめとした銀行)によって潰された。

「宮本(注:保孝・元銀行局長)は言う。『戦後40年にわたって存続してきたわが国の金融制度を根幹から覆すものであり、金利の自由化ですらまともにスタートしていない時点で、いきなり制度問題を持ち出されても、到底認めることはできない相談であった』。
 もともと認めるつもりもない『案件』であるにもかかわらず、何事か考えたふりを装い、大臣に頭越しで話を持ち込まれると、過敏に反応する。『悪代官』と『農民』の関係そのものだった。」(p.56)

そんななか、85年9月のプラザ合意を受けて1ドルが242円から150円台へと急騰、日銀は円高不況対策と米国が望む内需拡大として公定歩合を86年から87年にかけて5.0%から2.5%まで下げる空前の金融緩和政策を実施し、過剰流動性による資産バブルが進んだ。土地を担保とした信用創造、ジャブジャブな融資による地価と株価の高騰。これはよく見られるバブルの構図である。事業会社による安価な資金調達を活用した「財テク」と呼ばれた高リスクの運用が横行したことはこの頃の日本の特徴か。金融のグローバル化にまだ不慣れな日米独当局も、為替・金利・株式の相互作用ないし国際金融のトリレンマ、マクロ経済政策へのインプリケーション、あるいはシステミックリスクへの対応などを十分に理解していなかったようにも感じる。

そして、高株価を利用した敵対的M&Aも多く見られた。筆者は開かれた資本市場で適正な価格形成メカニズムを担う敵対的M&Aを歓迎している。いなげや・忠実屋事件、小糸・ピケンズ事件は司法試験受験生であれば誰しも判例を学んだ事案だが、ここでも現代的な資本主義を象徴する敵対的買収の動きを、日本的な事なかれ主義で片付けようとする国内の各種エスタブリッシュメント勢力に対して、筆者は苛立ちを隠さない。これらの議論は20年経った2006年頃にも、村上ファンドなどを通じて再燃した。

加えて筆者は、バブルのダメージを抑えるためのチャンスが何度となくあったが、それが官僚や銀行に止められたことを批判的に綴っている。本書を通じて「あのときもし」という筆者のため息が何度も漏れ聞こえてくる。その分、反動としての失望感も小さくない。「乾いた薪に灯油をぶちまけるような」特金・ファントラへの投資枠の拡大によってバブルを助長させた大蔵省、一流銀行が免許事業としての社会的責任を忘れて拡大し続けた常軌を逸した融資、財テクに走った三菱商事と慎んだ三井物産の違い、そしてバブルの最終局面でも責任追及を逃れるために現実を直視せず、宮澤総理と三重野日銀総裁が用意した銀行への公的資金注入案を拒絶する経営者と官僚。

「80年代のバブルとは、戦後の復興と高度成長を支えたこの日本独自の経済システムが、耐用年数を過ぎて、機能しなくなったことを意味していた。日本経済の強さを支えてきた政・官・民の鉄のトライアングルが腐敗する過程でもあった」(p.3)。

あとから気がついたのだが、本書には政治家がほとんど登場しない。レーガノミクスによって「経済学」が純粋な学問から政策的機動的に運用される「政治経済学」へシフトした、という記述があるにも関わらず。あえていえば企業間の紛争を解決する調停役として、そしてリクルート株の受益者として登場するくらいだ。当時の経済政策は大蔵省・日銀のテクノクラートに丸投げされていたということだろうか。財金分離前、そして日銀の独立性が曖昧だったこの時代、真の金融の専門家は霞が関に不在だったのではないか。長期的視野で考えるプロの金融ポリシーメイカーがいないこの時代にあって、政策立案を委託された官僚たちもその場しのぎの政策しか遂行できなかったように感じる。

本書の特徴は、各章がひとりの主人公を置き、その息遣いが聞こえてきそうなエピソードで進むことだ。「私の心のふるさとは住友銀行だ」(小谷光浩・光進総帥)、「海の色が変わった」(田淵節也・野村證券会長)。時代を象徴する、ふとした言葉を引き出し、書きとめた。このジャーナリストの手による臨場感と、同時に大きな流れが太い糸によってタテヨコで繋がっている、学者の手によるような出来事の有機的な分析が同時に描かれている感覚。もちろん、これでも筆者が見聞きしてきたことのほんの一部しか書かれていないのだろう。

強く印象に残ったのが、エスタブリッシュメント層への厳しい態度とは裏腹に、「バブル紳士」と呼ばれた企業家たちへ向けられる、暖かい眼差しである。社会を革新させるのはいつの時代も異端な挑戦者であることへの強い信念。当時主要なプレイヤーを取材し、彼らの情熱と矛盾を肌で感じ、ひとりひとりの人となりと物語を知っていた筆者だからこそ向けられる視線ではないか。そしてそれこそが、これまで語られなかった真のバブル時代の物語である、ということではないか。

「これまで数多くのバブル論が語られてきた。また、バブルを反省する声もたくさんあった。ただ、あのバブルの時代の渦中に、誰がどう振る舞っていたか、またどの組織が、どんな行動を取っていたかを、語っているものが少ない。
誰が何にチャレンジしていたのか。そして何に敗れ、何を否定されたのか。バブルの時代という大きなうねりのなかで、敗れて行った人たちや、否定された人たちの行動の中にこそ、変革への正しい道筋が埋もれているのではないか」(p.262)

「秀和の小林茂、麻布建物の渡辺喜太郎、光進の小谷光浩など日本の経済社会で異端児、もっといえば成り上がりと蔑まれていた人たちに、ある種の親近感をもっていた。バブルのあの時代に「成り上がろう」としたら、この人たちにとって他に表現方法はなかった、と今でも思う。問題があったとすれば、このような人たちの野心や欲望に、何の反省もなく融資し続けた銀行でありノンバンクではないだろうか。またそうした制度を放置し続けた行政ではないだろうか。
資本主義のなかの企業家精神には、いつも上昇志向とともに、ある種のいかがわしさが潜んでいるものなのである。それをチェックし、上限を設けるのが、金融機関であり、官僚の仕事ではなかったか」(p.264)

あれから20年を超える歳月を経た。日本は果たして変わったのか。革新を起こすべくいささか野蛮にも現状打破に挑戦し続ける企業家たちを受容し、賞賛する風土はできたのか。口では正論を唱えつつも真に必要な変革を官僚たちはサボタージュしていないか。金融システムを担う個社の経営者は、免許事業としての矜持を持って日々の業務にあたっているか。

本書が単なる懐古趣味的なバブル時代の回想録にとどまらず、現代的な意義をもつとすれば、それはこのような点を私たちが問い続けることにあるのではないか。  

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