ハーバード大学やプリンストン大学をはじめ、全米200以上の大学で採用さている教科書『Evolution: Making Sense of Life』の邦訳3分冊の第1巻である。「教科書」といっても、本書は議論の余地のない事実が淡々と積み上げられた退屈なものではない。原著者は『ウイルス・プラネット』等で知られる大人気サイエンスライターのカール・ジンマーと『動物たちの武器』のモンタナ大学教授ダグラス・J・エムレンであることからも分かるように、科学読み物としての楽しさを保ちながら、確かな知識を与えてくれる内容となっているのだ。またAmazon.comでは『Evolution』の価格は12,000円以上と高価だが、この第1巻はフルカラーの図を多く含みながら、1,680円(税別)だというのだから買うしかない。さらに、邦訳者の1人には、『化石の生物学者』の著者であり『ネアンデルタール人は私たちと交配した』に素晴らしい巻末解説を寄せた更科功氏がいるのだから、もう何も心配することはない。
「進化の歴史」というサブタイトルが付けられた本書では、そもそも進化がどのような証拠に基づいて確かめられ、理論が構築されてきたのか、進化の基礎単位となる種とは何であるのかというところから丁寧に教えてくれる。そして議論は隔離や適応放散というより具体的な進化の現場へと進んでいき、最後には人類の進化が概観される。原著には含まれているという一般的な生物学の解説は省略されているが、遺伝に対する基礎的な知識があれば、十分に読み通すことができるはずだ。
生物のダイナミックな進化を語るはずの本書が、「岩石の語るところ」という第一章から始まるのは少々意外かもしれない。しかし、一見しただけでは無機質で表情を持たない岩石は、現代を生きるわたしたちに多くの過去の出来事ことを教えてくれる。岩石の中には30億年前以上の生命の痕跡や、地球を我が物顔で闊歩していた恐竜たちの化石が、確かに残されている。化石は時に、絶滅した生物の姿だけでなく、その生物がどのように活動していたかも教えてくれる。4億年2800万年前の無脊椎動物の足跡の化石は、その生物が右足と左足を交互に出して移動していたことを示唆している。化石がどのように形成されるのか、何が化石として残り、何が化石として残らないかを知っておくことは、進化を考えるための「土台」になると著者は説く。
「種」は進化によってもたらされていることが広く理解されるようになった現代においても、種が何であるかは多くの学者を悩ませ続けている。ある調査によれば、種には25もの異なった定義があるという。鳥類学者エルンスト・マイアによる「実際に、または潜在的に交配可能な個体群で、他の同じようなグループから生殖的に隔離されている」グループという生物学的種概念だけでなく、体系学者の役に立つ系統学的種概念などもある。それぞれの概念に良いところがあるのだが、たった1つの概念で種のすべてを説明することは今のところ不可能だ。例えば欧州にいる蝶の種の16%は、異種交配で生存可能な雑種を生み出せるにも関わらず、それぞれが簡単に識別できるほどにはっきりと異なる形態学的特徴を保っているのである。
このとらえどころの無い種はどのようなときに分岐し、新たな種が誕生するのか。ある種の個体群の間で自由に遺伝子が交換されている限り、種は分岐しない。つまり、種の分岐のためには遺伝子交流を阻むような隔離障壁が必要となる。障壁にはいろいろな種類があり、地理的障壁や生殖障壁がある。本書ではそれぞれの障壁がどのように種に作用するのか、多くのグラフや写真とともに分かり易く解説されている。
様々な進化の事例の中でも、1980年代に行われたショウジョウバエを用いた実験が特に興味深い。この実験ではハエを3つの分岐点がある管でできた迷路に送り込む。ハエは、それぞれの分岐で光の明・暗、管の上向き・下向き、エタノールの臭い・アセトアルデヒドの臭いのどちらかを選んで、8個の容器の内の1つに辿り着くこととなる。同じ容器に辿り着いたハエ同士のみで交配させることを30世代ほど繰り返すと、どの子孫も親世代が選択した容器と同じ容器をほぼ完全に選好するようになり、選好の異なるタイプと交配する傾向は弱くなっていったという。選好の違いが環境の隔離をもたらし、種が分岐されていくさまが、実に簡潔に描き出されている実験だ。
より長い時間軸で進化の歴史を考えた後、本書は最も多くの興味を惹きつける、人類の進化へと進んでいく。分子生物学の進化はめざましく、世界規模での関心度が高いことからも、人類進化に関するニュースは引きも切らない。しかし、次々と飛び込んでくる最新研究成果のどれほどが真実を伝えているのかは、にわかには判断がつきにくい。本書で述べられる内容をしっかりと理解しておけば、次々と流れてくる情報に振り回されることはなくなるはずだ。
今後は第2巻が「進化の理論」、第3巻が「系統樹や生態から見た進化」として出版されるという。これからも日進月歩の変化を遂げていく進化を考えるために、常に立ち返る書となるはずだ。
ビッグバンが起きて人類が誕生するまでにはどのような変遷があったのか。そして、人類はどのような科学的手法を用いてその変遷をしることができたのか。科学のあらゆる分野を包括的に解説しながら全く飽きさせることなく、生命の惑星がどのようにして現代に至ったのかを教えてくれる。レビューはこちら。
ブルーバックスの同じく教科書シリーズ「生物学」版である。こちらも新書のサイズと価格にコンパクトに収まりながら、本格的な内容をしっかりと教えてくれる。
ヒトの進化を語るうえで欠かすことのできない一冊。もちろん、『進化の教科書』でもペーボ博士の成果については言及されている。古代のDNA研究という分野を自ら切り開き、人類の歴史を変えてしまう成果をもたらしたペーボ博士の私生活についても赤裸々に語られ、あらゆる角度から楽しめるサイエンス読み物。