『ルポ 児童相談所 一時保護所から考える子ども支援』まずは知ること、当事者の声を知るための第一歩

麻木 久仁子2017年01月24日 印刷向け表示
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ルポ 児童相談所: 一時保護所から考える子ども支援 (ちくま新書1233)
作者:慎 泰俊
出版社:筑摩書房
発売日:2017-01-05
  • Amazon
  • Amazon Kindle
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

陰惨としか言いようのないような児童虐待事件が報道されるのをみるとき、なんとひどい親がいるものかと怒り呆れる。実の父に、母に、あるいは実父母のパートナーに、殴られ、閉じ込められ、飢えさせられ、亡くなる子どもたち。性的虐待に心身ともに深く深く傷つけられた子どもたち。なんとかならないものなのかと誰しもが思うだろう。

中には周囲の人々が子どもの危険を察知していたという事例もある。とくに児童相談所に通報がなされていたにもかかわらず、手をこまねいている間に取り返しのつかないことになったという話をきくと、何を生ぬるいことをやっているのかと思う。そんな虐待をするような親の親権など構わないから、まずは虐待する親から子どもを取り上げて、危険から守るべきだと。

こうした社会の声に押され、応えるように、虐待が疑われる家庭への行政の介入は強化されてきた。かつては虐待をする保護者自身も問題を抱えているのであり、そこへの共感をベースにしつつ家族の育児能力を再生させることへの援助を基本とするアプローチがとられていた。が、それが後手に回ることによる取り返しのつかない事例を踏まえて、今はまず入り口のところで「家族から子どもを分離するべきかどうか」を判断することから始まるようになったという。そうすることで実際、救われた命もあるに違いない。

が、たとえ家族から離されても、どんなに辛い思い出に満ちていたとしても、子ども自身のアイデンティティと家族の存在は分かちがたいものであり、「家族の再生の可能性」を完全に奪われてしまうことが本当に正しいのかという疑問も問われ続けている。

あたりまえのことながら、児童相談所が動き子どもの身柄を親から離して、そこで事が終わるわけではない。その後、子どもたちは、家族は、どんな道のりを歩むことになるのか、私自身あまりにも知らな過ぎていたと思う。知らぬまま、とにかく児童相談所が家族を分離すれば一安心、あとは適宜適切に処遇が決まるだろうというのでは、あまりに楽観的すぎるのである。

本書で取り上げられているのは、児童相談所とその中の施設である一時保護所である。虐待や問題行動、親が養育困難など様々な理由で親から離された子どもは、まず、児童相談所に併設されている一時保護所というところに入る。そこで処遇が決まるのを待つことになるのだが、ここでの生活がいかなるものか、この本を読むまで知らなかった。

「児童の保護」の入り口にある一時保護所。まずはここに入った後で、再び家庭にもどるのか、児童養護施設へいくのか、里親に預けられるのかなどの将来がきまる。その前に、傷ついた子どもたちがまず入る場所である。なんとなく、温かくむかえ心を癒すところのようなイメージを持っていたが、それは全く違っていた。

筆者は一時保護所の実態を知るために10箇所弱の一時保護所を訪問し、幾つかの保護所では子どもたちとともに住み込んで話を聞いている。あらかじめ誤解のないようにいうならば、まさにピンからキリまでで、保護所にも格差があり、中には全力で「子ども第一」の取り組みをしている素晴らしい一時保護所もあったということは筆者も繰り返し述べている。

そのうえで、場所が特定されないように複数の保護所の状況を組み合わせて描かれた、保護所における子どもたちの日常とは果たしてどんなものか。

多くの一時保護所では、窓が五センチ程度までしか開きません。なぜそうしているのかと質問しましたが、答えは常に同じです。「子どもたちが脱走しないためです」。

子どもたちは裸足でも靴でもなく靴下をはいて過ごさなくてはなりません(中略)「それは子どもが逃げ出しにくいようにしつつ、仮に逃げ出したときも捕まえやすいようにですよ」

テレビを自分たちでつけることは許されません。必ず職員に「テレビをつけてください」とお願いしなくてはなりません。子どもたちが事あるごとに「お伺い」をするのも、ここでの生活の特徴です。(中略)学習部屋に行こうとするときには、職員に「入ります」と言わなければなりません。トイレに行く時には「トイレに行ってきていいですか」と職員に言わないといけません。

一人あたりの入浴時間はたったの十五分。ゆっくり湯船に浸かることは許されません。

自由時間に使う紙の枚数も、厳格に管理されています。(中略)紙には通し番号がふられており、遊び終わったら紙を回収します。それを職員が数えて、すべてそろっているかを確認します

完全消灯になった後も、しばらくの間職員たちは部屋の外に無言で立っています。子どもたちと話すようなことはほとんどなく、監視しているかのような異様な光景です。

一時保護の決定がなされた子どもは、ある日突然ここへ連れてこられることになる。同級生に別れを告げることもできず、まるで神隠しにでもあったかのように姿を消すことになるのである。自分の愛着のある品を持参することも許されない。おもちゃやぬいぐるみも禁止。入所するときには着ていた服まで取り上げられ、保護所内にある服から選んでそれを着ることになっている所も多く、なかには下着のパンツまで保護所のものを着なくてはならず、しかもそれには番号が振ってあるという。

また保護所にいるあいだは外出は禁じられる。学校にも行かれない。食事中の私語も禁止。外部との連絡は親への手紙など限られていて、友達と電話で長話など許されない。そして、いつ、どんな処遇が決定されるのか、自分自身の身の振り方がどうなるのかもまるで知らされることなく、数週間後か、一年後か、またも突然行き先を告げられる。家庭に戻る子どももいるが、行ったこともない土地の施設におくられることもある。

思い浮かぶのは「刑務所」。傷ついた子どもが初めにはいるところがここなのか。正直、衝撃を受けた。もちろんこうした運営には理由はある。保護所では虐待だけでなく、非行や発達障害などにより育てにくさを理由に親が育児放棄した子どもなど、さまざまな事情をかかえた子どもたちが同じ場所で集団生活をしなくてはならない。

ほんのちいさな出来事が大きなトラブルを引き起こしたり、ときには性的な事件に発展したりすることもなくはない。行政が家庭に介入して子どもの身柄を引き受けたのに、万が一の事故でもあったら大変なことになるというのもわからなくはない。紙の管理や連絡の制限などは子どもの個人情報を守る必要からやむをえないとされているようである。職員の数も多くの場合慢性的に少ないようだ。

が、だからといってこれでいいのか。本当に改善の余地はないのか。これが本当に子どもたちを守ることにつながるのか。よりよい処遇をおこなえないのだとしたら、原因はなんなのか。結果、ここでの抑圧された生活の経験が、子どもたちにさらなる心の傷を増やしているとしたら…。

子どもたち、親、職員ら100人以上にインタビューした著者は、一時保護所の現状と課題を浮きぼりにしつつ、だれかを「叩く」ことではなく、構造的な問題点を明らかにしようと試みている。かつて一時保護所で過ごした子どもたちの声には、胸が痛む。精一杯頑張っている職員の言い分にも理解できる所もある。一方で、子どもたちと職員との認識のギャップも浮かび上がる。

振り返ってみれば、ともに大過なくすごす親子でも、本当に子どものこころをわかっているかといえば、そうとも言い切れないというのに、さまざまな状況の中で苦しみ、感情の糸がもつれてしまった子どもたちに通り一辺倒な処遇で心の癒しなどあるはずもないのである。子どもたちに自我と尊厳があればこそ、ことは簡単ではない。

本書にはこうした児童虐待問題の根底にある貧困対策の不足や、児童福祉に対する予算の手薄についてのべつつ、いかに公平公正な処遇を子どもたちに保証するかという行政への改善策とともに、民間人としてできることもあるのではないかという著者の提言も述べられている。

まずは知ること。当事者の声を知るための第一歩としても読むべき一冊だと思う。

記事へのコメント コメントする »

会員登録いただくと、記事へのコメントを投稿できます。
Twitter、Facebookにも同時に投稿できます。

※ 2014年3月26日以前にHONZ会員へご登録いただいた方も、パスワード登録などがお済みでない方は会員登録(再登録)をお願いします。

コメントの投稿

コメントの書き込みは、会員登録ログインをされてからご利用ください。

» ユーザー名を途中で変更された方へ
 変更後のユーザー名を反映させたい場合は、再度、ログインをお願いします。

ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
作者:
出版社:中央公論新社
発売日:2014-10-24
  • Amazon
  • Amazon Kindle
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

電子版も発売!『ノンフィクションはこれを読め! 2014』

HONZ会員登録はこちら