『家族最後の日』植本一子の見えすぎる目

首藤 淳哉2017年03月03日 印刷向け表示
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家族最後の日
作者:植本 一子
出版社:太田出版
発売日:2017-02-01
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本書を読み終えたとき、自分を取り巻く世界が、ただただ愛おしく思えてならなかった。読後の深い余韻に浸りながら、ふとカレンダーに目がいった。

もしかしたらこの時点でもう、年間ベスト級の作品に出合ってしまったかもしれない。そう感じたのだ。

植本一子は、荒木経惟に才能を見出され、写真家としてのキャリアをスタートさせた。荒木が「私写真」という独自の世界を築いたように、近年の植本は文筆家としても才能を発揮し、「私ノンフィクション」とでも呼ぶべきジャンルを切り拓きつつある。

植本の夫は、25歳近く年の離れたラッパー、ECDだ。ECDはわが国におけるヒップホップ黎明期から活動しているアーティストで、書き手としても『失点イン・ザ・パーク』のような優れた私小説を発表している。

ヒップホップ界では一目置かれる存在ではあるものの、広く一般に売れているわけではなく、現実はアルバイトをしながらつましく暮らしている。

そんなECD((本名:石田義則)と2人の娘たちとの日々を綴った植本のデビュー作『働けECD』は、働かない夫へのツッコミが笑いを誘う一冊だったが、次の『かなわない』では一転、家庭がありながら別の男性に恋してしまった葛藤の日々を告白し話題を呼んだ。

そして最新作『家族最後の日』である。植本一子の凄いところは、新作を発表するたびにメガ進化しているところだ。本書では3つのヘビーな出来事が語られる。広島に住む母との訣別、義弟の自殺、そして夫の病気だ。ひとつだって重いのに、彼女はこれらすべての出来事と対峙する。その姿に圧倒させられる。

植本は「見えすぎる人」なのかもしれない。義弟が自殺したとの報せを受け、彼が義父と暮らしていた家に駆けつける。義弟は自ら腹を切り、2階から飛び降りるという壮絶な死に方をしていた。義理の弟といっても植本の7歳上である。彼女はカメラマンを目指していたという義弟から作品を見せられたことを思い出す。

プロとして生計を立て、写真の専門学校で授業も持つ植本からみると、その作品はどれも無難で、個性のないものばかりだった。写真よりもカメラそのものが好きだったのではないか、と彼女は淡々と記す。

義弟の部屋にあがった植本の目に映るのは、本棚に並ぶ自己啓発本やスピリチュアル系の本だ。義父が言う。「あいつは本読みだったよ、いいのがたくさんあるだろう」

これだけで読者にはわかってしまう。義弟にはカメラマンになる才能やセンスはなかったのだ。植本は決してそんなあからさまな書き方はしていないが、読者は否応なくそのことに気づかされる。そして40手前になっても定職につくことのなかった義弟が心の奥底に抱えていたものへと思いを馳せるのだ。

家族が危機的状況にある時も、植本の目はいろいろなことを見逃さない。2016年の9月9日、夫が癌であることを告知される。この日の描写は圧巻だ。

災害時などに人はハイになることがあるが、興奮して饒舌になり友人に「やるしかない」と連呼したかと思えば、癌を公表したECDのツィッターに「いいね」が続々と増えていくのを目にして、かえって心細くなり暗い気持ちが押し寄せるのを感じてしまう。

夫の余命宣告が自分自身に巻き起こした混乱を、この人は細部にわたり見逃すことがないのだ。その混乱を、読者はただただ、息をつめて見守るしかない。

夫のいない日々が始まる。ある朝、保育園に通う下の娘が、「おとうさんずわりして」とせがむ。あぐらをかいてやるとその上に座り、ようやくおとなしくトーストをかじり出す。「そういえばこれ、石田さんもやってたな」と思い出す。

また病院に見舞いに行ったある日、帰り際に下の娘が夫に向かって「かなしくなったらグッドして」と親指を立てる。自分もパパに会いたくなったらグッドするという。そういえば最近、娘は写真に写るときにこのポーズばかりしていたと気づく。植本は人一倍繊細な娘が、父親の不在にじっと耐えていることも見逃さない。

その「見えすぎる」目は、自分自身にも向かう。感情の起伏が激しい母親に翻弄され続けてきた彼女は、帰省した際、ついに母親と衝突する。母を怒鳴りつけ娘たちに帰り支度を命じる彼女に、年老いた祖母が泣いてすがりつく。かなりの修羅場だ。二度と帰らないと決意して実家を後にする植本に、「そこまでしなくても」と思う読者もいるかもしれない。だがその一方で、修羅場について冷静に記す彼女自身が、とことん傷ついていることも、また伝わってくる。

「見えすぎる」目は、彼女自身が気づいていないかもしれない矛盾すらも露わにする。ある日、義父が義弟の部屋をお祓いすると聞き、植本は「おかしいよ。そんな汚いものみたいに。絶対そんなことするのおかしい!」と怒る。

だがその一方で、自分がみてもらっている占いの先生のアドバイスに従い、納骨を急がせようとする。

この人の文章には嘘がない。だから読んでいると目が離せなくなる。だが嘘がないがゆえに、その文章は時として、身近な人間に対しても容赦がない。

ECDの病気をきいて、多くの人が力になりたいと動き出す。なかには募金活動をはじめようと提案する知人もいて、植本に表立って声をあげるべきだと言う。彼女はその提案を「重い」と思う。夫の病状、子どもたちの世話……。ただでさえ彼女は一杯一杯なのに、石田夫妻のために何かしなければとテンションがあがってしまった知人はそこまで考えが及ばない。そういう善意の空回りについても、彼女は嘘偽りなく記すのだ。

だが彼女の目が掬い上げるのは、そんなネガティヴな要素ばかりではない。本書をなによりも魅力的にしているのは、日常のなかの些細なきらめきを、植本の視線が見逃さないからだろう。

下北沢駅前で広告写真の撮影をした際、被写体のゆるキャラが、撮影用に使った「MasterCard」と書かれた大きなパネルの文字をなぜか指差している。ゆるキャラはしゃべらない設定なので、身振りで懸命に何かを伝えようとしているらしい。よくみると、「ECD」と指していた。彼女が「ありがとね、本人にも伝えるね」と言うと、ゆるキャラは、ガッツポーズをみせながら、台車に乗せられて去っていく。

このような日常の中のキラキラとした瞬間を本書にはいくつも見出すことができる。豊かな細部によって本書は成り立っているのだ。

人が抱えているどうしようもない矛盾も、日常生活のちょっとした輝きも、そして人生で必ず出合うことになる困難も。この本にはすべてがある。ここに書かれているのは、私たちが生きている世界そのものではないか。だからこの本を読み終えたとき、世界を抱きしめているような気持ちになったのだ。

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