いざとなったらコレがある?『偽装死で別の人生を生きる』

仲野 徹2017年06月14日 印刷向け表示
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偽装死で別の人生を生きる
作者:エリザベス グリーンウッド 翻訳:赤根 洋子
出版社:文藝春秋
発売日:2017-05-15
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あぁもう何もかもイヤになった、生まれ変わってやりなおしたい。誰だってふとそう考えることはあるだろう。残念ながら、生まれ変わるのは生物学的に不可能だし、よしんばできたとしても、それまでの記憶がなくなってしまうのだから意味がない。しかし、死んだことにして、別の人生を歩み始めることならばできるかもしれない。そんな可能性を探っていく一冊だ。

著者のエリザベス・グリーンウッドは、大学院を出て小学校の先生になったアメリカ人女性。トランプを大統領に選び出す原動力となったラストベルト出身で、そんな地域から脱出するために高学歴を身につけた。しかし、その代償として、6桁のドルというから、一千万円以上の学資ローンを背負い込んだ。

利息を計算すると、生涯に返さないとならない金額は50万ドル、6千万円近くにもなる。いまの生活から考えると、そんなことは不可能だ。たとえ返せるとしても、借金返済のためだけに一生を送るのはイヤだ。いささか身勝手な理屈だが、グリーンウッドは考えた。死んだことにして、別の人生を歩み出せばいいのではないかと。そして、調査を始めることにした。その結果が、それぞれの章にまとめられている。

まず訪ねたのは、『失踪請負人』フランク・アハーンだ。この人の本は読んだことがある。日本ではあまり話題にならなかったが、アメリカではベストセラーになったという『完全履歴消去マニュアル』の著者である。そのアハーンによると、いまのネット時代に失踪してプライバシーを完全に消し去ることは不可能に近い。

しかし、ネットの威力を逆手にとって、プライバシーを撹乱することは可能らしい。たとえば成毛眞(仮名)が、その履歴を消したいとする。もちろん、可能な限り消去する。それでも、ネット検索すると、あちこちに引っかかってくる。どうするか。偽のサイト、実際の成毛眞とは違う偽の成毛眞のウェブサイトをたくさん作ればいいというのだ。それぞれの成毛眞サイトには、当然、それぞれ違った偽のプロフィールを書き込んでいく。たとえば「ジョニー・デップ似で人格が高潔、非の打ち所のない成毛眞」とかいうように。このような情報撹乱は、情報消去よりもはるかにたやすくて効果的であるらしい。

そういったノウハウを駆使する凄腕『プライバシー・コンサルタント』アハーンだが、偽装死亡には反対だ。理由はシンプル。多くの偽装死亡は、保険金の搾取も目的とする。そりゃぁそうだ。偽装死亡の理由の一位は借金だ。それに、偽装死亡がうまくいったとしても、その後の人生、お金がなければどうしようもない。保険金の入手は必須なのだ。しかし、保険会社は甘くない。必ずばれてしまうというのだ。

ならばとグリーンウッドが次に選んだ取材対象は、保険会社の依頼をうけて捜査する偽装摘発請負人、エリート私立探偵エリート・ランバムである。ランバムによると、偽装死亡はほぼ不可能だという。これまでに、一人を除き、依頼を受けたすべてを暴きだしたというランバムだけに、その言葉には説得力がある。

偽装死亡が簡単にできるのは、フィリピンらしい。アメリカ国内では、事故を偽装して、適当な遺体を見つけるのはきわめて困難だが、フィリピンでは比較的たやすくできる。なんと5千ドルもあれば手配できるというのだ。しかし、これには制限がある。見かけがフィリピン人に似ていないとさすがに無理である。それだけでハードルが十分に高いではないか。いかに死亡偽装が難しいかを説くランバムだが、その最大の理由のひとつは、過去の人間関係を断ち切ることができるか、ということにある。ごもっともだ。死亡偽装したが最後、それ以前の知り合いとは会うことができなくなる。そんなことをしたらバレバレだ。

それでも、偽装死亡をなしとげて、5年間隠れおおすことに成功した男がいる。イギリスでカヌーマンとして広く知られるジョン・ダーウィンである。この男、カヌーに乗って海に漕ぎ出したまま行方不明になり、まんまと保険金を受け取ることに成功し、潜伏する。もちろん保険金を受け取ったのは本人ではなく、妻だ。偽装死亡の後、どこで過ごしていたたとお思いだろうか?なんと、ほとんどの時間を自宅の二階で過ごしていたというからびっくりだ。あることがきっかけになって、生存していることがわかり、逮捕される。偽装死亡だとはつゆ知らなかった息子二人は激怒し、絶縁状態になる。完璧な共犯者であった妻とも仲違いする。にもかかわらず、ダーウィンは相変わらずえらく意気軒昂だ。実話とは思えない驚愕のエピソードである。

死亡を偽装をしようとする人がいれば、実際には死んでしまったのに、死んだはずがないと信じ込んでもらえる人もいる。かつてはエルビス・プレスリーであり、現在ではマイケル・ジャクソンだ。カヌーマンの次には、そういったことを信じる「ビリーバー」たちを尋ね、その心理を探り、偽装死亡をいわば裏面からながめていく。意外にも、ビリーバーたちはえらくまともな人たちだ。それだけに、マイケルが生きているとして挙げられている証拠を読んでいると、ひょっとしたら、と思えてきてしまう。

カヌーマンの息子たちと同じように、親が偽装死亡したことを知らずに過ごし、後に知るにいたった子どもがいる。カヌーマンの妻と同じように、偽装死亡の共犯者になるようにと命じられた子どもがいる。その人たちは、大きな心の傷を負うことになった。ここまでネガティブな取材内容を手にしたにもかかわらず、グリーンウッドはひるまない。いよいよ最後の章では、フィリピンで自分の死亡証明書を手に入れることに成功する。

結論から言えば、偽装死亡はきわめて困難であるし、やるべきではない。なんといっても犯罪、それも多重犯罪になる可能性が高いのだから当然だ。もし、あなたが、死亡を偽装してまで人生をやりなおしたいと真剣に考えているのなら、絶対にこの本を読むべきだ。そんなことをするくらいなら、まっとうな生き方を続ける方がはるかにたやすいということがわかるだろう。そんなことは考えないという大多数の人にとっては、数多くの驚くべきエピソードを読みつつ、はたして生きていくとはどういうことなのかについて、不思議な角度から考え直すことができる一冊になっている。

完全履歴消去マニュアル
作者:フランク・M・アハーン 翻訳:寺西 のぶ子
出版社:河出書房新社
発売日:2013-11-06
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ネット時代に自分の情報を消し去ることがどれだけ困難か。個人情報に興味がある人、ぜひ。
 

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち
作者:J.D.ヴァンス 翻訳:関根 光宏
出版社:光文社
発売日:2017-03-15
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ラストベルトに生まれるとはどういうことなのか、そして、そこからの脱出がいかに困難か。現代のアメリカを知るために必読の一冊。HONZでも内藤順村上浩が読み応えのあるレビューをしています。

エルヴィスは生きている?
作者:ゲイル ブリューワ・ジョルジオ 翻訳:小野 正恵
出版社:チャクラブックス
発売日:1989-03
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「ビリーバー」といえばこの本。全米で百万部以上売れたというのだから、半端じゃない。 

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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
作者:
出版社:中央公論新社
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