『性表現規制の文化史』えっちがいけないことなのは何故か

小松 聰子2017年09月13日 印刷向け表示
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性表現規制の文化史
作者:白田 秀彰
出版社:亜紀書房
発売日:2017-07-20
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本書、表紙が素敵なのだ。 

裸の成人女性からうまい具合に乳首を隠したイラスト、線画の描写ゆえ生々しさはなく90年代に流行ったオシャレ系マンガの表紙のようである。

とは言えハダカはハダカ、サラリーマンばかりの通勤電車で読むのは平気だった私もさすがに目の前に小学生男子が立っている中では本書の続きを読むのをためらった。

こんな風に感じるのは何も私だけではないだろう。そもそもたとえ乳首が隠されていたとしても裸の成人女性が描かれた表紙を人前で出すこと自体やりたくないという人も多いはずだ。(うん、本屋さんでカバーかけて貰えるのってとっても大事かも)。

この「通勤電車ならいいや」と「でも小学生男子には刺激が…」の線引きをしている私の気持ちは一体どこから生じているのだろうか。

えっちなのは、いけません! 我々(少なくとも私は)はそう刷り込まれている。だから、公共の場でえっちなイラストの表紙の本を出すのがためらわれるのだ。そして子供たちの前ではさらにその気持ちが強化されるのである。

本書は法規制の「文化史」として、そのえっちなのはいけません! という気持ちがどこから来たもので、その気持ちと社会規範の関係、そして法律がどのように作られていったのかが欧米を中心に紐解かれている。ただの法律の歴史本ではないのだ。むしろえっちがいけないとはどういうことなのか、という謎解きをしていくことに主眼があるといっても良い。

本書の導入部はそもそもえっちな事というのは何を指すのか、何をもっていけない事としているのかの線引きだ。入口の部分でいきなりパンチを食らってしまう。そもそも、現代社会に生きる我々が考えているえっちなことは、昔からえっちなことだったわけではないのだという。

例として挙げられているのが猥褻という言葉の意味だ。今や「えっちなこと」もいう意味だと信じて疑わない猥褻という単語は、元々は「庶民のだらしない様子」を指す言葉だったのだ。時代が時代ならば、だらしない庶民の私は生きて歩く猥褻物だったということではないか!! なんかすごくショック。

どういうことなのか。貴族階級が彼らの様式に則って執り行われるそれは猥褻ではない。何故ならば彼らは庶民ではないし、だらしなくも無いからだ。少し乱暴にまとめると、性的行為やその表現自体が猥褻なのではなく、社会の上位に位置する人々の「ルール」から外れるものが下品であり猥褻=えっちなものだったのだ。

また、宗教の観点で考えると、えっちであることがけしからんと考えられたのは、えっちそのものがダメだったのではなく「神への冒涜」にあたるからという理由なのだという。(ここで言う神はキリスト教における神である)。神への忠誠を第一優先にする教義を持つ宗教では、えっちな事が頭の中の多くを占めてしまうと神様に気が向かなくなってしまうからズイのだ。

神はやがて理性へと取って代わられる。英国で猥褻な書物の出版を「世俗の秩序」に反することを根拠に有罪とした1727年のカール事件が転換点となる。宗教道徳的にけしからんとされたものが市民道徳としてけしからんものに変わっていくのだ。つまり、神様の事を考えずとも市民は日々の生活の中で「えっちなのはいけません」と自然と思うようになったということだ。

そして、えっちなのはいけません、という発想が世に根付いた次は法律という形を持つようになる。宗教の教義からもたらされた性への否定感覚が源流と成り、既に人々の内面に深く浸透したその感覚は性「表現」を規制することに疑問を抱かせなかった。

時代は下り、社会の厳しい性規範は人々の実際の性行動と乖離していく。善良なる市民たちが思ってたよりえっちだったという事を明らかにしてしまった論文がある。第二次世界大戦後に出されたアメリカのアルフレッド・キンゼイによる『男性における性行動』と『女性における性行動』だ。

このレポートが衝撃的だったのは、表向きに通用している厳しい性の規範とうらはらに、個々人に於いては反社会的とされていた不倫や同性愛なども多いに存在していたというところである。『男性における…』は学術書にも関わらず25万部も売れたのだという。(レポート自体は調査方法などに問題があると後年指摘されている)。そうだよね、規範とか法律とかでガードされちゃうと人には打ち明けられないもんね、なんだか全米が思春期な感じがして胸がいっぱいになる。

面白いことに、その後性表現規制が緩くなり続けたというわけでもない。1960年代には性表現への規制強化の意見がアメリカ連邦議会で多数を占めるようになっていった。そこで性表現が社会に与える影響を検討する委員会が設置される。この委員会は「中立」であったところがミソである。なんと、委員会のレポートによると性表現の規制が反社会的行動の減少に繋がるという因果関係は見いだせなかったのだ。規制派、ガックリ。

しかしこのレポートは青少年保護の規制の論拠となっていく。大人は性表現を規制しようがしまいが変わらないというのはわかったが、逆に言うと青少年は主体的に判断ができない存在なのだから悪影響を受けるかもしれない、だから青少年は保護すべき存在なのだ、という主張だ。著者は現代の「性表現から青少年を保護すべきだ」と考える流れはここから来ているのだと指摘する。

 

本書では、

(私は理性的な判断能力を備えていて、少々えっちであっても問題ないけれども、そうでない他の人たちが)えっちなのは(彼らが堕落頽廃してしまうことになるので)いけないと思います!

という理論が特権階級男性 → 一般男性 → 女性 → そして児童へと展開されていったという仮説を提示している。えっちであることがいけなくないのは自立した人間のみで、自立していない人間にとってえっちであることはいけないことだし、同時にえっちなものにさらされないように保護されるべきであるということだ。これは政治参加能力展開の歴史と重なる。つまり、性的な事象は政治の代理戦争として使われる側面があるということだ。

えっちなのはいけません! と言う盤石そうな考えが実はふにゃふにゃなトウフなのだと言う事実は認識すべきだ。えっちとは何か、えっちがいけないことなのは何故か、そしてどのように規制され取り締まられるべきと考えるのか…それは社会とともに変わるものでもある。

えっちなのはいけないことだ、法律で規制されて当然だと無意識に考えている人にこそ読んでほしい一冊である。

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塩こーじ2017.9.14 09:17

かつて大人たちが若者の男女交際にうるさかったのを思い出しました。あれはきっと「子どもができたら困るから」という現実的な理由が大きかったのでしょう。

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