『幻の惑星ヴァルカン』 それはいかにして「発見」され、いかにして葬り去られたのか

澤畑 塁2017年11月10日 印刷向け表示
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幻の惑星ヴァルカン アインシュタインはいかにして惑星を破壊したのか
作者:トマス・レヴェンソン 翻訳:小林由香利
出版社:亜紀書房
発売日:2017-11-09
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水・金・地・火・木・土・天・海・冥。かつてそう教えられた太陽系惑星のなかから、2006年に冥王星が除外されたことは記憶に新しい。だがじつは、19世紀後半にはそれら惑星候補のなかにもうひとつ別の名前が挙げられていた。本書の主役は、その幻の惑星たる「ヴァルカン」である。

ヴァルカンはその生い立ちからして冥王星とは異なっている。というのも、そもそもそんな星は存在すらしていなかったからだ。では、存在しないものがいかにして「発見」され、そして最終的に葬り去られることになったのか。本書は、その誕生前夜から臨終までを、関係する天文学者や物理学者にスポットを当てながら、ドラマ仕立てに描いていく。

ストーリーは、17世紀後半、ニュートン力学の登場から始まる。周知のように、その偉大なる体系は、惑星の運動を含む広範な現象の統一的説明を可能にした。いや、説明だけではない。驚くべきことに、その体系は未知の現象に対する予測をも可能にしたのである。

ニュートン力学のその力が最も鮮やかに示されたのは、その理論的考察から海王星の発見が導かれたときだろう。19世紀半ば、天体力学はひとつの問題に直面していた。そのおよそ60年前に天王星が発見されていたが、理論から予測されるその軌道と、実際に観測されたその軌道との間に、ずれが生じていたのである。さて、どうしたものだろうか。

その問題に劇的な解決を与えたのが、フランスの数学者・天文学者のユルバン・ルヴェリエである。理論と観察の不一致を説明するにはいくつか選択肢がある。「理論が間違っている」と考えるのがひとつ。そして、「未知の何かが存在し、それが影響を及ぼしている」と考えるのもひとつ。ルヴェリエが採ったのは後者の選択肢であった。すなわち、天王星の軌道に影響を与えている未知の惑星があるはずだ、と。

ルヴェリエは数学的分析を行いながら、未知なる惑星の位置を絞り込んでいく。そして1846年8月31日、彼は天文学者たちに対して次のような趣旨の呼びかけを行う。「天王星の軌道から距離にして約36au(天文単位)、山羊座δ星の東およそ5度に位置する惑星を探せ」。それから3週間後の9月23日、なんということだろう、ルヴェリエが指示したまさにその位置に、未確認の天体が本当に見つかる。海王星の発見である。

海王星の発見はヴァルカンの「発見」に関しても重要な意味を持っている。というのも、その一件によって、ニュートン力学の確かさと、ルヴェリエの卓越した能力に対して、人々のいっそう揺るぎない信頼が築かれただろうからだ。そうした背景のもと、ルヴェリエはまた新たな謎の挑戦にとりかかっていく。

今度の謎は、水星の近日点移動にまつわるものである。楕円軌道を描く天体が太陽に最も近づく点を「近日点」と呼ぶ。そして近日点は、ほかの天体の重力作用がある場合、少しずつ移動する(下図参照)。だが水星の場合、その近日点移動に関して、理論から計算される値と実際に観測される値との間にずれがあったのである。さて、どうしたものだろうか。

誇張して描いた水星の軌道。何十年も繰り返される近日点移動は太陽の周囲に花びらの模様を描く。(本書89頁より)

またもやいくつかの選択肢があった。ただ今回も、ルヴェリエはその解決策を未知の存在に求める。すなわち、水星のさらに内側に未知の小惑星か何かがあって、それの重力が水星の近日点移動に影響をもたらしていると主張したのである。そしてここから、歴史は奇妙な展開を見せ始める。ひとりのアマチュア天文家が現われ、ルヴェリエのいう条件にかなう惑星をすでに目撃していた(!)と報告したのだ。

それを捕まえろ──ルヴェリエの強い影響力のもと、盛んな捜索活動が繰り広げられる。お尋ね者は、太陽のほど近くにあり、その表面が高温で、観測するのも非常にむずかしいとされる新惑星だ。そう、のちに「ヴァルカン」と呼ばれるものである。

もう一度断っておくと、そんな惑星はそもそも存在しない。だから、天文学者の間で「ヴァルカンが見つからない」という声が相次いだのは至極当然である。だがその一方で、ときとしてヴァルカンは「発見」されてしまう。アマチュアの天文家の間で、ひいては熟達した天文学者の間で、それを見つけたという声が繰り返し上がってくるのである。

存在しないものがどうして「発見」されてしまうのか。その要因を漏れなく語り尽くすことはあまりにむずかしいだろう。ただ、著者が本書で言及している要因は、たしかにきわめて重要であるように思われる。すなわち、ニュートン力学とルヴェリエの洞察力に対する人々の揺るぎない信頼。そして、われこそが新惑星の発見者たらんとする功名心、である。かりにそれらがなかったとしたら、存在しないものが「発見」されることもなかったのではあるまいか。著者は簡潔にこう記している。

再三の「発見」は、ありのままではなくあるべきものを見ることがいかにたやすいかという実例にほかならなかった。

というのが、ヴァルカン「発見」に至るまでの経緯である。本書はそれに続いて、ヴァルカンがアインシュタインによって完全に葬り去られるまでの経緯をたどっている。そちらの経緯も「発見」の経緯に劣らずドラマチックに書かれているので、ぜひ本書自身に当たって、そのストーリーを堪能してほしいと思う。

本書を読んでいると、何より著者のライターとしての巧者ぶりに驚かされる。本筋とは直接関係しない小話をも織り交ぜながら、読者を最後まで退屈させないその展開。ヴァルカンという一事例をとおして、「科学理論はいかにして維持(ないし置換)されるのか」という科学哲学の王道テーマに肉迫するその構成。学術的でありながら、エンターテインメント性も備えたこうしたストーリーを書けるのは、世界にそう何人もいるわけではないだろう。著者がMITのサイエンス・ライティング教授という立場にあるのも、なるほど頷ける話だ。

装丁や判型(サイズ)もチャーミングな本書。いろいろな意味で読者の心をくすぐってくれる1冊である。グッジョブ!

※図版提供:亜紀書房

ニュートンと贋金づくり―天才科学者が追った世紀の大犯罪
作者:トマス・レヴェンソン 翻訳:寺西 のぶ子
出版社:白揚社
発売日:2012-11-30
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著者の前著。こちらも著者のライターとしての巧者ぶりが光る。ニュートンと狡知な悪党との頭脳戦を楽しみたい。

改訂新版 科学論の展開
作者:A.F.チャルマーズ 翻訳:高田 紀代志
出版社:恒星社厚生閣
発売日:2013-04-04
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上で述べた科学哲学の王道テーマを、おもに天文学と物理学の例を用いながら解説した入門書。とてもわかりやすい。

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