『カレーライスを一から作る』米も、野菜も、肉も、食器も!

麻木 久仁子2018年01月24日 印刷向け表示
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カレーライスを一から作る。そう聞けば「ふむふむ、市販のルーを使わずに、スパイスをアレンジするのかな」と、まずは思うのが普通のリアクション。で、隠し味とか一手間とか、なにか工夫やアイディアがあって、と。実際「カレーライスをつくる」「カレーライスを語る」という本は数多ある。なにしろ国民食。美味しく作るために、どれほど多くの人々が、どれほど多くの情熱を傾けてきたことか。

しかしこの本はそうではないのだ。表紙に小さく書いてある「関野吉晴ゼミ」の文字に気づけば、ただのカレーライス本ではないことがわかるだろう。

関野吉晴さんといえば、人類の足跡をたどる旅・グレートジャーニー! 1995年から2002年までフジテレビで不定期放送されていた紀行ドキュメンタリーで、世界中を飛び回っていた探検家である。植村直己冒険賞受賞、人類学者であると同時に外科医でもある。この日本が誇る探検家がカレーライスをどうしたって?

じつは関野さん、現在、武蔵野美術大学で教鞭をとっておられるのだ。文化人類学・人類史を教えている。この本は、関野教授が学生たちとともに、9ヶ月かかってカレーライスを一から作るというゼミの記録である。なにしろ関野教授なので、市販のルーがどうのこうのというような「一から」ではない。徹底的に一から。つまり、ライス=米を育てる。人参だのジャガイモだのスパイスだのも植えて育てる。塩も海水から作ります。

「君は何カレーが食べたいの?」ビーフ or チキン?である。もしビーフと言ってしまったら、牛をどこかで産んでもらって、それを育てなければならないところだったが、学生たちが選んだ「肉」はなんとダチョウ!もちろん産まれたての雛から育てる。

カレーライスはどうやって食べますか?普通は皿に盛り、スプーンで食べます。ならば皿もスプーンも一から作ります。

私たちは日々、何かしらを食べている。しかし、そこそこ自炊をしているつもりでも、実際に自分が手をかけている部分は、実は最後の最後のほんのちょっとのことなのだ。たった一皿のカレーライスが私たちの胃の腑に収まるまで、あらゆる食材がどこでどんな道のりを経てくるか、考えたこともない。それをやってみようというのだ。目標は9ヶ月後。うまいカレーライスを食う!

さてさて、学生たちの奮闘が始まる。

人参担当の学生の悩み。化学肥料は使わないで土の力のみで育てるのがルールなのだが、なかなかうまくいかない。プロの農家に教えを乞えばうまく肥料を使って立派な収穫を得られることをまざまざと見せられ、自分が何を求めているのか迷い始めてしまい…

米作りも無農薬で、すべて手作業で行う。除草剤も使わない。と簡単にいうが、これがとんでも無く大変なのだ。およそテニスコートくらいの田んぼに、一本一本苗を植え、雑草をこれまた一本一本抜く。ヒエは稲とよく似ていて、うっかりすると引き抜いてしまう。だから神経張り詰めっぱなし。腰も痛いよ。

皿は「土器」である。土をこねて、野焼きで焼く。もっとも原始的な方法である。がキャンパス内で野焼き、などといったら許可が下りないのではないかと危惧した関野教授は「焚き火」で届け出たものの炎は思いの外立ち登り、警備員が駆けつけて、さあどうなる!土器土器!

しかし、もっとも精神的ハードルが高いのはやはりタンパク源の確保である。命を育て、それを屠る。命は簡単には育たない。命とはこんなにも脆いものなのか。素人集団はダチョウを育てきれず、雛は次々死んでいく。なんとか大きくしなくてはと一生懸命になれば、それゆえに情が湧いてしまい食べることへの迷いが出る。鳥の雛ときたら、よちよち歩いてかわいいし、肩に乗ってきたりするのである。「大事に育てる」ってどういうことなのか。ペットと家畜はほんとに違うの?

はじめは150人ほども詰めかけた人気ゼミだが、やがてどんどん人が減ってくる。正直なものである。まあ無理もない。読んでいても「確かにちょっとそこまでできないよ」と言いたくもなる。が同時に、それはとりもなおさず、どこかで誰かが私たちの「できないよ」を変わって担っているからなのだと気づかざるをえない。

関野教授は「一から作る」という。実はこの何気ない一言が大切なのだ。

一から作るカレーライス。じつは、この「一から」という言葉には、関野さんの自然を敬う気持ちがひそんでいる。どういうことかというと、私たちは自然のものを「ゼロから」作ることはできない。種から植物を育てることはできる。生まれた動物を大きく育てることもできる。でも、何もない「ゼロ」から、種や命を生みだすことはできない。だから、始まりは「ゼロ」ではなく「一」なのだ。自然が生み出す大事な「一」

ああ、「一から作る」という段階で、もう恩恵を受けているのか。そうだったのか。それは十分な恩恵である。最後まで残った学生たちは、一皿のカレーライスを目指していよいよ奮闘していく。

そして、育てた命を食べる時、最大の葛藤が訪れる。学生たちの議論は、自分もその中にいるような気持ちで読んだ。

「殺す」という言葉はショッキングに聞こえるが、関野さんによると、「自然に死んだ動物の死がいを食べる民族は、世界中どこにもいない」そうだ

命を貰い受けることから逃れた民族はいないらしい。そこから目を逸らす民族はいるかもしれないが。

さて、紆余曲折あって、最後にどんなカレーライスが出来上がったか。きっちり調理し、しっかり食べるまでがミッションだが、最後の最後まで一筋縄でいかない。さて、その味は、本書を読んで想像してほしい。一生に一度の一皿だったことはまちがいない。

本書には学生たちの迷いや戸惑いや決意が、ありのままに書かれている。一緒に参加しているような気持ちで読んだ。そして、料理を作る時、いままでよりはちょっと、食材を丁寧に触るようになった。科学は発展し、社会システムは複雑化し、あらゆるものが便利になって、何がどうしてこの世がまわっているか、もはやすべてがブラックボックスの中である。が、心の片隅にでも「ゼロではない、一」を感じておきたい。そう思わされるのだった。

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