『全世界史』上下 文庫解説 by 東えりか

東 えりか2018年06月28日 印刷向け表示
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全世界史 上巻 (新潮文庫 て 11-2)
作者:出口 治明
出版社:新潮社
発売日:2018-06-28
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 私が出口治明さんと出会ったのは2013年6月のことだ。HONZの代表、成毛眞が客員レビュアとして招聘し、快く引き受けてくださったときのことである。出口さんを成毛はこう紹介した。

ライフネット生命保険の出口治明社長は還暦ベンチャー経営者として有名ですが、週に5−6冊は読んでいるという無類の読書家にして、驚くべき知識人です。ビジネス書100冊は古典1冊にかなわないと断言されていながらも、新刊書も大量にお読みになっておられます。(中略)偉ぶらず知識をひけらかさずいつも柔和で素敵な方です。

この直後の6月23日、出口さんは社長を退き会長に就任された。

まずはHONZについて簡単に説明させてほしい。HONZはインターネット上で展開している書評サイトである。(http://honz.jp)

他の書評サイトと大きく違うのは過去三カ月以内に発売されたノンフィクション作品に限り紹介するということだ。メンバーは25人前後で下は大学生から上は60代まで、男女比もほぼ半々。面白いノンフィクション本を紹介したいという熱意だけで集まっている。

代表の成毛眞は元日本マイクロソフト社の社長で実業家であり、稀代の読書家としても知られている。2011年7月に開設された。

私はHONZの副代表で書評家である。ほとんどのメンバーは別の仕事をしながら月に1本か2本のレビューをサイトにアップする。

客員と言いつつ、出口さんは誰よりも多くの本を紹介している。当時、多忙な会長(CEO)でありながらどれだけ本を読んでいるのだろうとメンバーで噂していた。

月に一回開かれていた「朝会」というミーティングにも何度も参加してくださり、いま興味を持っている本はどんなものかを力説してくださった。出口さんとの会話は刺激的で楽しく、皆お会いするのを楽しみにしていた。

HONZのメンバーのひとり、タレントの麻木久仁子はこんな思い出を話してくれた

朝会終了後、駅まで歩きながら若者を育てていく事の大切さと方法をお尋ねしたところ「それは信頼して任せる事です。任されれば若者は勝手に成長します」とおっしゃいました。「でも成長するかわからないのに任せられますか?」ときくと「もちろん!」と。その直後に若い人に社長の座を譲ってしまったので、こんな人は見た事がない! と思いました。


同じくメンバーの大阪大学大学院医学部教授仲野徹は当時のことを思い出してこう語る。

はじめてHONZの朝会に来られた時、麻木久仁子さんが飲み物を渡したのですが、そのお金をどうしても払うとおっしゃって。それが自然で押しつけがましくなく印象がむちゃくちゃよかったです。隣にいるだけで心が洗われるような気がします。生まれて初めて、心から尊敬できる人に会いました。
図書館で本を借りられるのが多いということもびっくりでした。知り合って少し経つとあちこちに多くの若い別嬪の知り合いがたくさんいることにも驚きました。飲み会でも泰然自若とされていて、けっこう飲まれますけど、乱れませんよね。


出会ってから5年間で出口治明さんは数々の本を世に送り出しベストセラーとなり、多くの人にその名が知られるようになった。少し気恥ずかしかった「教養を身に着けることの大切さ」を広く説き、意識を変換させたことは大きな功績だと思う。日本という島国で、ともすれば国内のことにしか目がいかない人たちに、歴史を通じて広く世界に目を向けることの大切さ、歴史から得た知識が現代にも役に立つこと、そして知識を獲得することの楽しさを自らの体験を踏まえて教えてくれたのだ。

本書『全世界史』は人類発生から近現代までを1000年毎に区切って解説した傑作である。なぜ「人類5000年史」なのか。それは二十万年に及ぶ人類の歴史の中で、文字資料が残っているのが5500―5000年前からだからだという。人間が生きて考えた証拠である文字を基本に歴史を組み立てていく。出口さんが読んだ一万冊以上の本から事実と思われることを組み合わせ、5000年を一筆書きのように語っていく。学生時代に習ったようなヨーロッパ史やアメリカ史みたいな縦割りでなく、その時代、世界はどう動いていたのか、気候は、経済は、文化は、どう連動していたかに注目する。

人類がなぜ戦争を起こすようになったか、なぜ宗教が必要となったのか、なぜ国という概念ができたのか。さまざまな文献に記された事実を組み合わせ、大きな事件や戦争が鮮やかに解読される。歴史というより人類の大きな物語を読むようだ。

発売当初から「歴史は苦手だ」と尻込みしていた人でも面白さに嵌ったという声が続出した。本書は出口治明人気を不動のものにしたと言っても過言ではないだろう。

この960ページにも及ぶ本をどう執筆したのか。単行本の担当編集者はこう話してくれた。

5000年の歴史というテーマは出口さんの走り書きのような原稿がもとになり、編集者とライターが出口さんのレクチャーを十数回聞きとる形で作られました。出口さんの記憶力は抜群で、前回の続きを完璧に把握し着席するや否や話は再開されてICレコーダーのスイッチを入れる間もないほどでした。
膨大な量の原稿は入稿する前に相当な直しが入りました。プロの仕事はプロに任せることに徹底していて、装幀や造本などは出口さんから指示はほとんどありません。

何より大変だったのは、本書の校閲者だったのではないだろうか。出口さんの信頼するフリーの校閲者、矢彦孝彦さんは作業の様子を教えて下さった。

出口さんは世界史をある事件のその一点だけで見るのではなく、世界の動きの中で捉えます。つまり歴史を縦割りで考えず横の広がりの中で解説します。その解説は興味深いのですが惹かれ過ぎて校正が疎かになって困りました。「私の中には『日本史』という言葉、概念はない」とおっしゃいます。新刊を含め、膨大な本や研究書を読み込んでいて、常に追加すべき説明や新たな解説がアップデートされていきます。ですからゲラ刷りには余白いっぱい、裏にまでびっしり加筆で埋まっており、面白くて仕方ないけど、山のような訂正に頭を抱えることも屡々、いや、しょっちゅうでした。

2018年1月、出口さんは立命館アジア太平洋大学(APU)の学長に就任された。会社の経営者から教育者へと転身されたのだ。その先生としての手腕が試される本が出版された。NHKの名物番組100分de名著の別冊『読書の学校 出口治明特別授業 西遊記』(NHK出版)、これは中学生を対象にした講義録である。その様子を担当編集者が教えてくれた。

中学生が相手ですから相手のレベルに応じて理解を促す巧みさに驚かされました。
「西遊記はよしもとのお笑いだと思えばいいんですよ」「妖怪はポケモンなんですよ」と語り、緊張していた中学生たちの気持ちをわしづかみにされていました。ですから授業の後、中学生たちから質問攻めにあいました。その質問も「漢詩」「メソポタミア神話」などレベルが高いのです。メソポタミア神話の質問をした子には「月本昭男先生の本を読むといいですよ」とレクチャーされていました。中学生たちは知的な話をすることに対する遠慮をしなくていい、という発見をしたようです。進路への質問も多かったのですが、出口さんは「勉強しろ」とはひとことも言わずに「選択肢を増やすと人生は愉しいですよ」と読書を促していました。


出口さんの好奇心は歴史だけでなく人にも向かう。そして出会った人は一様にファンになってしまう。

読売新聞の書評委員を一緒に務めた作家の宮部みゆきさんも大ファンだという。

出口さんは誰より早く委員会にいらしていて、「これ面白そうな気がします」「このあたりは宮部さんのフィールドですよね」って本をキープしてくださいました。「出口チョイス」で私が目覚めたのが写真集と図鑑です。
中国出張のお土産にくださった簡体字の「山海経」は、本文は読めないけど漢字の見当はつくので、それを表したイラストがすごく面白かった。委員会でお会いするたびに私の作品の感想を聞かせていただけたのも嬉しかったです。

同じく書評委員だった東京大学大学院総合文化研究科教授の岡ノ谷一夫先生は出口さんの興味深いエピソードを教えてくれた。

出口さんはでかい図鑑が好きです。どんな図鑑でも、図鑑は書評候補として持ち帰っていました。図鑑好き=博覧強記って成り立ちそうな気がします。

出口さんと個人的に親交の深い厚生労働省大臣官房人事課長補佐(併)厚生労働省大臣官房総務課 情報公開文書室室長補佐の入部寛さんの知る出口さんはとてもキュートだ。

ご自分のツイートが炎上したとき、相手のアカウントとDMで個別に徹底的にやり合うような人です。時間を効率的に使うためテレビは観ないそうですが、羽生結弦さんのことを「はぶ」と講演会で呼んで、秘書さんから注意されたようですよ。

元「考える人」編集長で現在はほぼ日学校長の河野通和さんの印象はこうだ。

出口さんが、私もお世話になった京都大学教授の故高坂正堯さんの教え子だと聞いて、いろいろなお話をしました。ロンドン駐在時代に美術館通い、シェイクスピアの芝居を観るのに定期的かつ尋常ならざる時間を費やしたと伺ったこと。歴史をブッキッシュな知識として学ぶだけではなく、その当時の時代精神を宿した芸術作品に触れることで歴史のリアリティーを体感したことが出口さんの歴史に対するベースに表れていると思います。

ここまで聞くと、どんな社長だったのか興味がわく。ライフネット生命で部下だった社員の有志の方からこんな話を伺った。

厳しかったのは、曖昧さは許さないことでした。数字の見積が甘ければ、リーダーは細部まで気を利かせ漏れや抜けが無いかしっかり確認しなければならないとよく指摘を受けていました。「ベンチャー企業の経営者なので、誰よりも働くのは当然」と会社にいる間ずっと実行されていました。
新しいマーケティング企画には基本、若手社員の言うことに全て従ってくれました。ですからスタッフはとても仕事がしやすく、迅速に自由な発想で企画立案実行することができました。その反面、企画の成果への目は厳しく、感情に訴えるエピソードは一切評価されません。すべて数字やファクトを通してのみ仕事を判断されます。それが悪いと同じ企画は2度と通りません。

事実、相当頑固な面もあったらしく秘書の方はてこずったらしい。

断固風邪をひいた事実を認めず「風邪ではないから大丈夫」といつも通りのハードなスケジュールを一切キャンセルせずこなしていました。

ビジネスマンから教育者へ、広い視野を持った出口さんの活躍の場はさらに増えていくだろう。私もお会いして話をするたびに蒙を啓かれ知識を得る楽しさを体感させてもらっている。

本書によって初めて出口治明という人を知った人は幸いだ。彼を通じて歴史を知る醍醐味、本を読む喜び、そして知識を得る快感をさらに増やしてほしいと思う。

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下巻も是非。 

全世界史 下巻 (新潮文庫 て 11-3)
作者:出口 治明
出版社:新潮社
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