『ビジョナリーであるということ』 「ドクターV」の伝説

高村 和久2012年12月09日 印刷向け表示
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ビジョナリーであるということ

ビジョナリーであるということ

  • 作者: パヴィスラ・K・メータ, スキトラ・シェノイ, 矢羽野 薫
  • 出版社: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2012/11/9

「ドクターV」ことゴヴィンダッパ・ヴェンカタスワミー博士が「アラヴィンド眼科医院」を開いたのは58歳の時だった。

インド南部のマドゥライ大学を定年退職したドクターは、自宅を抵当に入れ、父の代わりに世話をしてきた5人のきょうだいを集めた。彼らも、11床の小さな病院のために貯金をはたいた。それでも足りなくなると、代々受け継いできた宝石を質に入れた。目的は、治せる病気で失明する人を減らすことだ。平日は病院で手術し、週末には地方で「アイ・キャンプ」を開催した。手術代が払えなければ、払わなくて良い。病院までの交通費も、入院費も、手術後の薬代も、経過観察のための往診費も、病院持ちだ。眼科はマイナーで利益が少ない。確固たるビジネスプランは無かった。原価計算など、ビジネスに関する知識も持っていなかった。

ハーバード・ビジネススクールの授業で使用されるケース教材の寿命は、一般的には3年か4年だという。そのような中、アラヴィンド眼科医院を取り上げたケース「In Service For Sight」は、1993年の登場以来15万部以上を配布し、20年近くの間、根強い人気を誇っている。

「経営の神様」ピーター・ドラッカーや、ビル・クリントン元大統領、グーグルのラリー・ペイジに注目され、ビル&メリンダ・ゲイツ財団のグローバル・ヘルス賞を受賞し、2010年には、CEOがタイム誌の「世界で最も影響力がある100人」に選ばれた。マーケティングの大家フィリップ・コトラーは、ドクターVを、ヴァージン・グループのリチャード・ブランソンやボディ・ショップのアニタ・ロディックと並ぶ、数少ない明確なビジョンの持ち主だと言う。著名なデザイン会社IDEOのCEOティム・ブラウンは、アラヴィンドを訪れ、「デザインを通じて何を達成できるかという見本」だと言った。

WHOの推計によれば、世界には3900万人の失明者がおり、その80%が治療できたかもしれない「無用の失明」だ。特にインドでは、原因の60%が簡単な手術で治る白内障である。インドの医療サービスの80%は都市に集中しているが、全人口の70%は地方に在住している。ドクターVは、治療を必要としていながらサービス提供の仕組みに入っていない人(ノン・カスタマー)に焦点を合わせて活動した。開設から34年経った2010年、アラヴィンドは年間250万人を診療し、30万件の手術を行うところまで成長している。これはイギリスの国民健康サービス(50万件)の過半に相当するが、必要経費は1%以下である。

アラヴィンドを支えるのは、生産性の高さだ。医師が1人の処置に要する時間は1~3分。1年間に2000件以上の手術を行う。インドの平均は400件だ。この生産性を支えているのが周りのスタッフの手厚いサポートで、手術のプロセスの70%以上は看護師が行っている。治療品質も高い。高品質の治療は費用対効果が高く、副作用が最小限に抑えられ再診が減ると同時に、患者の満足度を向上させて信頼を築くことができるのだ。患者は、無料か相応の治療費を支払うかを選択できるが、どちらを選択しても同じ医師が担当し、使用される設備も変わらない。『ネクスト・マーケット』の著者であるミシガン大学のプラハラード教授が行った調査では、アラヴィンドはイギリスの王立眼科カレッジより副作用の発生率が少なかった。

多くの患者を診ることにより「規模の経済」が働いて低コストになり、また、経験効果によって品質が上がっていく。これは、ドクターVが度々参考にしていたマクドナルドの在り方でもある。生涯を通じて100冊近い日誌を残しているドクターは、その中で、「?」がない疑問文を多用する。まるで、問題意識が与えられたものは、いつか解決するというように。

マクドナルドのような病院をどのように組織して増やしていくか。

ブッダはあの時代にいかにして、多くの人が信じる宗教を組織できたのか。

ドクターVは、あらゆるところにヒントを見出した。ホテルでは研修とベッドメイクのやり方について質問し、飛行場では荷物を運ぶ台車の動きが手術に使えると言った。それを支えたのは、無私の精神だ。アラヴィンドという名前は、インドの思想家オーロビンドから採られた。ドクターVは、オーロヴィンドが書いた長編『サーヴィトリ』を毎日繰り返し読み、その活動には、魂、静寂、自己の放棄を目指すインテグラル・ヨーガの枠組みが通低している。戦略的に言えば、まずはとにかく仕事を始め、消費者の総合的な価値判断が財源を生むのに任せるということになる、と本書はいう。

やるべきことをしなさい。お金は後からついてきます。

アイデアも、お金も、人も、向こうから来る。

この思想は、前代未聞の「医者によるレンズ工場建設」にも結びついた。猛烈に反発したのは官僚だ。これを突破する際は、アラヴィンドが経済的に自立していたことが有利に働いた。製造技術、専門的な訓練、設備投資等、あらゆる面で障害があるように思われたが、アラヴィンドは10年をかけて提携先を見つけ、1992年、遂にレンズ工場「オーロラブ」を稼働させる。アラヴィンドにレンズを紹介したリトウィン医師は言う。

何か革新的なことをしようとするときは、とにかくやれば道が開けるものです。自分の手に負える最小限の規模でやって、『こんなふうにうまくいく』と示せばいい。そうしない限り、仮定の結果について理論家が延々と議論するだけです。

アラヴィンドは、教育、訓練、コンサルティングも行っている。ライオンズ・アラヴィンド地域眼科医療研究所は、アラヴィンドの「複製」を世界に広げていくため、たとえ競争相手であってもコンサルティングを行い、現在までに、アフリカやネパールなど、世界の69カ国、6000人以上の訓練を受け入れている。

知性と能力だけでは十分ではない。

そこに、何かうつくしいことをやろうという喜びがなければ。

ハーバードのランガン教授がケースを教授会に提出した時、長いケースは人気がないとされ、「精神性の部分5ページを全部削れ」と却下された。しかし、出来なかった。ドクターVが、毎晩彼の部屋にきて切々と語ったことが、その「精神性の部分」だったからだ。財政状態や、手術の数などのビジネス的な観点については、「それは甥のスルジに訊いてくれ」と言われた。

74歳の男性が夜遅くまで、くりかえし話して聞かせてくれたんです。私も彼の考え方を理解しきれないかったかもしれないが、敬意を表したかった。

若いころにリウマチで指が曲がってしまい、意図せず眼科に転じたその医師は、人と会うとき、その人の魂を見ると言う。

その人の魂は無知や卑しさ、利己心、欲、嫉妬、憎しみで曇っているかもしれないが、私はその人の中に愛を見る。

筆者は、サン=テグジュペリを引用する。

船を造りたいなら、人を集めて木材をそろえさせたり、仕事を割り当てる必要はない。彼らに果てしない海への憧れを教えればいい。

Wifiで遠隔システムを作り始めた時には、近隣の農家が、自分の庭に塔を建てろと言いに来た。80歳を超えたボランティアのサンバリカムは、生きている限り、もっとたくさんの患者を連れてくると言った。看護師のジーヴァは、訓練生も私たちと同じように仕事を楽しんでほしいと言った。

インディペンデント紙の記者がドクターVを問い詰めた時、彼は最大級に陽気だった。

どうやってこれだけのことを成し遂げたのですか?
これまでたくさんの人がエベレストに登って来たのだから。

でも、ほかの病院ならもっと仕事は楽なのに、スタッフがここにとどまって一生懸命に働きつづける動機は何でしょうか?
人が山に登る動機は?

エベレストに登るのは簡単ではないが、それでも登る。そうだろう?

2006年に亡くなった後も、ドクターのビジョンは受け継がれている。それは、本書を読めばよくわかる。

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