グラスのなかには驚きの世界。『たたかうソムリエ』

深津 晋一郎2013年03月06日 印刷向け表示
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たたかうソムリエ - 世界最優秀ソムリエコンクール
作者:角野 史比古
出版社:中央公論新社
発売日:2013-02-22
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ソムリエという存在を、私は完全に誤解していた。

グラスに注がれた高級ワインに、ポエティックな表現と薀蓄を添えてサーブしてくれる少々気障な存在。恥ずかしながら、そんな先入観を持っていた。

でも、本書を読んで心の底から理解した。

己の知性と感性の全てを賭けてワインと対峙する本物のスペシャリスト。経験に裏打ちされた華麗な技術を次々と繰り出す究極のサービサー。そして、お客様に最高の時間を過ごしてもらうために、人生の全てを惜しみなく捧げて毎日を生きる真の人格者。

それが、ソムリエ。それも、世界最高レベルのソムリエなのだと。

本書は、2010年にチリで開催された第13回世界最優秀ソムリエコンクールを追ったノンフィクションだ。世界各国から選ばれた総勢54人のソムリエたちが、世界ナンバーワンの座を賭けて、その技術とセンスを競い合う。4月10日のウェルカム・パーティーで幕を開けた大会は、6日間にわたって開催されたのだが、競技そのものは3日間だ。最初の関門は4月12日の準々決勝。ここでいきなり、54人から12人にまで絞り込まれる。そして次は、4月14日の準決勝。ここまで勝ち残るだけでも困難を極めるが、準決勝の戦いは更にシビアだ。審査員から課される数々の難問を乗り越えて、ファイナリストの椅子を射止めることができるのは、わずか3人のソムリエ。こうして選ばれた世界のトップスリーは、ファイナリストとして4月15日の決勝のステージに臨む。この厳しいコンクールを制して、世界最優秀ソムリエとなるのは、一体誰なのか。本書には、世界一が決まるまでの6日間に繰り広げられた様々なドラマが、あますところなく綴られている。

断言してしまおう。もう完全に面白い。多くの人にとって、おそらくはあまり馴染みがないソムリエコンクールという世界に、あるいはグラス1杯のワインのなかに、本当に驚くほどの奥深さが隠されているのだ。本書を読み終えて、私の脳裏に浮かんだ言葉は「豊穣」。豊かな大地の恵みと太陽の光を浴びて、大切に育てられた葡萄。ワインを愛する世界中の消費者に喜んでもらうために、生産者たちがワイナリーで愛情を込めて醸造したボトルワイン。そういう全ての思いを汲み取って、お客様に最高のワインとサービスを届ける世界最高峰のソムリエたち。どれもが「豊穣」に満ち溢れている。とにかく、驚くほどに。

この大会に、初代アジア・オセアニア代表として臨んだ森覚さん。彼は毎朝、妻の呉葉さんに手伝ってもらいながら、ブラインド・テイスティングの練習を行っている。ブラインド・テイスティングとは、銘柄を知らされていないワインを、色や香り、味から特定すること。わずか3~4分で生産地、葡萄品種、ヴィンテージ(生産年)の3つを回答しなければならず、ソムリエコンクールの中でも最難関とされる試験だ。本書の第一章は、ある朝の森さんのブラインド・テイスティングの様子から始まるのだが、まだコンクール開催地のチリに到着さえしていないこの段階で、読者にとっては驚きの連続だ。ちょっと見ていこう。

呉葉さんが用意した白ワインのグラスを手に取ると、4分間の推理がスタートする。(ちなみに、実際には全て英語だ。)

まずは、視覚的な印象から丁寧に追っていく森さん。その鋭い観察眼に、いきなり驚かされる。

「第一のワイン。外観は、透明で新鮮です。縁には小さい泡を見ることができます。このワインは、まだ若いと思います」

「薄い黄色で、縁にはわずかに緑色が反射しています。涙がグラスにゆっくり流れており、粘性は高いです」

続いて、香りだ。わずか1杯のグラスワインに、森さんの嗅覚は何を感じとるのか。

「香りの第一印象ですが、パイナップル、洋梨、桃のようなフルーティーな香りが集中してあらわれています」

この時点で、既に3種類のフルーツの香りを掴まえた森さん。でも、これで終わらない。軽くグラスをゆすると、香りへの更なる洞察は続いていく。

「白胡椒のようなスパイシーな香りもします。濃度の高い香りです」

「空気に触れたあと、香りが少し変化しました。火打ち石のような鉱物の香りがわずかにあります」

「また、スパイシーな香りも主張しています。アカシア、蜂蜜の香りも持ち合わせていて、とても複雑な香りです」

森さんは、まだワインを口に含んでいない。ここでようやくワインを口につけ、そしてすぐに吐き出すと、今度は舌に残った印象を、1つずつ丁寧に表現していく。

「口の中では、白胡椒のようなスパイシーな香りを感じます。そして最後の7秒でフルーティーな香りが現われます。粘性は中くらいです。これは、ドライでフルーティー、中くらいからフルボディの白ワインです」

これでようやく2分半だ。ここから森さんの推理は、いよいよ本題に迫っていく。まずは産地、そして品種とヴィンテージを特定して、4分間の推理戦に彼は決着をつける。

「暖かい気候でたくさんの日光を浴びたニューワールド(新世界)のワインです」

「このワインは、シャルドネ(葡萄品種)から作られています。生産年はとても若く、2008年」

「南オーストラリア、マクラーレン・ヴェイル産のものです」

ちなみに森さんは、この推理の過程で、他にも様々コメントを添えている。おそらくこのワインはスクリューキャップで閉められていること。合わせる料理としてはバターソースを添えた白身の魚をおすすめすること。中くらいのチューリップ型グラスで10度から12度で出されるべきであること。そして、少なくとも5年間はワインセラーに貯蔵しておけること。わずか4分間で、一流のソムリエはここまでワインを掘り下げて推理していくのだ。

このブラインド・テイスティングでは、実際には産地が間違っていて、正しくはカリフォルニア産だった。でも、品種とヴィンテージは正確に言い当てている。本当に素晴らしいセンスだ。自宅でのトレーニングなので、本番のようにあまねく世界から寄せられた星の数ほどのワインを特定する難しさと比較すると、多少は難易度が下がるのかもしれないが、それにしても凄すぎる。ただ、本当に驚かされるのは、この4分間に、森さんの頭の中を駆け巡っている思考プロセスだ。引用してきたコメントを思い返しながら、振り返ってみよう。

白ワインの場合、森さんはまずフルーツの香りを探すそうだ。レモンやライムといった酸っぱさを連想させるフルーツを感じた時は、寒い地方のワインが多いらしい。ただ今回はパイナップルや熟した洋梨といったトロピカルフルーツが連想された。そこで森さんは、暖かい地方か、あるいは太陽がしっかりと降り注ぐ地方を考えたという。

続いて、空気に触れさせた後の香りの変化だ。葡萄作りの長い歴史をもった伝統国だと、葡萄の根が地中深くまで伸びているため、土からの養分を十分に吸い上げてきたというミネラル感があるそうだ。でも、このワインはミネラル感が強くない。そうなると、伝統国ではないはずだ。こうやって、脳の中で候補地が徐々に絞られていく。

でも、これだけではワインの特定には至らない。更に森さんは、ワインの香りから醸造法までイメージする。このワインはクリーンで、混じりっけのないフルーツの香りだった。こうした香りは、ステンレスタンクを使う最新技術で作られたワインに多いそうだ。そうなると、ニューワールドと呼ばれるアメリカやオーストラリア、アルゼンチン、チリといった産地が、森さんの頭に浮かんでくる。

そして、ヴィンテージ。今回のワインには、少しだけ気泡があった。つまり、瓶に詰めたときの空気がまだ残っているということだ。コルクだと空気は少し抜けるので、おそらくスクリューキャップだろう。とはいえ、スクリューキャップでも泡がもつのは1~2年。つまり、(この日は2010年だったので)2008年か2009年だ。2009年だと、まだ北半球は出てきていないはずだ。南半球は収穫が半年早いから、出てきているだろう。そうやって論理を組み立てながら、森さんはファイナルアンサーに至っていたのだ。

私はこの第一章だけで、もう打ちのめされた。信じられないレベルだ。とても人間業とは思えない。ただの記憶力でも、人並み外れた味覚と嗅覚だけでもない。まさに「知性」と「感性」が、極限のレベルで見事なまでに融合しているのだ。産地が間違っていたといっても、産地を特定する決定的な証拠がある訳でもない。南オーストラリアの風味に近いカリフォルニア産のワインもあれば、カリフォルニアの風味に近い南オーストラリア産のワインもきっとあるのだ。どこまで行っても絶対の確信には辿り着けない難問を前にして、ソムリエたちはあらゆる能力と経験、センスをフル稼働させた末に、最後はただ、腹を決める。それも、すごくいい。その姿勢はとても格好良く、心から尊敬できるものだと思う。

そんなソムリエたち、それも世界トップレベルの尊敬すべきソムリエたちが繰り広げる戦いの舞台。それが世界最優秀ソムリエコンクールだ。面白くないはずがない。本書の取材も、非常に丹念になされている。準々決勝から準決勝、そして決勝のそれぞれにおいて、ソムリエたちが何を考え、何を感じ取ったのか。何を迷い、いかなる葛藤の末に、自身の回答を導き出したのか。コンクールの流れを決定づけたテイスティングに秘められたドラマとは何だったのか。そういったことが、見事なリアリティをもって描写されている。実際、決勝のブラインド・テイスティングには、まさしくドラマとしか言いようのない驚きの展開があったのだ。そして、感動のラスト。世界一のソムリエになるということの意味は、本当に深かった。このあたりは是非、本書を読んで感じてみてほしい。

ちなみに、本書で驚かされたのはソムリエたちの卓越した能力だけではない。「世界最優秀ソムリエコンクール」という大会そのものの恐るべき仕掛けにも、再三驚かされた。一般的にイメージされるテイスティングだけではなくて、筆記試験もあればサービス実技試験もある幅広さ。ワインの表現力を評価する際の不平等を排除するために、母国語の使用を禁止するという厳しさ。限られた時間内にお客様の指定するワインをサーブする実技試験に潜む数々のトラップ。必ずしも一級品のワインのみならず、ワイン以外のスピリッツから月桂冠までテイスティングに登場してくる奥深さ。「最高は、最高にしか分からない」という矜持を貫き、過去にソムリエ世界一になったことのある人間のみを審査員とする本物への徹底的なこだわり。頁を繰るたびに、次々と驚きの世界が明らかにされていく。

それゆえに、ソムリエが問われているのは、ワインへの知見やセンスだけではないのだ。

世界の舞台で戦うソムリエたちは、全人格を問われている。

そう考えれば、本書に登場する誰もが魅力的なのも、素直に頷ける。

描かれているのは、全人格が磨き抜かれた超一流のソムリエたちなのだから。

それにしても、珍しくワインを飲みながら気持ち良く書いたので、ちょっと長くなってしまった。

どんなワインかって。甘すぎず辛すぎず、平均的な切れ味の白ワイン。色はごく普通の透明感のある黄色で、香りはそうだなあ、よくあるワインの香りとしか言いようがない・・・。

ソムリエへの道は、果てしなく遠い。

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シャンパーニュの帝国 - ヴーヴ・クリコという女の物語
作者:ティラー・J・マッツィーオ
出版社:中央公論新社
発売日:2012-09-06
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ヴーヴ・クリコと呼ばれた女性、バルブ=ニコルとシャンパンの物語。鰐部祥平がレビューしているだけあって、装丁がとても美しい。おそらく一流のソムリエたちは、こうした歴史と人間の思いさえも、グラスの中に見出しているのではないだろうか。

毛沢東の赤ワイン  電脳建築家、世界を食べる
作者:坂村 健
出版社:角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日:2012-08-10
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2012年の「もっともおいしい」1冊として紹介した著作。本当はきちんとレビューを書きたかったのだが、時の流れに追われて時期を逃してしまった。美食のみならず美酒にも事欠かない。写真も豊富で、本当においしいのでお勧めだ。
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