うちは絶対かつお出汁! 『かつお節と日本人』

麻木 久仁子2013年11月13日 印刷向け表示
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かつお節と日本人 (岩波新書)
作者:宮内 泰介
出版社:岩波書店
発売日:2013-10-19
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みなさんのお宅には「かつお節削り器」はありますか? 木製の箱型で、蓋を開けると鉋の歯があり、削ったかつお節は下の引き出しに溜まるという、あれです。

わたしが子供の頃は、毎日のようにかつお節を削らされたものだ。どうも滑らかに削るには向きがあるらしく、粉々になってしまうのを何度も持ち替えてみたり、消しゴムくらいに小さくなったやつを削っていて、指まで削りそうになったり。まあ面倒くさかったなあという記憶。だから母は子供に押しつけたんだろうなあ。それでもうまい具合にリズムに乗ったときにはシュッシュッシュッと軽やかで、鼻先にふわっと鰹の香りが立ち上ってくる心地よさは子供心に染み付いたのだろう。出汁はいろいろあれども、やっぱりかつお出汁が好きだ。正月のお雑煮、うちは絶対にかつお出汁!

だがどこの家庭にもあったはずのかつお節削り器は、いつのまにか姿を消した。実家でも見かけない。まさか捨てたのかしら。かつお節削り器。先だてデパートで見たら、欅だの檜だの桐だのと、台所用品というより工芸品という趣で、お値段もなかなかでした。ふう。まあねえ。もはやうちの娘なんて、削る前の丸のままのかつお節なんか見たことないだろうしねえ。

かくしてまたまた、古き良き伝統的ニッポンが消えてゆくのである!嗚呼!!!!!

と思いきや!

実はかつお節の生産量は、過去一貫して増加し続けているのである。1960年に6348トンだったものが、2010年は3万2759トンである! なーにが「削り器でシュッシュッシュッ」か!あのころの5倍もかつお節を食しておるではないか! 平成の現在、空前絶後のかつお節ブームといってもよい数字である。種を明かせば、かつお節は昔懐かしい堅いかつお節として消費されているわけではない。調味料・麺つゆ・だしの素として普及。昨今の健康ブームで塩分控えめ、その分さらにかつお節を増やして旨味が増しました!という次第。で今なお、かつお節の消費量は伸びているのである。各家庭でいちいち削ることはなくなっても、かつお出汁の味はニッポン中の家庭になくてはならない味として、ますますしっかりと根を下ろしているのだ。伝統は守られた。めでたしめでたし。

が、ちょっと待った!

そもそもかつお節は本当に「古き良き伝統的ニッポン食材」なのか。かつお節はいつ頃生まれ、どのような歴史を辿って庶民の食卓の味になったのか。ということで本書はかつお節の、知られざる物語を教えてくれるのである。

1960年代には、我が家のような団地住まいのちっさなキッチンにも、当たり前のようにかつお節削り器があったわけだが、かつお節が全国的に大衆化したのは意外に新しく、昭和初期の段階でもまだ、東京や京都など一部の地域を除き、珍しい食材・ちょっと贅沢という感じのものだったという。もともと「だし」というもの自体、庶民レベルではあまり使われず、じゃこや煮干しがせいぜい。かつおだしは階層の高い人たちが使う高級調味料だったのであり、庶民の家庭においては客が来たときや正月などに、まれに用いるかどうかで、おふくろの味なんかではなかったのだ。

江戸時代、武士階級・富裕層が贅沢品・贈答品として消費したかつお節が「日本中の」「庶民の」味になっていくには、明治維新以降の近代化が大きな役割を果たすのである。

明治に入ってすぐ、かつお節は殖産興業政策品目のひとつとして普及していったのだそうだ。産地育成政策、全国的な品質の統一と全国的市場の確立。国の後押しがある有望な産業として、かつお節産業は各地で激しい産地間競争を繰り広げていく。まさに明治の殖産興業の申し子のような品目なのだ。

そして、日清・日露戦争である。帝国陸軍・海軍の携行食としてかつお節の需要が一気に伸びる。さらに復員した兵士たちがそれぞれの出身地にかつお節の味を伝える。かつお節の普及の背景には国策と戦争があったのだ。

その後もかつお節は近代日本の歩みに寄り添っていく。第一次世界大戦後、日本は現在のパラオ共和国やミクロネシア連邦、マーシャル諸島などにあたる南洋群島を実質的な植民地とするが、この政治的・軍事的南進にともなう経済的南進の一翼を担うのがかつお節なのだ。漁船の動力化が進んだ時代でもあり、カツオの好漁場である南洋を「開発すべき新漁場」と位置づけ、またまた国策として進出していくのである。南洋群島、ボルネオ、オランダ領東インド(インドネシア)。企業が、漁民団が、南へ南へと移動し、移民して「南洋節」を作り、本土へと送る。そして、その主力を担ったのは沖縄の人々だった。島の漁業組合まるごと移民した例もある。大日本帝国近代化の大波の中で、かつお節に夢と希望を懸けた人々がいたのである。

しかし時代は急速に悪化する。1941年に始まった日米の戦火拡大で、カツオ漁とかつお節づくりに従事していた人々は漁船を徴用され、海外の生産拠点は一挙に消滅した。カツオとかつお節を求めて南へと向かった人々を最後に待っていたのは、非業の死・収容所送り・何もかも失っての引き揚げだった。南の海に懸けた夢は潰えた。

さて、戦後しばらくは戻らなかった生産量も、1960年頃には勢いづき、その後は右肩上がりの消費量である。産地の再編や生産の機械化もあるが、なんといっても、にんべんの「フレッシュパック」が大ヒットであった。家庭から「シュッシュッ」という音は奪ったが、消費量は格段に増やした。そして「塩分控えめ」に伴う「かつお節増量時代」の到来だ。近年では増え続ける消費をまかなうために、カツオやかつお節の輸入も増大している。もっとも多く日本に輸出しているのはインドネシアだ。時代はぐるりとまわって、平和な時代の再びの「南進」である。「インドネシア節」のブランド化も夢ではないほどに成長しているらしい。一方、戦前、かつお節づくりに従事した日本人の子孫たちが、日系インドネシア人として来日し、茨城県大洗町の水産加工場で働いているのだそうだ。水産加工会社の人手不足を補う打開策として1998年から日系インドネシア人の雇用が始まったのである。その多くは沖縄漁民の子孫だ。沖縄〜インドネシア〜大洗と。本書に登場する多くの人々の物語と、かつお節をめぐって生まれた縁が、時を越え海を越え、今も行き来しつづけているのだとおもうと感慨深い。ここに描かれているのは、帯にもある通り「300年4000キロの物語」なのだ。「ニッポンの味・かつお節」の物語の舞台は、想像以上に壮大である。

かつお節はこの国が近代から現代へと歩むなかで、名実共に「日本の味・庶民の味」になった。が「当たり前の味」となった今、これからが、伝統として残っていかれるかどうか勝負のときなのかもしれない。持続的な水産資源としてのカツオをどう守っていくのか。すでに消費量の増大に伴う漁獲圧力が、カツオの獲り過ぎ、資源の減少につながる懸念がある。品質の高いものをつくっても、必ずしも消費者がついてくるかどうかわからない時代でもある。この本で、かつお節づくりにかけた人々の歴史物語を知れば、これから問われるべきなのは、消費者なのだという思いをいだくのだ。

などど独り言ちながらちょっとネットで調べてみれば、工芸品のごとく立派で高価なものでなくても、手頃な値段で使いやすそうなかつお節削り器も売っているではないか!でっかいハンドルでグルグル削れるのとか。で、丈夫で手入れが楽そうなステンレス製のをポチ。「あの頃を懐かしんで思う存分けずってください!」との宣伝文句に釣られたのである。お歳暮に本枯節なんぞをくださる方がいらっしゃらないかしら。

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