バイオエレクトロニクス――現実化する攻殻機動隊ワールド

2014年1月3日 印刷向け表示
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The New Yorker [US] November 25 2013 (単号)

作者:
出版社:Conde Nast Publications
発売日:2013-11-29

みなさま、正月三が日も終わろうとしておりますけれど、今年もサイエンス通信をどうぞよろしくお願い申し上げます。

できるだけ幅広い分野から話題を選びたいと思っているのですが、あらためてそういう目で眺めてみると、『ニューヨーカー』のサイエンス記事って、バイオ&メディカルな話題が強いですねぇ。数学や物理学の記事は、それに比べるとガクンと少なくなります。まあ、それも当然でしょうかねぇ。社会生活に及ぼす影響という点では、バイオ&メディカルは大きいですからねぇ。

でも、私たちの暮らしへの直接的・短期的な影響の大きさや、狭い意味でのサイエンスに閉じずに、言語や文化や歴史にもつながるような少し広めの間口で、今年も面白い話題をご紹介していきたいと思っています。

とは言いながら、今回もバイオな話題です……。

バイオエレクトロニクスの分野は、まさしく日進月歩ですね。攻殻機動隊の舞台となっている近未来が、じりじりと近づいてくるのをひしひしと感じますです。

え? 攻殻機動隊をご存じない? そういう方は、お時間がおありのときにでも、たとえばこちらのサイトなどご覧になってみてください。もちろん、wikiでもよろしいですよ。

実は『ニューヨーカー』のテクノロジー特集号(Nov. 25, 2013 )に、マイクロマシン技術、とくに電脳化技術についてのレポートがありまして、これってもう、もろに攻殻機動隊の世界だよね~、と思ったのでございます。

ちなみに、今わたしが使った「電脳化」という日本語は、(今のところはとりあえず)攻殻機動隊用語でありまして、脳にマイクロマシンの入れて神経細胞と結合させ、外の世界のネットワークとを結びつける技術で、一種のブレイン・マシン・インターフェースということができます。そういう電脳化技術が着々と実現されつつあり、そのための新素材がいくつもFDAの承認を受けているようなんです。

そんなマイクロマシン技術の基礎になっているのが、私たちの身体はもともと電気的だという事実です。(基礎物理学的な観点から言えば、私たちの体内で起こっている反応は、自然界の四つの力のうち、重力でも強い相互作用でも弱い相互作用でもなく、電磁相互作用に支配されているということですね。)

私たちにとって情報の取り入れ口である、目、耳、鼻、舌、皮膚といった器官は、外界からの「非」電気的信号を、電気的信号に変換するインターフェースといえます。そのインターフェースを、バイオエレクトロニクスで機能回復する、あるいは補強することが着々と可能になっているのです。

たとえば視覚の場合なら、メガネのような機材に、カメラやプロセッサなどを組み込み、そこから目に移植した人工網膜の電極に視覚情報を送るという人工視覚装置は、もう何年も前から実現しています。(攻殻機動隊のバトーさんの目なども、その延長線上にあるわけですね!)

聴覚の場合も、従来の補聴器は、基本的には音を大きくするだけの装置だったわけですが、近年開発されているのは、外界からの音波情報をあらかじめ電気信号に変換して、その電気信号を(たとえば内耳の有毛細胞が損傷を受けている場合などには)内耳をバイパスして、直接、聴覚神経に送るシステムです。こういうシステムでは、普通の人間の可聴領域の周波数だけに限定する必要はないわけで、はるかに幅広い周波数領域を聞くことも可能になります。

もうひとつ、マイクロマシン技術の基礎となっているのが、シリコンという素材の可能性です。従来、生身の臓器は柔らかいのに対して、シリコンチップは固くて曲げられなかったため、バイオエレクトリック技術のための新素材としては、生体と親和性の高い炭素ベースのものが考えられていました。しかし残念ながら、炭素という元素は電気特性がイマイチうまくないんですよね~。

ところが近年、シリコンは超薄くすると、柔らかくなることがわかってきたのです。

薄くて柔らかいシリコンなら、皮膚や内臓に張り付けたとしても、自然な動きを妨げることがありません。たとえば、まるで進化形のバンドエイド(商品名「キズパワーパッド」で、私はこれが結構気に入っています(^^ゞ)みたいな集積回路もできちゃうんです。見た目は、透明のテープに金色のバーコードを印刷したかのようです。その集積回路に、携帯の電波などでエネルギーを供給したり、逆に、体温や体表の水分量、脳や心臓からの電気信号をデータとして収集できる装置がすでに実現しています。

こうした身体機能の基本情報を集めるためには、これまでならば病院のベッドにじっと横たわり、コード類で心電図や脳波の測定装置に繋がれていなければなりませんでした。ということはつまり、動きまわっているいる状態ではデータを集めるのが難しかったということです。これって、考えてみれば驚くべきことではありませんが? スポーツ選手や、負荷のかかる労働に従事する人たちの身体機能も、その活動の前後にデータを取ることはできても、活動中の身体機能をリアルタイムで把握することができなかったのですから。インターフェースの制約のせいで、ずいぶんと基本的なこともわかってなかったんですね。

薄くてやわらかいシリコンチップには、単に皮膚にはりつけてデータ収拾する以外にも、もさまざまな応用が考えられます。たとえば心臓ペースメーカー。

現状の心臓ペースメーカーは、固い機械を身体に埋め込み、5年から10年に一度は電池交換のために手術が必要です。それに対して現在開発中のペースメーカーは、心臓に薄いストッキングをはかせたような感じになり、心臓の動きを妨げることなくリアルタイムで大量のデータを集め、電気信号で介入することができるのだそうです。心臓をイチゴに見立てれば、センサーはつぶつぶの種のような感じです。しかもこの新世代のペースメーカーは、私たちの細胞のカリウム-ナトリウム・ポンプで生じる電位差を利用するため、なんと、電池交換が不要だというのです! 現在使われている心臓カテーテルでは、ある特定の時刻における細胞の電気的活動を、二百カ所ぐらい集めることしかできません。それに対して開発中のセンサーではもっと多くのポイントで、(それぞれのポイントで、別々の時刻に収拾したデータではなく)電気的活動の伝わり方までリアルタイムでわかりますし、装着の負担も軽く、電池交換のための手術も不要になるというのがすごいです。

しかしまぁ、何がすごいと言って、脳に関するバイオエレクトロニクスの進展はすごいですね。とくにめざましいのが、「光遺伝学(オプトジェネテクス)」という分野。その新技術を用いれば、脳の情報処理プロセスを、空間と時間の両面できわめて正確にコントロールできる――――つまり、どのニューロンに、どのタイミングで介入するかが、従来では考えられなかったほど正確にコントロールできる――――のです。

オプトジェネテクスでは具体的にどんなことをするのかと言えば、まず第一ステップとして、ウィルスを運び屋として、脳内の特定のニューロン集団に、光を感じると活性化する特殊なたんぱく質(「光活性化イオンチャネル」)を持ち込みます(たんぱく質を強制発現させる)。そして、その細胞集団のすぐそばに、非常に繊細な光ファイバーを設置します。そして光を点滅させることにより、光に対して反応性を獲得したニューロンを刺激して、神経伝達物質(ドーパミンとかGABAとかいろいろ)を細かくコントロールしようというわけです。

これまでは、この光ファイバーを使うためにはどうしてもコードが必要で、それゆえ被験者の行動をじゃますることになっていたそうですが、近年、ワイヤレスLEDが使えるようになりました。小さなアンテナを皮膚にくっつけておくと、そのアンテナが電波をキャッチして自らの動力源にしつつ、LEDに光を発射させます。ワイヤレスLEDは非常に細くてデリケートなため、それ自体を脳に入れることさえ難しいのですが、現在開発中の技術では、小さな針状の支持体に、体内で溶けてしまうようなシルク素材の接着剤を乗せ、そこにLEDを接着して、頭蓋骨に開けた小さな穴から目指す場所に送り込みます。しばらくして(10分とかそれぐらい)接着剤が溶けたところで、支持体を頭から抜きとれば完了です。

マウスではすでにこの技術で実験が進められています(てんかんを持つマウスで発作を抑えるなど)。ニューロンの神経伝達物質放出をピンポイントで制御できるため、将来的には、痛みのコントロール、癲癇の発作やパーキンソン病の震えなどのコントロール、あるいは各種の依存症や抑鬱の治療につながるだろうと期待されています。こうしたピンポイントなニューロン治療が実現すれば、これまでのように、薬物を投与したり、電気ショックをかけたり、脳の一部を摘出したりといった、大雑把で乱暴とも言える治療法はいらなくなるでしょう。

近年、脳内のニューロンのつながり具合を調べるというプロジェクトが立ち上がっています。遺伝子(gene)の全体のことをゲノム(genome)というように、ニューロンの連結(connect)の全体像のことをコネクトーム(connectome)といいます。コネクトームはいわば脳の「全配線」なわけですから、ゲノムとはまた少し違った意味で、人のアイデンティティーに関わる重要な情報を含んでいます(日常的にも、「あの人は配線が違う」などと言ったりしますよね)。しかしコネクトームを明らかにし、それを解読するのは、ゲノムの場合とは比べものにならないぐらいに大仕事なのです。とはいえ、すべてを明らかにするのは遠い道のりでも、ニューロン連結のごく一部分がわかっただけでも、どこをどう刺激すれば私たちの身体がどう反応するかを知ることができます。そしてそれがわかれば、オプトジェネテクスの技術により、心身の問題に対処することもできるというわけです。

バイオエレクトロニクスの進展を見るにつけ、いよいよ私たちはコンピュータとつながっていくんだなぁ、と思わずにはいられません。私たちは、脳でコンピュータをコントロールし、またコンピュータから脳にフィードバックを受けるようになるのでしょう。

2012年には、15年ものあいだ身体不随だった女性が、頭の中で考えるだけでロボットアームを動かして、自分でコーヒーを飲むことができるようになったとのニュースがありました。また今年、2014年のワールドカップの開会式では、下肢の麻痺した人が脳波センサを組み込んだ強化外骨格型パワードスーツ(攻殻機動隊的に言えば「義体」ですね)でキックオフをする予定だそうです。

こういう進展の話を聞くと、何やら恐ろしいと感じたり、人間は越えてはいけない一線を越えようとしているのではないか、などと思う人たちもいることでしょう。なにしろ攻殻機動隊の世界は、さまざまなレベルのサイボーグやアンドロイドなどが連続的に存在するせかいですからね……。

そういえば攻殻機動隊S.A.C.(スタンド・アローン・コンプレックス、攻殻機動隊のTV放映バージョン)にも、生まれつき身体が弱かったにもかかわらず、両親の宗教上の理由により、輸血や義体化などの医療介入を許されず、若くして亡くなったロボット工学者のエピソードがありました……。

いうまでもなく、こうした進展にはさまざまなレベルで重層的な問題がからんでくるでしょう。私が義体化したくても高性能の義体を買うお金がないとか、たとえ高性能義体が買えたとしても、私が草薙素子(攻殻機動隊のヒロイン)みたいに有能になれるわけではないとか……(^^ゞまあそれはどうでもいいいですが。

いずれにせよ、バイオエレクトロニクスの技術は、もうSFの世界のものとは言えなくなっているのは事実です。それにどう向き合うかは、近未来の、というより今現在の重要なテーマなのかもしれません。

最後に、バイオエレクトロニクス技術革新の先頭に立っている研究者の一人、イリノイ大学のジョン・ロジャーズ教授の仕事を紹介するサイトをリンクしておきますね。この記事で取り上げたさまざまな素材を見ることもできます。

 

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最新の訳書(文庫化)です。数学の厳密性ということが本書のひとつのテーマですが、わたしはこの作品を通して、ケプラーの『六角形の雪――または新年の贈り物』に出会い、珠玉のようなその作品に魅了されました。その後、ケプラーの足跡をたどってヨーロッパを旅することにも……。わたしにとっては思い出深い、大切な一冊です。

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